教育問題




ゆとりある教育

 ゆとり教育。 子供のことを考えているようで、聞えの良い言葉ではあるが、実態は曖昧な教育を子供に押し付けて、馬鹿に育て上げるという素晴らしい愚行である
 欧米などでは、 「 ゆとり教育は学力を低下させる 」 ということで、早くから否定されている。

 「円周率、およそ3」, 「四桁以上の計算は電卓で」
 これが馬鹿でなくて、なんであろうか

子供を駄目にする 「ゆとり」

 言うまでもなく、教育とは 「 教え育てる 」 ことであり、子供の考える能力、理解する能力などを伸ばし育むことである。
 結果や答えが全てではなく、その過程が大事なのだと私は思う。

 しかし、それを阻止しているのが、今の 「 ゆとり教育 」 である。
「 計算は電卓で 」
 別に悪いことでもなんでもない。 むしろ必要であり、便利なことである。
 だが、それを子供のころから押しつけて何か良いことがあるだろうか。

 言ってみれば、ゆとり教育とは教育を受ける子供の基本的な権利を妨害していることになる。
 なぜ、世間にたくさんいらっしゃる人権屋はそのことについて言及しないのだろうか。

競争無き社会が理想?

 これまで行われてきた 「 ゆとり教育 」 は明らかに学力の低下をもたらしています。
 文科省の全国統一テスト廃止など、客観的な事実データ集積の努力と、情報の公開を怠る姿勢は国民に対し説得力を欠きます。 子供の教育権は両親にあり、その付託を受けた行政が行う義務教育は学ぶ習慣づけと基礎学力の蓄積を行う責任があります。
 歪んだ戦後民主主義の悪平等と非競争を推進してきた一部の教育関係者と世論を恐れて格差を作らない教育行政が落ちこぼれを少なくする安易な解決法として指導内容の水準を下げたと疑われても仕方がありません。
 ( ゆとり教育に異論あり 「 学力低下 」 が経済活動の弊害にから )

 つまり、文部省は 「 落ちこぼれを一人前にする 」 ことを放棄し、 「 全体を落ちこぼれのレベルまで落とす 」 ことによって格差を無くしてしまおうと考えたわけだ。

 たとえば、反対論の中心になっている、学力低下を招くという意見に対しては、これはあくまでも最低基準であって、できる子には個別対応でどんどん学力を伸ばしてやっていいというようなことをしきりにいう。
 だが、ただでさえ忙殺されている今の教師に、個別対応をするだけの余裕がどこにあるというのか。
 そういうことを公式に許すだけの体制を整えているのだろうか。
 私立校のみならず、千代田区の小、中学校では、すでに土曜補習の方針を固めたそうである。
 ( 『 読売新聞 』 3月16日付 )
 休日出勤の手当はちゃんと出るのだろうか。 そもそもこれではいったい何のための 「 ゆとり教育 」 か。
 また寺脇氏は、 「 学力が低下したことを裏づける客観的なデータはない 」 といまだにうそぶいているが、客観的データはある。
 河合塾が20万人規模の受験生を対象に毎年行っている 「 クリニックテスト 」 で、95年と99年にまったく同じ問題を出して国語の成績を調べたところ、同じ得点でも95年では 「 中の上 」 にしか入れなかったのに、99年では、ゆうゆうと 「 上位 」 にランクされている。 つまり、平均学力が明らかに低下しているのだ。
 また、神奈川県藤沢市が中学生を対象に35年間続けているユニークな調査でも、かつてに比べて、 「 もっと勉強したい 」 と答える生徒の割合は低下し続け、ついに2000年には、 「 勉強はもうしたくない 」 と答える生徒の割合と逆転した。
 ( 『 神奈川新聞 』 2002年4月18日付 )
 そして一般に、この傾向は、成績が中以下の生徒において著しいことも明らかになっている。
「 ゆとり教育 」 実施後もこの事態が少しも好転せず、ますます悪化の度を強めていることが明瞭に見て取れる。
 ( 歴史上最愚策 「 ゆとり教育 」 の元凶を糺すから )

「 出来る子には個別対応で 」 と言っている時点で、もはや平等ではないことに、文部省の方々は気付いていないようである。

「お子さま中心主義」 的な自由教育の失敗は、60年代以降の20年間におけるアメリカの実験ですでに証明済みである。
 結果は惨憺たるもので、犯罪、ドラッグ、売春に走る青少年が激増した
 アメリカ自身だけではなく、他の先進国もみな、この結果を 「 他山の石 」 として 「 自由 」 概念の見直しに入り、それぞれに苦闘を続けている。
 愚策を早くあきらめて、日本人の知恵のありどころを示そうではないか。
 ( 歴史上最愚策 「 ゆとり教育 」 の元凶を糺すから )

戦後教育の弊害

 戦後は終ってはいない。
 何故なら、未だに反日教育がまかり通っているからだ。

 私の故郷は反日思想の凝り固まったところである。
 小学校の卒業式では、 「 国歌斉唱のときに起立をするな 」 と言われた。
 座っているほうが楽なので生徒の大半はこれ幸いとばかりに座っていたが、それでも数名の生徒は起立していた。

 現在、国旗国歌法が施行されたが、こういうものは本来、法律で強制するものではないと思う。
 しかし、反日自虐教育を過剰に推し進めた結果、そうするしかなくなったのだろう。

 何故、この国の人間は、自国の国旗や国歌を誇れないのか。
 ・・・全て教育のせいではないだろうか。

( 1 )教科書不採択運動
昨年の教科書騒動も本部は特定教科書の不採択運動はしない方針だったが、それに反した事を誇るが如く如何に各組合が特定教科書( 勿論 扶桑社本 )の不採択に力を入れたかを報告する。
例えば、千葉県高教組は 「 社会科教育分科会 」 で高校の授業内容でなく中学歴史・公民の扶桑社不採択に取り組む県民組織の事務局を組合内に置き、集会に組合員を動員したことを報告。
東京都高教組 「 平和教育 」 分科会の報告書は、いったん扶桑社の採択を決めた栃木県下都賀地区の教委に電報を打ったり、市・区役所を包囲する"人間鎖"に組合員を動員したと報告。
さすがに嫌がらせ・脅迫電話・放火の事は触れて無さそうだが。
愛媛教組は県立擁護学校の扶桑社採択決定の撤回運動の記述と 「 子供達に一人たりとも使わせたくない教科書 」 と主張。
鹿児島県高教組は日教組本部の方針を変えよと主張。
( 2 )慰安婦
中学歴史教科書で慰安婦につき記述するものは従来の7社中7社から今回8社中2社と少なくなったが、大阪府教組は南京虐殺や慰安婦について教えよと指導する 「 平和教育資料ー戦争関連教材 」 を発行。
( 3 )国旗・国歌
千葉県高教組は昨春の県立高校の入学式・卒業式で開式前に国歌のテープを流しただけで 「 斉唱 」 としたことを反対運動の成果と強調。
( 4 )同時テロ・テロ特措法反対
「 真の狙いは・・・・中央アジアに拠点を築きたいアメリカに協力、アメリカの為の戦争に日本の青年を駆り出し、日本全土を戦場にする事を表明している 」 と過激派顔負けの主張。
( 5 )自衛隊
東京都高教組は進路調査で自衛隊入隊を希望する生徒に対し 「 自衛隊の本来の役割( 軍隊 )を話し、人を殺す事になるかもしれないから 」 と説得し止めさせたことを報告。
また昨年9月に東京都が行った総合訓練 「 ビッグレスキュー東京2001 」 で都立高が使われた際に 「 監視行動 」 を行ったと報告。 ( 反日度を競う日教組集会から )

 そういえば最近、靖国神社へ行って来た。 参拝はしなかったのだが、資料館( 遊就館 )をじっくりと見てきた。 私はこれまで、ここほど歴史的事実を客観的に追っている施設を見たことがない。 自虐もせず、肯定もせず、ただ淡々と歴史を追っているのである。

 資料館の最後には、感想を書くためのノートが何冊か用意されていた。 何気なく読んでみたのだが、大抵は 「 散っていった人たちのためにもこの国をより良くします、頑張ります 」 「 日本を守ってくださってありがとう 」 という感謝の念が書かれているのだが、それに混じってこんなことを書いている人もいた。 「戦争賛美は同じ日本人として情けなく思う」 …… 事実を客観的に並べているだけで、戦争賛美になるのである。 つまり彼らは、日本の歴史は自虐的に描かれていないと、 「戦争賛美」 になってしまう のだ。

 これが戦後教育の功績である。 歴史を単なる事実と受け取れず、主観のみを追い求める。  これを思考停止と言わずして、なんと言えば良いのか。 非常に可哀相なことだと私は思う。

日本教職員組合( 日教組 )の実態

花子 「 “日教組”の実態を説明して下さい 」
先生 「 教師の多くは学校で働く“労働者”であることを自認し、科学的に真理に立って行動し、団結して正しい政治の為に闘うことを標榜する“社会主義イデオロギー”を信奉する“政治団体( 社民党 )”に属していて、真理ならぬ科学的真理“マルクス主義”の実現の為に“国家と敵対”し、教育基本法8条2項が禁じるところの“特定の政党を支持”し、又はこれに反対するための“政治教育”その他“政治的活動”を白昼堂々と“教育の現場”で“子供達を巻き込みながら”行ってきた教師の集団です。 反省しています。 」
京子 「 “教師”及び“教師集団”が社会主義イデオロギーに基づいた “偏向教育の主体”であることが判明した訳ですね 」
先生 「 恥ずかしながら、そういうことです 」
 ( 日教組とはから )

 そもそも戦後の日本自虐教育は、GHQによって推し進められてきた。 これまでの日本の教育では、いつ、またアメリカに牙を向くかも分からないからだ。 GHQが天皇制を廃止しなかったのも、そのためである。 天皇制を廃止してしまったら、日本国民の反米感情が高まり、連合国軍は永久的に多大な人員を割いて、日本を統治していかなくてはならない。 そう考えたのである。

 だが、自虐教育は度を越え、共産主義にまで発展してしまった。 お笑いである。 アメリカの方針によって、アメリカの毛嫌いする共産主義に傾倒してしまったのだから。

 しかし、私が思うに、事はそんなに複雑ではない。 日教組としては共産主義であろうとなかろうと、売国主義であればなんの問題もないのだ
 日教組の反日教育により 国家観のない日本人が増殖し、経済界も利益最優先の経済人一色に染まってしまったのである そのため未だ日本の基礎は占領政治時代と変わっていない。 経済も政治も占領政治の余韻を引きずり、アメリカに依存している。 それどころか、占領軍によるプロパガンダはことごとく功を奏し、今や国民のほとんどが、自虐史観、東京裁判史観にどっぷりと浸っている。 先人たちの努力により第三の国難は克服できたものの、国富んで現代人は精神を忘れ、第四の国難を招いてしまった。
 ( 前野徹著 「 第四の国難−日本崩壊の地鳴りが聞こえる 」 )

 戦後生れのほうが多くなってきた。 次の政権を担うニューリーダーたちも戦後世代である。 ところが彼等は完全に戦後の洗脳教育染まっていて、正しい歴史認識がない。 歴史を客観的に勉強するという努力も怠っているので、植え込まれた歴史観を素直に信じて過去を否定している。

 日教組による、過去の日本を卑しめる偏向教育は戦後生れの人々を 「 反日日本人 」 に仕立て上げた。 国家に反逆するのが当たり前で、悪である国は何が何でも潰さなければならないという誤った価値観で、1960年代、全学連による学生運動が盛り上がった。 その反日日本人が今は親の世代である。 彼らが子供たちに“国を大切にしろ”、“公のルールは守れ”を教えるだろうか 教えないに決まっている。
 ( 日教組とはから )

 少し話しはそれるが、日本の左翼は厳密には左翼ではない。 左翼とは、革新的な方法を用い、自国を発展させる思想のことである。 愛国心がまずその思想には不可欠なのである。 そして右翼とは、文化や歴史を重んじ、それによって自国を発展させようと考える思想のことである。 日本の左翼は、愛国心など欠片もない。 単なるアナーキズム( 無政府主義 )である。 なので、日本の売国奴達を左翼と呼ぶのは、実は正確ではないのである。

 それと同じで、日本の右翼も少し毛色が変わっている。 街宣右翼は除外して話しを進めるが、日本の右翼は非常に革新的である。 売国思想によって築かれた教育方法、過剰な人権擁護に守られている犯罪者、裁判所の堕落、少年法。 これらを国益に反すると見なし、改革を迫る。 これまでの反日自虐教育を一掃しようと考えている。

 このように、日本の右翼や左翼は世界のそれとは少し変わっている。 これもまた、教育のなせる業である。

 なぜ、教育白書はこれらの問題点に目をつむるのでしょうか。 それは、日教組らの教職員組合と文部省が、いつの間にか癒着してしまい、両者がなれ合いの関係になってしまったからだと思います。 癒着のきっかけは、学校の週休二日制です。 学校の週5日制に反対意見が多かった世論を排してこれを実現するために、文部省と日教組が同じ公務員として共闘関係になってしまったことです。

 そして、これを契機に左翼運動が行き詰まった日教組と、細川内閣のもとでの社会党の政権参加により方向を見失った文部省が手を握り、両者が 「 歴史これ以後文部省は日教組を批判できなくなってしまったのです。 現在の学校荒廃の原因のほとんどは、日教組らによる学校の組合管理にあると思います。 その日教組に何も言わない、何もしない文部省などは存在する意義がありません。

 白書は教育改革の成果として、 「小学6年生の授業時間数が1,015時間から945時間に、およそ3割減ったこと」 を挙げていますが、 授業時間が減ったことがどうして 「成果」 なのでしょうか? 代わりに何かしたのでしょうか? 授業時間が減ったことを 「 成果 」 と認識するのは、労働組合の発想です。 文部省が労働組合と同じ発想をしていたのでは救いがありません。
 ( 問題を避けて通っている教育白書から )

 日本はとても良い国だ。 思想の自由、言論の自由が保証されているだが、それを他人に押し付け、洗脳するのは 「自由」 でもなんでもないそして、それを堂々と日本の教育者達は行っているのである

 中国共産軍の捕虜になった米兵が、3ヶ月後に母国へ戻った。 その米兵は立派な共産主義者になっていたという。 日本では、9年間の義務教育で、教育と称した洗脳が行われている。

 母国を批判し、否定する思想を持った子供たちが、毎日生産されているのである。

日本国旗 「日の丸」 ・日本国歌 「君が代」 に断固反対するワケ

Q: 「 日の丸・君が代 」 に戦争責任はないのでは
A:( 略 )現在でも、戦争の加害者として良心の呵責に苦しむ日本人や、被害者として 「 日の丸・君が代 」 を見ただけで、戦争の悲惨な状況を思い出し、かつて覚えた恐怖心や嫌悪感に身震いする人々も多くいるはずです。
日本国が従軍慰安婦問題などに、積極的に国家としての戦争責任をとろうとしない限り、また、真の意味で世界の平和に寄与する 「 平和な国・日本 」 とならない限り、 「 日の丸・君が代 」 が人々の気持ちを和らげるまでには至りません。
その意味で 「 日の丸・君が代 」 を戦争責任の問題と切りはなして考えることはできません。 まず、 「 日の丸・君が代 」 を操作する日本国が、世界の代表として 「 平和 」 を実現していくことが先決でしょう。
 ( 「 日の丸・君が代 」 強制反対一問一答集から )

 上の引用を読んでいただければ分かると思うのだが、日本の国旗国歌に反対する方々は、 「 嫌悪感に身震いする人々も多くいる“はず”だ 」 という憶測で動いているのである。

 長いので省略して引用させていただいたが、原文を読めばさらに言っていることが支離滅裂で、何を伝えたいのかが分からない。
「 国旗や国歌はモノであり、モノを扱うのは人間であり、そしてそのモノを扱った 日本人は悪いことをした、だからその扱われたモノも悪い 」 とどうしても私には読み取れてしまうのだが・・・。
 なんだか化かされてるというか、 「 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い 」 というような気分だ。

 蛇足ながら、日本は彼らのよく言う 「 戦争責任 」 に対してちゃんとした対応を取っている。

 そしてその一問一答集に対する反論はこちらである。

Q: 「 日の丸・君が代 」 に戦争責任はないのでは
A:まったくその通りです。 「 戦争責任がある 」 なんて言い出したら、星条旗だってユニオンジャックだって戦争責任のかたまりになってしまいます。
日教組を中心とする偏向教育や、中国や韓国の反日教育のかいがあって、現在でも戦争の加害者として良心の呵責に苦しむ日本人や、被害者として 「 日の丸・君が代 」 を見ただけで、戦争の悲惨な状況を思い出し、かつて覚えた恐怖心や嫌悪感に身震いする人々もいるようです。
しかしそのような、一部の方々を引き合いに出し、学校教育の場を混乱させるのは、筋違いです。
 ( 「 日の丸・君が代 」 強制反対一問一答集から )

 自国の国旗や国歌すら大事に出来ない人間が、人に教育を施せるのだろうか。

 自分達の子供が通う学校でどのような教育が行われているのか、校長のリーダーシップと日教組の力関係、それを窺い知ることができるのが卒業式です。
 国旗国歌を尊重するというと、すぐに、 「右翼だ」 「反動だ」 などと、レッテルを貼りたがる人たちがいます。 そういうことを言う人たちは、間違いなく、進歩的? 左翼といわれる人たちです。
 自分の国をけなして、メシを食っている人たち です。 自国の国旗や国歌をたいせつにしない国は世界中さがしても、わが国の過激派左翼陣営ぐらいのものです。
 ワールドカップでよく判ったではありませんか。
( 卒業式の調査から )

GHQの功績

「 GHQの民間情報教育局( CIE )の“ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム”は“戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画”であった。
 “太平洋戦争史”はまず新聞を通じて開始された。 その前書きは以下の通り。

 日本の軍国主義が国民に対して犯した罪は枚挙に遑が無いほどであるが、そのうち幾分かは既に公表されているものの、その多くは、未だ白日の下に曝されておらず、時のたつに従って次々に動かすことの出来ぬ明瞭な資料によって発表されて行くことになろう。
 これらの戦争犯罪の主なものは軍国主義者の権力濫用、国民の自由剥奪、捕虜及び非戦闘員に対する国際慣習を無視した政府並びに軍部の非道なる取扱い等であるが、これらのうち何といっても彼らの非道なる行為の中で最も重大な結果をもたらしたものは"真実の隠蔽"であろう。
( 中略 )
 今や日本国民は今次戦争の完全なる歴史を知ることは絶対に必要である。
 日本国民はこれによって如何に敗れたか、又何故に軍国主義によってかかる悲惨な目に遭わねばならぬかを理解することが出来よう。 これによってのみ日本国民は軍国主義的行為に反抗し国際平和社会の一員としての国家を再建するための知識と気力とを持ちえるのである。 かかる観点から米軍司令部当局は日本及び日本国民を今日の運命に導いた事件を取扱った特別記事を提供するものである。

 その後従来の“国史の教科書”の使用を禁じて、新たな教材としてこの“太平洋戦争史”を使用することを強制した。
( 誰が教育を滅ぼしたかから )

 これが 「 日本自虐教育史 」 の始まりと思って良いかもしれない。 そしてこのプログラムは大成功を収めることになる。

 昭和24年1月1日マッカーサーは、 「 国旗の無制限掲揚許可に関する総司令部覚え書き 」 によって、日本国民は自由に 「 日の丸 」 を掲げられるようになりました。 しかし国民の反応は、このようなものでした。

 … マッカーサーは、これからは 「 平和の象徴 」 として 「 日の丸 」 が 「 日本国民の一人ひとりをふるい立たせる輝く導きの光としてひるがえらんことを心から念願 」 したが、日本国民はいっこうに 「 日の丸 」 を掲げようとしなかった‥‥昭和25年2月の朝日新聞の全国世論調査によれば、国旗を持っている人は73%いるが、その中で祝祭日に 「 日の丸 」 を掲げる人は30%にすぎず、国旗を掲げない理由として、 「 国旗を出すと世間から軍国主義者のように思われるから出さない 」 「 誰も国旗を出せといってこないし、出さなくとも誰からも文句がこないから 」
( 『 検証戦後教育 』 )

 この頃から、今の国旗嫌いの現状が始まったのです。 見事な大成果です。
 ( GHQの政策により、 「 国旗 」 の自由掲揚は禁止されていたが‥‥から )

「 実際には“日米の国家間の対立が先の戦争の原因”であるにも拘らず、“日本の軍国主義者と国民との対立の図式”によって戦争の原因を分析している。 “反日日本人”はこんな簡単な“アメリカのごまかし”に今でも気付かないのだ 」

「 軍国主義者と国民の対立という“架空の図式”を導入することによって、国民に対する罪を犯したのも、現在及び将来の日本の苦難と窮乏も、“全て軍国主義者の責任”であって“米国には何らの責任もない”という論理を展開した訳だ 」

 「大都市の“無差別爆撃”も、“広島・長崎への原爆投下”も軍国主義者が悪かったから起こったのであって、“アメリカは少しも悪いところがない”と言いたいのである。 まともな書物を読めば今ではこんな理屈に騙される訳が無いのだけれど、“反日日本人はアメリカに完全に騙されているのに気付かない”。 もう馬鹿としか言いようがない

 ( 誰が教育を滅ぼしたかから )

 要するに元はアメリカによるプロパガンダであったというわけだ。 そしてそれが、時代が流れるにつれ、共産主義賛美になっていった。 そういう連中が、 「 世界平和 」 などと言って日本やアメリカを叩いているのだ。

 そもそも世界史という教科は、戦後GHQによる日本占領政策の一環として国史の学習時間を減じるために取らせた措置がその根幹となっており、世界中のどのハイスクールにも世界史なる教科はない。 ( 大学においては、西洋史、東洋史の講座はあるが )

 その世界史が必修で、国史たる教科が必修ではないとは、何と嘆かわしいことであろう。 しかし、その嘆かわしい現実をはっきり認識できていない、現場の日本史教師がいることは実に危険なことであると私は思う。

 私の職場の国語教師に、 「 国語科 」 とはいうが 「 日本語科 」 といわないのは何故かと質問したところ、単に日本の言語だけではなく文学や日本人の精神文化など心の教育も含めているので 「 日本語 」 とはいわずに 「 国語 」 というのである、との答が返ってきた。
 ならば、 「 日本史 」 とは、単に日本の歴史のみを学習する教科で、そこには日本人の信仰や宗教などの精神文化を含めた日本文化の総合学習としての要素は無いのであろうか。 歴史教育とは、それでよいのであろうか。 それは違う、断じて違うのである。

 ( 歴史教育を考えるから )

 GHQから日教組へ、自虐教育は流れていく。

昭和20年( 1945 )、終戦
 GHQは日本人から愛国心を剥奪し、日本を弱小国とするべく様々な政策を実施する。
 修身、歴史教育、国旗掲揚の禁止等がそれである。 この背景には、大国アメリカに対抗した日本への憎悪、恐怖、蔑視があった。 さらに民主主義を広めるために政治活動を奨励する。
 マルクス主義者の羽仁五郎が全日本教員組合を結成し、 「 いかなる真理であっても強制はいけない 」 という理由で、教育勅語を廃止に持ちこむ。
 強制、管理、抑圧を否定する戦後教育イデオロギーはここから始まる。
 日本における革命を煽動したコミンテルンの狙いは、ソ連を守るために日本国内で騒乱を起こして日本を弱体化することにあった。
 戦後教育とはまさにアメリカ( GHQ )とソ連( コミンテルン )の謀略であったといえる。
 ( 民主教師が国旗国歌を執拗に反対するのも、米ソの日本に対する憎悪をそのまま受け継いでいるからである )
昭和20年代( 1945〜1955 )
 日教組が全国の学校を支配下に置き、勤評闘争やストに明け暮れた時代。
 この影響をもろに受けたのが、団塊の世代である。 階級闘争イデオロギーを注入された団塊の世代が、高校紛争や大学紛争、あるいは70年代の反体制文化の担い手となったのは当然の帰結である。
 団塊世代の発想は、反権力、反体制、平等主義、自主性尊重というまさに戦後の日教組思想そのものであり、結果として、秩序の崩壊、モラルの低下、家庭崩壊、コギャル発生と、次々と悪しき要素を生み出している。
 団塊世代は今、マスコミや各種団体の中枢におり、戦後思想を組織的に敷衍している。
「 ゆとり教育 」 「 フェミニズム 」 「 セクハラ問題 」 「 少年法擁護 」 「 夫婦別姓 」 等、数え上げたらきりがない。
 これらは一見正当に見えるがゆえに、背後にある危険なイデオロギーに気づくことなく、世間に浸透しているのだ。
 ( 戦後教育暗黒史から )

自虐教育によって生産されてきた 「戦士」 たち

 ところで、今話題になっている自衛隊イラク派遣についていろんなところで反対デモなどをやっているが、これを見てほしい。
 これは2003年12月の、クリスマス・自衛隊派遣反対デモの様子なのだが、右側のプラカードに注目してもらいたい。
「 北朝鮮に核兵器を持つ権利を! 」 とハッキリと書かれている。 さらに少し左側のほうのプラカードにも、 「 中国人戦争被害」 などと書かれている。
 もはやなんのデモかも分からない状態である。 これが日本の自虐教育に育まれてきた、進歩的文化人の姿である。 まぁ、こんなものはよっぽど酷い例だと思いたいが…。

 そして、その 「 自虐戦士達 」 の被害者は、すぐ近くにいる。 巨大掲示板群 「 2ちゃんねる 」 での書き込みだが、これを見てもらいたい。

516 名前:HB 投稿日:04/02/20 02:36 ID:+jN5gcVL

私は昔日本の軍隊が酷いことをしたからこれは素直に申し訳ないなと思います。 だからお話も真剣に聞いていました。
お話が終わって、信じられないことを私たちは要求されました。
司会をしていた男性が 「 このおばあさんに手をついて謝りましょう 」 と言ったのです。
うーん、確かに私たちは日本人だけどなんで手をついてまで謝らなくちゃいけないんだろう、と疑問に思っていたら先生方が 「 じゃあ、みんな正座して頭を下げて申し訳ありませんと言いましょう 」 と言いだし、先生が 「 申し訳ありません 」 とまず頭を下げました。
突然のことにみんな少し唖然としていると、 「 ほらっ、はやくやらんかー! 」 と先生の怒鳴り声!私のクラスのちょっと悪い男の子達が 「 なんで土下座しなきゃなんねーんだよ! 」 と口答えすると一番体格のいい教師が強引にそのこと達を座らせました。
(2chねらーのメモ・かの国 修学旅行=謝罪旅行から)

「 ネット上での書き込みなんか信用できない 」 と言う方もいるだろう。 しかし、頭ごなしに否定する前に、こちらも併せて読んでいただきたい。

【 ソウル5日=黒田勝弘 】

 卒業式の 「 日の丸・君が代 」 問題を苦に校長が自殺した広島県立世羅高校が毎年、生徒を修学旅行で韓国に送り、ソウル市内にある独立運動記念公園で謝罪文を朗読するなど“謝罪行事”をしていたことが明らかになった。

 5日付の韓国日報が社会面トップ記事で伝えたもので、記事には、生徒たちが市民の前でひざを折り、頭を垂れている写真が添えられ、案内を担当した年配の韓国人通訳の 「 生徒たちのまじめな表情に感動した 」 という感想も紹介されている。
(Sankei-itimen 韓国に 「 謝罪修学旅行 」 広島・世羅高校から)

 貴方に息子、あるいは娘がいたとしよう。 その子が、修学旅行の時に言われのない謝罪をさせられ ていたらどうだろうか。

 それを、なんの疑問もなく生徒に押し付け、そして強制謝罪をさせてしまう学校が、日本には存在する。 下記の総括に教育勅語の話しがあるが、強制を最も嫌うはずの教師達が、謝罪を 「強制的」 にさせるのである

 


総括

 教育とは 「教え育むこと」 である。 「 教育的に一番良いやり方はこれだ! 」 と結論付けることは不可能だろう。 教え方や育て方は人それぞれだからだ。
 だが、思想主観を押しつけるような教育はすべきではないと断言できる。 そんなのは教育ではない、洗脳である
 よく、 「 悪名高い教育勅語 」 という文章が書かれている本やサイトがある。 教育勅語とはなんなのかを見てみると、こうである。

 私( 明治天皇 )が考えてみるに、我の祖先である神武天皇以来の歴代の天皇が、国をひらき、また、徳を樹ててきたことは非常に幅広く奥深いことである。
 我が国の国民が、国家にまごごろを尽くしながら、また両親を大事にしながら、皆が心をひとつにして、先祖代々国を美しく保って来たのは、我が国の国柄の神髄であり、教育の根源も、実にここにある。
 あなた達国民は、父母を大切にし、兄弟に友人に夫婦共にむつまじくし、友人と信じあい、慎み深く自分を見つめ、全ての人々に対して優しい心を持ち、学問を修めて業を習い以って智能を啓発し、自らの才能を発揮し、自ら進んで公益を広め、世の中の努めを果たし常に憲法を重んじて国法に遵い、国家に危機が迫ればその勇気を公に奉じそれらの事を通じて永遠に続く我が国の運命の一翼を担って欲しい。
 これらのことは、単に我が国の良い国民であるというだけでなく、あなた達の祖先が残してくれた良い風習を大切にすることにもなる。
 この道は実に歴代天皇が残してこられた教えであり、 その子孫である私と、国民が共に遵守すべきことである。
 これは、古来より伝わる教えや現在の教えに照らしても間違ったことではなく、外国の道理に照らしても外れたことではない。
 私もあなた達国民と一緒にこれらの事を忘れないようにして、皆が其の徳をひとつにすることを願っている。

明治二十三年十月三十日
御名御璽
( 教育勅語の訳文から )

つまり…
1.親に孝養をつくしましょう
2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう
3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
5.自分の言動をつつしみましょう
6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
7.勉学に励み職業を身につけましょう
8.知識を養い才能を伸ばしましょう
9.人格の向上につとめましょう
10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう
 ( 教育勅語から )

 古き良き時代の日本であり、世界に礼賛されていたころの日本人の精神である。 なぜこれが 「悪名高く」 なるのかがまったく分からない。 「強制だったから悪いことだ」 と考える人々に聞きたい。 こんな基本的とも言えることを強制されて、何か不都合でもあるのか、と。

 これを無くしたがために、現状の日本はご覧の通りである。 今からこの教育勅語を復活し、強制せよとは言わない。 だが、道徳の時間でじっくり教えることは出来るし、また、必要なのではないだろうか。

 なぜ、売国者たちがこの教育勅語を毛嫌いするかが、理解できたのではないだろうか。 連中は、今の日本人たちに誇りを持ってもらっては都合が悪いのである愚民教育を施し、腑抜けにしておかないと自分の思い通りには動かないと考えているのだ。 思想は自由である。 だが、安易な売国行為は、それを商売としている連中の手の平で踊らされているだけに過ぎないことに、早く気付いたほうが良いのではないだろうか。

 現代においても教育勅語を高く評価し、学校の教育理念としている人がいる。 意外にもその人は台湾人で、東方工商専科学校を創立した許国雄氏である。 氏はことのほか日本文化を大切にし、 「 新世紀綜合大楼 」 というビルの十階に日本間をつくった。 床の間には、伊勢神宮の神棚と 「 天照皇大神 」 の掛軸があり、その向かいの壁に 「 教育勅語 」 が掲げられている。

 氏曰く 「ここに掲げているのは、日本語の教育勅語ですが、他に漢文、英語、フランス語、ドイツ語の教育勅語もあります。 日本には教育勅語がないから、夫婦相和さず、離婚率が高いのです。 朋友が信じないから 「いじめ」 が絶えないのです。 「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉」 ずる精神が失われたから 「陸軍記念日」 も祝われず、国会で謝罪決議さえ行うのです。 台湾には、大和魂があるから、選挙の時に中共( 中華人民共和国 )から台湾沖にミサイルを三発撃ち込まれても、ビクともしませんでした。 能登半島沖に北朝鮮からノドン一号が打ち込まれましたが、日本の反応はいかがでしたか」。

 日本でも三重県の私立皇學館高校が教育勅語を教育綱領としている。