日本を墜落させた戦後教育への反論




 「教育は国家百年の大計」 といいます。
 今の日本を創ってきたのも教育ならば、これからの日本を創るのも教育です。
 「平等・人権・平和」 の名のもとに日本人の背骨とも言うべき 「精神」 を骨抜きにした 「戦後教育」 にお引き取り願い、本来の教育の目的を取り戻し、来世紀の子孫を苦しめることがないよう、切に願います。

塗炭の苦しみにあえぐ日本

 今の日本は、戦後の経済繁栄を築き上げたあと、その間に蓄積されてきた欠陥や、なおざりにしてきた課題が一挙に露呈し、相互に絡み合って、解決不能の局面にあえいでいるかのように思えます。
 政官民の分け隔てない、倫理観の喪失をはじめ、特に最近目立ってきた、学生や若者たちの破滅的な言動を見るときに、日本人というよりも、人間的な規律と規範の乱れが、急速に、しかも激しく若者たちや社会を蝕み始め、各所にその症状が現われ始めように思えます。
 この原因はいったい何なのか、そして、この窮地から脱するにはどうすればよいのでしょうか。


戦後教育50年の結論

  「 政策上の失策は、影響は大きいが、それに気付いて改めれば鏡面の曇りをぬぐうのと同じで痕跡は残らない。
 しかし、教育の場合は、アヘンのように全身に毒がまわって表面にあらわれるまでは歳月を要し、回復には幾多の歳月を要する 」 とは、かつての福沢諭吉の言葉ですが、まさに50年たった今、その症状が現われてきたと言えるのではないでしょうか。
 いま直面しているさまざまな不祥事や、若者たちの暴走の淵源を深く考えたとき、その原因はいずれも、戦後50年の間に教育が無視してきた、 「 道徳観や倫理観 」 の希薄化に行き着くと言わざるをえないと思います。
 最近、 「 平等主義が学校を殺した 」 という言葉を目にしましたが、私たちは確信をもって 「 人権・平等・平和 」 という戦後教育は完全に失敗であったと、勇気をもって結論を出す時期が来たように思います。


教育の目的とは何か

 現在の教育の問題点を考えたときに、まず思うことは 「 教育の目的を見失っている 」 ということです。
 教育は何のために行なわれるのでしょうか。
 その原点とはなんでしょうか。
 教育の真義とは 「物事の善悪を分ける力を身につけさせて、よりよき判断をするための智慧を獲得させること」 にあると思います。
 多くの間違いを避けるための 「 転ばぬ先の杖 」 を体得するための知識を教えることが 「 教育の原点 」 にあると思います。
 毎年毎年、次第次第に、悪を捨て、善を取ることが容易になってきてより早く善悪がわかり、より早く決断ができるよう導くことが、教育の理想であると思います。
 そして、善を取り、悪を捨てることが確実にできる人が、結局は立派な人であり、すなわちこれ 「 偉人 」 であるのです。
 ジョン・F・ケネディー( アメリカ第35代大統領 )は、 「誤った教育を受けた子供は、道に迷った子供である」 と述べましたが、特に今の日本の子供たちは、この善悪が判断できなくなり、行くべき方途を見失った迷子のようです。
 まさしく教育の失敗であり、教育の本来の使命が果たされていない結果ということではないでしょうか


人の心は自由にできない 原点は後ろ姿での教育

 昨今の教育関係者の発言を聞くときに、大変心配する事があります。
 それは、最近の学校の荒廃の責任を、子供たちに押し付けているように思えることです。
 子供たちに、 「 思いやりをもってほしい 」 とか 「 命の大切さを知ってほしい 」 などと、子供たちが変わることばかりを、要求しているように聞こえますが、そこには、大切な原則が見落されています。
 それは、 「 人の心は自由にできない 」 という黄金律です。
 自分自身を振り返ると、よくわかると思いますが、自分自身の心さえ思うようにならないのが真実ではないでしょうか。
 自分の心がままならぬのに、ましてや、他人の心ばかりを変えようと焦ることは、愚かなことなのです。
 まずは大人や親が、えりを正すべきであります。
 自分自身が人間としてどれほど立派な生き方をしているのか、これをよく、えりを正して考えてみることが必要だと思います。
 そして、背中でもって教育をする、後ろ姿でもって教育をするという方針を貫き、その 「 影響力 」 や 「 感化力 」 で子供たちを導いていくことが教育の原点であり、いま最も必要とされていることだと思います。


未来への希望は道徳教育の充実

  「 修身・斉家・治国・平天下 」 という言葉が、儒教の四書のひとつ、 「 大学 」 にあります。
 これは、心を正しくすることが、身を修めることになり、それが、家をととのえて、国が治まることにもつながるという意味です。
  「 修身 」 ・ 「 家庭における徳育 」 と言えば、古くて時代錯誤に過ぎないと軽視することは、あまりに愚かなことであります。
 今、父性的な 「厳しさ」 は影をひそめ、母性的な 「優しさ」 ばかりが、過保護や過干渉という形であらわれ、家庭のバランスが崩れています。
 そして、結局はそこから社会の混乱を呼び起こしているのです。
 この出発点には、当たり前のしつけができる親がいなくなり、情操教育( 人間の真なる生き方を子供に教えること )というものがなされなくなった状況があるように思います。
 あのノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士も、小さい頃から、祖父によって 「 四書五経 」 という中国の古典を素読させられ、そしてしっかり勉強していたという話が伝えられています。
 ですから、私たち大人や親はそうした古い教養書、または道徳書、あるいは宗教書、こうしたものをつね日頃勉強して、その中で心に留まる 「 光の言葉 」 というものを記億し、折りにふれて子供たちに伝えてあげることが、何よりも大事なことであると思います。
 今、教育界やマスコミには勉強自体を否定する空気があるように思いますが、これも間違っています。


「知は力なり」 「知ることは喜びである」

 本来、知ることや学ぶことは、人問にとって喜びなのです。
 ですから、まず、こうした徳育というものを家庭を中心に行ない、また、家庭以外の学校においては 「 真理をともなう知識 」 を獲得するための教育をしっかりと行なう。
 これこそが、多くの人々や社会に有為な人材を育て、希望の未来を開く鍵であると思います。