( 2016.10.31 )

  


 今、日本の 「教育」 が行き詰まっている。 日本の高度成長を支えた、 「正解」 をいかに早く覚え、再現するかという従来の教育は、 「答えのない時代」 を迎えた今、うまくいかなくなった。 日本の国際競争力を高める人材を育成する上で、障害となっているものは何か。 21世紀の教育が目指すべき方向は何か。



 日本でも、文部科学省のカリキュラムのないところでは、世界で活躍する個人が多数でてきており、日本人の持つ潜在的能力が、世界の人材と比べて劣っているわけではない。
現代の世界的に
活躍する日本人

・ スポーツ選手
・ 音楽家
・ 建築家
・ 芸術家
・ クリエイター
・ 登山家
世界的に活躍した
日本人経営者

・ 松下幸之助(小学校中退)
・ 井植歳男(小学校卒)
・ 本田宗一郎(小学校卒)
・ 川上源一(高校中退)
・ 早川徳次(小学校中退)
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・ 立石一真(専門学校)
・ 稲盛和夫(専門学校)
・ 日本人が、能力的に世界の他の国の人と比べて劣っているわけではない。
・ 文部科学省のカリキュラムが行き届いていない分野に、世界で活躍する人材が多い。
・ 彼らは、明確な目標と情熱を持ち、専門的な訓練・実践を日々積み重ねてきた。
・ 個別インストラクターが可能性を信じて力を伸ばす。
 日本人の能力が世界の人材と比べて劣っているかと言うと、そんなことはありません。

 右側の図を見てください。 現代の日本にも、世界で活躍する人はたくさんいます。 スポーツ選手、音楽家、建築家、芸術家、クリエイター、登山家など、日本人が数多く活躍しています。 この人たちには共通項があります。

 1つは、文科省のカリキュラムの外で育っていること。 もう1つは、個人教授がいるのです。

 チューターやインストラクターと呼ばれる人たちから、テーラーメイドの教育・訓練を受けている。

 彼らは幼少のころから、 「世界一になりたい」 「世界一速くなりたい」 などのアンビションを、親やインストラクターによって植えつけられています。 指導者が才能を見出し、その一点を引っ張っていくというやり方です。

 たとえば米国では、幼児期に数学の世界で才能を認められ、飛び級で大学に行くというケースが珍しくありません。 「みんな一緒に」 「平均を底上げする」 のではなく、型にはめることなく、どこまでも個人の才能を伸ばしていくのです。

 巨大企業の多くが米国に集中している理由の1つには、自由な環境を求めて、世界中から才能のある人間が集まるということが挙げられます。




 もう1つ、上の図の右側に示した、世界に冠たる日本の会社を作った経営者の一覧を見てください。

 全員、大学を出ていないのです。 例外として、ソニー創業者の盛田昭夫氏は、残念ながら大阪大学を卒業してしまったので書いていません。 彼らの特徴は、やはり 「アンビション」 です。

 松下幸之助氏の奥さんの弟は、井植歳男氏です。 井植氏は兄の松下氏とケンカ別れして会社をつくったのですが、そのときに 「兄は尋常小学校を中退して世の中に出たので、自分よりも3年分、世間に対する感度が優れている。 俺は高等小学校まで行ってしまった。 やっぱり兄にはかなわない」 ということで、 「三洋」 という社名にしたのです。 つまり、国内は兄貴に任せる、自分はインド洋、太平洋、大西洋、3つの海を股にかけて世界で勝負するのだというわけです。 これも壮大なアンビションですね。

 このようなグローバル企業を作った人たちは、ほとんどが 「アカデミックスマート」 ではなく、 「ストリートスマート」 なのですね。 21世紀に必要とされるのは、アカデミックのスマートさを持ちながら、偏差値にとらわれず、 「自分はどこまでもやれる」 というアンビションを持った人間です。

 現在の日本では、親やインストラクターが子どもの才能を見出し、引き上げなければ、世界で通用する人材に育つことはありません。 優れた人間は、テーラーメイドでなければ生まれないのです。 学校の中でそのような教育を実践しているのが、フィンランドやデンマークということになります。



  


 21世紀は、国民全員が世界で通用するレベルに到達しなくても、優秀な人材の能力をさらに伸ばすことで、国力を向上させることができる時代です。

 徒競走で、最後はみんな横に並んでゴールしましょうという日教組的な発想では、国の競争力を高めることは難しいでしょう。 日本がその事実を受け入れて、やり方を変えることができるかどうか。 今、日本が試されているのはまさにこの部分です。

 米国のやり方をただ真似るのではなく、リーダーを育てる、世界で活躍できる人間を育てることの本質を理解する必要があります。




 従来の教育では、 「落ちこぼれ」 を少なくするために予算の大半が使われてきました。

 特に最近は、行き過ぎたゆとり教育の反動で落ちこぼれる生徒が増えて、親が 「土曜日も授業をやってくれ」 「うちの子は家で勉強しないから、もっと宿題を出してくれ」 などと言う。 つまり、 「自分の頭で考えられない人間にしてくれ」 と親が積極的に頼んでいるわけですね。

 それでも追いつかないと、家庭教師を雇って、その意味のない教育にさらに磨きをかけている。 親が、子どもの考える力を奪う一助になっているのです。

 加えて、大学卒業時に就職できない就職難民。 これが政治的に問題だと言って、また予算がつきます。 「卒業してから3年間は新卒でいいです」 と国家が率先してうそをつくことを勧めているのです。 その3年間に 「新卒」 の就職難民を雇ってくれたら、国が費用の一部を負担するという制度もありました。

 一方、優れた能力を持つ人材を育てるための予算はゼロです。 それどころか、むしろ勇気をくじくような扱いをします。 数学が飛び抜けてできるけれど、それ以外の科目は不得手という生徒がいたら、 「あなたは偏差値23、役に立たない人間です」 と決めつけられてしまう。

 今の日本の教育は、自分の頭で考えられない人間を再生産しつづけるシステムになっているのです。





( 2016.11.07 )

  


 北欧の答えのない教育・英国のエリート養成・インフレ化する高等教育 …… 世界の教育事情

北欧の教育動向

 世界の先進国は、優秀な人材を育てるために、それぞれ特徴ある教育方法を導入しています。
     

 各国の教育動向を見ていきましょう。まず、北欧です。

 1990年代前半、北欧諸国は金融危機を経験しました。 そこで、このまま小さい国土に閉じこもっていたら自分たちの将来はないということで、リーダーシップのある、世界で活躍できる人間を育てるための 「答えのない教育」 にシフトしたのです。

 この新しい教育は、まずデンマークで始まり、フィンランドもすぐに取り入れました。 今では教育に関する国際的なランキングでも、フィンランドが常に上位にランクインしています。


イギリスの教育動向

 それからイギリスには、最初からエリート養成を目的にしたボーディング・スクール( 寄宿制中等教育学校 )と大学があります。

 イギリスの歴代首相は、ほとんどすべてこのシステムの出身です。 ですからデービッド・キャメロン首相は、どこかの国の首相とは格が違うわけです。 基礎力が違う。

 名門校イートン・カレッジを出て、オックスフォード大学、あるいはケンブリッジ大学へと進学する、こういう過程で優秀な同級生と切磋琢磨しながら育つのです。


スイス・ドイツの教育動向

 スイスとドイツの教育システムはよく似ています。

 実務教育を重視し、大学に行かなくても食べていけるような教育を半数以上の人が受けているので、国が非常に安定しています。 コストはかかりますが、失業率は低い。 また、国際競争力も高いです。


シンガポール・台湾・韓国の教育動向

 シンガポールでは小学生のうちに、上位10%を将来のエリートとして選んでしまいます。 ふさわしい人間が足りなければ、海外から受け入れます。 職能スペックを書き出して、世界中から人材を輸入するというやり方です。

 台湾では、明日国がなくなるかもしれないという危機感の下、親が子供に日本語と英語を勉強させます。 さらに母国語が中国語で、合計3カ国語を操れますから、台湾の子供たちは世界最強の言語能力を持っています。

 韓国は1990年代後半の経済危機の際、国際通貨基金( IMF )から融資を受ける条件として緊縮財政を強いられました。 この 「IMF進駐軍」 にやられている間に、 「二度とこの屈辱を味わいたくない」 という思いから、当時の金大中大統領が教育改革を行っています。


米国の教育動向

 米国の教育は、全体として見ると問題点が多いのですが、非常に優れた大学と、ボーディング・スクールがあります。 世界トップクラスの、限られた人たちがそういうところに行く。 平均値を上げようという考え方はもともとありませんし、国はまったくと言っていいほど教育に関与していません。 州以下の単位でカリキュラムを組むので、州ごとの差が大きいです。

 世界の高等教育では、学歴インフレが起こっています。

 今や、先進国には大卒者が掃いて捨てるほどいます。 米国でも日本でも同じです。 新興国から先進国に留学する学生も増えており、プログラミングなどの技術をどんどん身につけています。 これまでとは違う高等教育へのニーズが、世界的に高まっているのです。

世界の高等教育の動向

 世界的に高等教育の修了者数が増加
 新興国から先進国への留学生が増加
     
 先進国と同じことを新興国の人材ができるようになった(プログラミングなど)
先進国では、これまでと違った高等教育へのニーズが高まってきている


中国の学歴インフレ

 中国では、大学を卒業すれば給料が上がるので、大学卒業者数が増加し続けています。 2013年にはおよそ700万人になりました。

     


 日本では、毎年60万人ほどの若者が大学に入学します。 全員が卒業できたとしても、中国と10倍以上の開きがあります。 中国の 「大卒生産能力」 は、これだけ高い水準に達している。 このような学歴インフレの状況下では、 大学を卒業したというだけでは何の価値もない 日本人は、 そのことに早く気づく必要があります。





( 2016.12.14 )




 「教育困難校」 という言葉をご存じだろうか。 さまざまな背景や問題を抱えた子どもが集まり、教育活動が成立しない高校のことだ。

 大学受験は社会の関心を集めるものの、高校受験は、人生にとっての意味の大きさに反して、あまり注目されていない。 しかし、この高校受験こそ、実は人生前半の最大の分岐点という意味を持つものである。

 高校という学校段階は、子どもの学力や、家庭環境などの 「格差」 が改善される場ではなく、加速される場になってしまっているというのが現実だ。


「一夜漬け」 さえしない生徒たち


試験で求められることは、問題の解答を「考える」ことではない
という実態があった
 12月に入るとクリスマスや年末年始のイベントと、世間は急に慌ただしくなる。 一般受験を目指す受験生にとっては、最も嫌な時期だ。 受験生ではなくても、2学期制を採用している高校の生徒を除いた高校生にとって、12月上旬は2学期末の期末試験の時期である。 将来の進学を目指して、成績や学力を気にする高校生たちには、世間が浮足立つこの時期の試験準備は、誘惑に負けないように気持ちを強く持たなければならない厳しい試練となるが、 「教育困難校」 の生徒たちにとっては、普段の試験のときとまったく変わらない日々である。

 高校生ともなれば、定期試験に向けて少なくとも 1週間くらい前から、計画的に試験勉強をすると一般的には考えられているだろう。 しかし、この高校生像は 「教育困難校」 の生徒には当てはまらない。 試験前に試験勉強をすることを彼らに期待しては、失望するだけだ。 スケジュールを立てて計画的に勉強するどころか、一夜漬けさえしない生徒もいる。

 言うまでもなく、小学校・中学校でも試験は数多くある。 学校では試験範囲を早めに教え、あらかじめ準備勉強をすることを促している。 試験前に試験勉強の計画表を作らせ、担任に提出させる学校もある。 教育熱心な家庭では、親がその勉強に付き合い、教えることもあるだろう。 また、小学校・中学校の試験で得点をアップさせた実績を大々的にPRする学習塾も多く、特に中学生では定期試験前に、まるで上級学校の受験本番でもあるかのようにみっちりと勉強させる塾が保護者から人気を集める。 このような経験を経て、試験に向けた勉強のスタイルは、高校生になるまでにおのずと身に付くはずだと考えられている。

 だが、 「教育困難校」 に通う生徒たちには、小学生の頃から親と一緒に勉強したり、試験の結果を確認して、わからない点を理解できるように教えてもらった経験がない。 生活に余裕のない親は、子どもが試験で悪い点を取っても、 「だめじゃない」 とか 「次に頑張ればいいから」 といった言葉をかけるだけである。 もちろん、費用のかかる学習塾に通わせることもできない。 当然ながら、子どもたちは勉強がわからず試験ができないということになる。 学校でも家庭でも、できないところの手当てをしてもらえないため、勉強に苦手意識を持つようになるのだ。


苦手なことを克服する発想は皆無

 「苦手なものを克服しよう」 と努力できる人は、自己肯定観の強い、自分を頼む気持ちを持てる人だけだ。 親からも手をかけられず、自己肯定観の低い子どもたちは、苦手なものから逃げて、それは大して価値のないものと思い込んで、自分を守ろうとする。 かくして、勉強や試験に価値を置かない子どもたちが出来上がる。

 小学校・中学校であまり学ぶことなく 「教育困難校」 に進学した生徒たちだが、彼らも定期試験で欠点、つまり赤点は取りたくない。 その後の補習や追試験が面倒だし、場合によってはバイトのシフトを変えなければならないからだ。 サービス業でバイトをしている生徒が多く、12月は雇用主にとってもバイト生にとってもかき入れ時で、放課後は目いっぱいバイトのシフトを入れている。 そのため、生徒たちは赤点にならないスレスレのライン、20点台後半程度の得点はしたいと考えているのだ。 そして、教師も生徒の追加指導に無駄な労力を使いたくないと、内心は思っている。

 その両者の利害が一致したのが、 「教育困難校」 独特の慣習である 「試験対策プリント」 の存在だ。 定期試験で出る内容をほぼ網羅した手作りプリントを生徒に配布するのである。 試験前の授業で解答を説明するのはまだ良心的な教師で、試験前でも普段と変わらない生徒の状態に手間取って時間が足りなくなり、模範解答を配布するだけの教師もいる。 そして、定期試験では 「試験対策プリント」 にある問題が、そのまま出題される。 試験で求められることは問題の解答を考えることではなく、いかに 「試験対策プリント」 を覚えたかということなのだ。

 受験校から 「教育困難校」 と呼ばれる高校に赴任した当初は、そのようなプリントの存在を知らなかった。 1学期の中間考査前のあるとき、担当している3年生のクラスで、ひとりの男子生徒が 「試験対策プリントはないの?」 と聞いてきた。 それは何なのか問うと、 「プリントがないと、俺ら点数取れないよ。 ほかの先生に聞いてみなよ」 と言われた。 そこで、ほかの教員に聞いてみると、すべての教員が作成し使っていることがわかった。

 その後、作成するようになったが、どんなに生徒に不評でも、100点満点の80点まではそのプリントから出題し、残りは試験範囲内で関連する問題にするというルールは崩さなかった。 少しでも生徒に考えさせたいという、ほとんど無駄な試みではあったが。 同じ高校生でも、定期試験の際、十分に準備勉強をしたうえで、教師がどんな問題を出すか予想問題を作って、その当たり外れを楽しむ高校生もいる。 その一方で、教師と共犯で、定期試験のときでさえ自分で考えない、自分では準備ができない高校生もいる。


「学ぶ力」 がなければ、どうしようもない

 実は、受験偏差値のあまり高くない大学で学生を教えている。 そこで、ほぼ毎年、高校時代の定期試験で試験勉強を行ったかを尋ねるアンケートを取っているのだが、試験勉強をまったくしていなかったと答える学生が、コンスタントに10%程度はいる。 それで、大学に来ようとし、入れてしまうこと自体が驚きだ。 さらに、試験勉強をしたと答えた学生に、どのような試験勉強を行ったかを尋ねると、 「試験前夜か当日朝の電車の中で、対策プリントと教科書をひたすら暗記」 「対策プリントをひたすら暗記」 「プリントで試験に出そうなところをひたすら書き写す」 といった、本来の試験勉強から懸け離れた回答が数多く見られる。

 学んだことの中で、どこが大事かを自分で考えようとしない、試験の問題は教師が教えてくれると思い込んでいる高校生を迎える企業や上級学校は、さぞ指導に悩まれていることだろうと推察する。 だが、彼らだけを責めないでほしい。 大事な試験の準備さえ自主的にできないようなったのは、家庭や学校にも大きな責任があるからだ。

 今後の社会では、 考えられる人、 主体的に学び続けられる人が求められると言われている。 そして、 そのような能力を持たない人々、 つまり、 現在の 「教育困難校」 の生徒たちは、 社会の中で安定した場を持ちえない存在になると危惧される。 彼らが学習に完全に背を向け試験勉強さえもしなくなる前に、 何かしらの手が打たれるべきだったのだが、 現実には彼らだけでなく、 彼らの予備軍にも何らのフォローもなされていないようだ。









 「教育困難校」 の生徒たちは、親から愛情をいっぱいに受けて育ったような痕跡がない。 親は日々の生活を成り立たせることに精いっぱいで、子に愛情を持って接する時間的余裕も精神的余裕もなかったのだろう。 あるいは、親が異性関係やギャンブルなど、自身の欲望の実現に夢中で、子どもにはほとんど興味を持っていない場合もあるようだ。 そんな家庭で育つ高校生たちは、親の愛情を渇望している。 ありえないと思えるほどひどい親に対して、子どもは憎しみながらも、その反面、愛情を哀れなほど求めているのだ。


親の愛情を得られるチャンス?


「不登校」は、親に対する愛情を渇望してのことなのでしょうか
 子どもたちが親の愛情を得られるチャンスと考える行動の典型が、不登校である。 不登校は、学校生活の中で生徒や教師の何かしらの行動によって、子どもの気持ちが傷つけられたことで起こると思われているかもしれない。 しかし、実際は、 「親の愛情を得たい」 「ほとんど自分と向き合ってくれない親と接する時間を持ちたい」 という気持ちからも生じていることが多い。

 親の愛情不足から不登校になった典型的な例を、紹介したい。

 その家族は地方都市の新興住宅地に小さな一軒家を構えている。 両親は共に40代初め、子どもは、今どき珍しい5人兄妹である。 この5人が、親の愛情、接する時間を求めて現在も日々苦心している。 彼らの父は、結婚当初は安定した職に就いており、30歳を前に長期の住宅ローンを組んで、現在の家を購入した。

 しかし、まじめで融通が利かない性格からストレスをためるようになり、転職に追い込まれる。 新しい職場にもなかなかなじめず、職場から帰宅後は職場での憂さ晴らしのために、寝るまでゲームに熱中するようになった。 その頃、すでに3人の子どもがいたが、家事や育児はいっさい手伝わなかった。 それだけでなく、自分の機嫌が悪いと子どものささいな行動を取り上げて、大声で怒鳴るようにもなった。

 その後も職場の人間関係が原因で転職を繰り返し、その都度、給料も労働条件も悪くなっていった。 しかも、子どもは相次いで生まれ、生活は一層苦しくなる。 そこで、母は、昼はスーパーのレジ打ち、夜はコンビニの深夜勤務とダブルワークで働くようになった。

 これまで、子どもたちの唯一の保護者であった母が、働きに出て家にいない時間が多くなったことから、子どもたちの不登校が次々と始まる。 母は、深夜勤務明けの朝5時ころ帰宅し、夫や子どもの朝食を作って送り出し、家事をしたり睡眠を取ったりしながら午後3時ころまで家にいる。 その後スーパーで働き、午後9時過ぎに帰宅。 そして、午後 11時半頃近所のコンビニに向かうという生活である。 時給の高い深夜のコンビニ勤務は、家計を考えるとどうしても欠かせないと、現在も週5日、このシフトで仕事をしている。 平日の仕事が休みの日は、くたくたになって泥のように寝ているという。 このような生活をもう5年以上も続けている母の頑張りは、驚嘆ものだ。 しかし、学校に通う子どもが家にいる時間と、母が家にいられる時間がほぼすれ違いになっている。 母が家にいる時間帯に、母と接したいと考える子どもたちが学校に行かずに、家で母にまとわりついているというのが、この家庭の常態になってしまったのである。


典型的なヤンキーの風貌や言動の裏には ……

 現在、上の2人は同じ 「教育困難校」 に通う高校生である。 限られた在宅時間の中で母は幼くて手のかかる弟や妹にどうしても目を向けるので、彼らの愛情渇望は学校に行かずに家にいても、満たされなかったようだ。 そこで、中学生の頃の彼らは学校には行かないものの、夜になると地元の仲間とつるんで悪さをし、何度も補導された。高校生になって、アルバイトを始め、少し落ち着いたと周囲から言われているが、典型的なヤンキーの風貌や言動の裏に、愛情の飢餓感と寂しさが見え隠れする。 しかし、学校では禁止されている2輪バイク免許の無断取得や飲酒・喫煙、さらに恐喝などでたびたび生徒指導の懲戒を受けている2人が、無事に卒業できるかといえば、それは悲観的に考えざるをえない。

 下の3人も、中学校、小学校でそれぞれ不登校になっている。 兄妹の仲は決してよくない。 限られた母の愛情を取り合うライバルだからだろう。 母は、心配しながらも、何もできないとあきらめている感がある。 そして、父は相変わらず帰宅後は寝るまでゲームに熱中している。 時々、 「俺は嫌でも会社に行っているのに、なんで学校に行かないんだ!」 と感情を爆発させることはあっても、子どもと真剣にかかわろうとする気持ちはいまだまったくみられない。

 この家庭は、居住市の就学援助は受けているが、生活保護は受給しておらず、母の努力でなんとか踏みとどまっている。 この家族にあきれる思いを持たれる人も多いだろう。 親としての自覚と責任感がまったく感じられない父。 父を少しも変えられない母。 自分たちの経済力を顧みず無計画に子どもを作ること。 確かに、彼らには責められる点は多々ある。

 確実に言えることは、小学校から不登校を続け、学力も低く、家族以外の人とのコミュニケーション能力を鍛える機会も持たなかった5人の子どもたちが、将来、経済的に自立できるような仕事に就けるか、非常に疑問だということだ。 両親がそろっているかいないか、子どもの数が多いか少ないかにかかわらず、親との時間を共有したいがために不登校になっている子どもたちは、全国に驚くほど多数存在する。 そのような子どもが増加する理由は何か、社会にも問題はないのか、あらためて考えてみる必要があると思う。





( 2017.01.13 )

  退



恋愛に異常なまでに関心を持つ背景には、家庭での寂しさがあった
 年末年始、テレビや新聞では家族だんらんや故郷への帰省を当たり前のように取り上げているが、今の日本では実際はそれらとまったく関係のない家庭も多い。 「教育困難校」 のほとんどの生徒の家庭がまさにそうであろう。




 「教育困難校」 の生徒には幼い頃から、年末年始を家族一緒にゆっくり過ごすという習慣はない。 サービス業に従事し非正規社員であることが多い親は、ほかの人が働きたがらず、そのために時給がよくなるこの時期こそ稼ぎ時であるし、生徒自身も同様の理由でアルバイトに忙しい。

 子どもの最高の楽しみであるお年玉も、故郷から切り離され、もらえるような親戚付き合いをしていないので、親以外からもらった経験がない生徒もいる。 その親からもらうお年玉の金額も、物心ついた頃から同額でまったく上昇しないという。 確かに、今の高校生が小学生低学年の頃にリーマンショックが起こっており、彼らは好景気の時期を知らないのだ。

 結局、年末年始も特別ではなく、家族がいつもより少し忙しく、いつもどおりバラバラに行動し、空いている時間はスマホに熱中することになる。 テレビドラマやCMなどから、家族だんらんはすばらしいものらしいという一般的な価値観は漠然とキャッチしながら、その実態を体験できない 「教育困難校」 の生徒は、 「家族」 に強いあこがれを持っている。

 そのうえ、無条件に親から愛されているという確信が持てず、つねに愛情渇望状態にもある。 親からの愛情はいくら待っていても得られないとわかると、愛情を注いでくれる新しい対象を求め始める。 思春期真っ盛りの高校生たちは、恋愛に異常なまでに関心を持ち、実際に行動する。

 「教育困難校」 の生徒たちに将来の夢を尋ねると、 「若いうちに恋愛結婚して、子どもを3~4人作って温かい家庭を築く」 といったステレオタイプの回答が非常に多い。 さらに、 「専業主婦になって子育てし、子どもに寂しい思いをさせない」 「子どもをたくさん産んで、子どもにいつもやさしい親になる」 といった、自分のこれまでの寂しさを吐露するような発言も多く出てくる。 いずれにせよ、少子化対策に悩む政府にとってはありがたい人たちだろうが、彼らの夢の実現は、現実にはかなり困難である。




 近年、若者を 「草食系」 と 「肉食系」 に区分する見方が流行しているが、 「教育困難校」 の生徒たちは、どんなに普段はおとなしくとも基本的に 「肉食系」 であり、それどころか 「恋愛依存系」 とも言うべき状態である。 それがなければ生きられないのかと思うほど、彼らが言うところの 「恋愛」 をひっきりなしに繰り返す。

 望んでも得られない親からの愛の代わりを求める彼らの 「恋愛」 は、誰かと出会うと一瞬にして 「恋愛」 と思い込み、後先を考えずに無軌道に行動し、すぐに終わる。 まるで、ねずみ花火のような恋愛だ。

 新しい恋人ができたとうれしそうに報告する女子高校生に、彼にいつ出会ったのかを尋ねると3日前などと答える。 「顔が、Hey!Say!JUMPの○○に似てるから」 とか 「最初に会ったとき、落ちたマフラーを拾ってくれてすごく優しかったから」 といった理由で、すぐに恋に落ちる。

 前の彼といつ別れたかを聞くと、 1週間前などと答え、その元カレとは3週間付き合ったと言う。 数日だけの付き合いという生徒も少なくない。 別れた理由は、 「なんとなく」 という自分でもわかっていないような理由が最も多いが、 「ラインがすぐに戻ってこない」 「お互いにほかの人が好きになった」 といったものから、 「ちょっとしたことでけんかしたらカレシがDVした」 などの深刻なものもある。

 自身の家族関係の中に、恒常的・安定的な愛情の形を見ることができなかった彼らは、一度 「恋愛」 モードに入ると、何のためらいもなく愛情が怒濤のようにあふれ出す。 そして、相手の事情を考えず相手からも同量の愛情を求め、何か問題が起こるとそこで突発的に終わってしまう。 2人で話し合い行動して問題を解決し、よりよい関係を長期間築いていこうという考えは、なぜかほとんど生じない。

 相手にもっと愛されたい、あるいは拒むと嫌われるかもしれないと性交渉を持つ。 これだけ性に関する情報が流れ、また、いくつかの教科で教えていても、妊娠を回避する策を取れればよいほうで、後先考えず欲望のままに行動することが多く、妊娠する女子高生は少なくない。 「教育困難校」 に勤務した経験のある教員で、女子生徒の妊娠事件に出合わなかった人はいないだろう。 秘密裏に処理される数は、想像もつかない。

 ある女子生徒の休みが増え、保健室の利用回数や、体育授業の見学が多くなると、ベテラン教員はおかしいと注意するようになる。 顔や身体全体は細くなることもあるが胴回りがふっくらしてくると、本人に確認する。 すると本人は拍子抜けするほどあっけなく認める。 高校生なのに妊娠してしまったという罪悪感はさほどないからだ。 その後、家族を呼んで善後策を講じることになるが、このときまで親は気づいていなかったという例がほとんどである。


退

 学校側としては一応、 女子生徒に高校を続けてほしいとのスタンスで臨むが、 当の本人は 「カレシが結婚しようって言うから」 と中退して産むことを選び、 親も 「子どものやりたいようにさせたい」 と言って止めようとしない。 学校側も、 この道を選ばれると内心ほっとする。 産んで高校生活を続けたいとなると、 生まれた子どもをどうするか、 ほとんどの場合、 里親を探すか児童養護施設に預けることになるのだが、 その方法を公的な情報に疎い親子と一緒に模索し、 説明しなければならないからだ。

 数ヵ月後のある日、 その元生徒が赤ん坊を抱いて高校にやってくる。 学校中を移動しながら、 次々と顔見知りの教員に子どもの顔を見せて回る彼女の顔は幸せに輝いている。 傍らには、 戸惑い顔の年若い有職青年が手持ちぶさたに立っている。 結婚式は挙げていなくても、 書面上正式に結婚して新しい家族ができた彼女は、 自分の人生の最高の目標を果たし、 まさに絶頂の時なのだ。

 この時代に、 夫婦ともに高校中退であることや夫が不安定な職業に就いていることなどから生じる将来への不安は、 彼女の頭にはよぎりもしないようだ。 彼らの今後の生活の不安定さが見えてしまう教員は、 今の彼女の幸福感・高揚感が少しでも長く続くように祈るしかない。