高齢者が増え、若者が減っている。 その若者の頭が悪くなっている。 ついでに大人もバカになっている。 この国に未来はあるのか? 




 子供の頃、友達が 「バッカだぁ~」 とバカにすると、バカのひとつ覚えみたいな紋切り型を言い返す奴が多かった。 「バカって言ったら自分がバカなんだぞぉ~」
 そいつも相手をバカ扱いしているのだから、同じ穴のむじなである。 結局、 「だったらおまえもバカじやん」 「またバカって言ったから自分がバカ」 「おまえもバァ~カ」 「自分がバァ~カ」 ……と、バカの無限ループに陥るのだった。 本当にバカである。
 ともあれ、あんまり人のことをバカ呼ばわりしてはいけない。 私自身、物書きなのに驚くほど知識や教養が足りないし、息子に算数を教えていると自分の学力低下のほうが心配になるタイプだ。
 しかし街を歩けば、あちこちで 「こいつバカじゃねぇ~の?」 と内心で毒づかずにはいられない。 世間のバカ濃度は確実に高まっている。 そう見えるのは、私か歳を取ったせいばかりではあるまい。 たとえば次のようなバカは、30年前の日本にはほとんどいなかった。 現在、私の中で軽蔑度ナンバーワンはコレだ。
 「閉じた傘の先端を後ろに向けて腕をブンブン振る人」
 危ないんだよおまえらは。 しかもそういう奴にかぎって、やけに元気よく颯爽と歩くのだ。 殺傷能力が倍増するじゃないか。 上りの階段でこの 「歩く凶器」 が目の前にいた日には、傷害未遂容疑で私人逮捕したくなる。 しちやダメなんだろうか。
 その歩き方からして、たぶん彼らは 「前向きな人」 なのだろう。 だから背後への注意が疎かになる。 やっぱり、前向きな入ってときどき危険だ。
 だが、危なっかしいバカは他にもいる。 とくに怖いのは自転車で、今や3台に1台は 「走る凶器」 だ。 ベルも鳴らさずに5cm脇を猛スピードで抜き去っていくから、歩行者は命がけである。 私など、ほんの少し進路変更するだけでも絶対に後方確認を怠らない。 後ろ向きな性格で、本当に良かったと思う。
 ただし、後ろをケアしていればいいというものではない。 脇の路地からノンストップで飛び出してくる奴もいる。 もっとも、歩行者は歩行者で携帯メールを打ちながら前方確認さえせずに( おまけにイヤホンで聴覚も遮断して )歩いているから、どっちもどっちだ。 そんな奴らが事故を起こしても同情はしかねる。 路上で 「バァ~カ」 「バァ~カ」 と永遠に罵り合ってなさい。
 一体なぜ、こんなに不用意&不用心な日本人が増えてしまったのだろうか。 こういう輩に共通するのは、 「予測されるアクシデントヘの鈍感さ」 だ。 要は平和ボケなのだろう。 最悪の事態を想定せず 「どうせ自分は安全だ」 と油断しまくっているから、バカに見えるのである。
 この油断バカが増えると、いずれ傘の切っ先に顔面を突き出し、わざと自転車に轢かれて治療費や損害賠償を請求する 「当たり屋」 が横行するに違いない……と心配していたら、もう現われた。 自転車禁止地域で自転車に乗っていた女性に接触し、 「携帯電話が壊れた」 と修理代を要求した男が神戸で捕まったという。
 これは電車内の化粧や飲食にも使える手だ。 揺れた拍子に体をぶつけ、口紅やファンデーションやハンバーガーのケチャップなどを洋服につけさせるのは、その道のプロにとってそう難しいことではない。 マスクもせずに咳やクシャミを盛大にしている人も、イチャモンの専門家にかかったら、財布の中身ぐらいは持っていかれるだろう。
 当たり屋に期待しちゃいけないが、これが頻発すれば、少しはお行儀が良くなるかもしれない。 躾には、多少の恐怖も必要なのである




 道を譲った相手に頭を下げられることが、めっきり少なくなった。 恐縮するどころか、こちらの顔さえ見ずに素通りする奴がほとんどだ。 透明人間になったような気分だが、 「チッ」 と舌打ちしても反応を示さないから、透明人間以下の認識かもしれない。
 もちろん、実際はこちらの姿が見えていないはずがないし、 「オレ様は先に通って当然」 と傲慢に構えているわけでもないだろう。 おそらく彼らは、相手がなぜそんなことをするのかが理解できない のだと思う。 想定外の事態にどうリアクションしていいかわからないから、ポカーンと通り過ぎるしかないわけだ。
 なにしろ、今や 「譲る」 という行為は絶滅危惧種みたいなもの である。 道を譲らないのはもちろん、ルールで決められた順番さえ守らない者が多い。 その代表がコレだ。
 「降りる客を待たずに真正面から電車に乗ろうとする人」
 これは、電車がらみのマナー違反としては例外的に、若者より中高年世代に多い。 歳だから座りたいのはわかるし、 「どうせ若い奴は譲ってくれない」 と思うから焦るのだろうが、ドアの正面で微動だにせず突っ立っていられる神経は不可解だ。 躾のなっていない若者ならともかく、中局年は 「ホームに電車が来たらドアの脇に避けて待つ」 という無意識の身体作法が染みついているはずである。
 ところが、長年かけて設定されたプログラムが書き換えられ、 「考えなくても自動的に避ける」 が 「何も考えずに立ちふさがる」 になってしまった。 これはおそらく、世の中の価値観が転倒した せいだ。
 というのも、昔の日本人は 「譲られる」 に敗北感を抱いた。 だから道を譲られるとペコペコしたのだが、今は 「譲る」 が 「負ける」 とほぼ同義である。 グローバリズムの影響なのか何なのか知らないが、交渉事で遠慮して譲歩すれば、その見返りは期待できない。 逆に相手につけ込まれ、譲りたくないものまで譲らざるを得なくなる。 つまり 「情けは人のためにしかならない」 時代になったのだ。 そんな変化に過剰適応した結果が、 「降りる人に道を譲れない身体」 ではあるまいか。
 そういう人間にとって、電車の乗降口は譲り合いの場ではなく、自由競争のスタートラインである。 弱肉強食の世界だから、恥を外聞も関係ない。 「絶対に座る」 とマナジリを決して突進し、無事に座席をゲットしたおばさん連中の表情に羞恥はなく、実に晴れやかだ。 勝ち誇ってさえいる。 まるで、自らの 「努力」 によって 「得」 をしたことを、賞賛されるべき立派な行為だと思っているかのようだ。 努力を怠って座れなかった 「負け組」 は、報われなくて当然だと思っている。 「みっともないことをしなさんな」 とたしなめれば、 「金儲けは悪いことですか?」 の村上某のように、 「空席に座るのは悪いことですか?」 と涙ぐむだろう。
 そんなご時世だから、 「道を譲る人」 は 「親切な人」 ではなく、 「自分からわざと負ける変な人」 でしかない。 たとえば同点で迎えた9回裏2アウト満塁の場面で、相手バッテリーが敬遠策を取ったら、バッターは打席でポカンとするはずだ。 それと同様、まさか( 八百長力士以外に )そんな人間がいるとは思っていないから、譲られると思考停止してしまい、頭を下げることも思いつかないのである。




 1ヵ月ほど前の朝日新聞に、こんな記事があった。
 《 ナマハゲ草食化 》
 秋田県の話である。 昔は血のしたたる生肉を食っていたナマハゲたちが突然変異を起こし、そこらの草をむしゃむしや食い始めた ― という話なら東スポの 「人面魚」 を凌ぐスクープだが、残念ながら、これは 「イマドキの若者像」 を伝えるエピソードだ。 本来なら 「泣く子はいねがぁ~」 と子供を追い回すはずのナマハゲが、新世代になっておとなしくなり、年配の付添人に 「もっと声上げれ!」 と叱られているというのである。 記事の一部を引用しよう。  《 昨年の大みそかの夜。 鬼のような面をつけ、全身にわらを羽織ったナマハゲが現れた。 手には包丁。 だが、静かに居間に入り、猫背気味に座った。 迎えた高齢夫婦から 「どこから来たっすか」 と聞かれ、遠慮がちに 「えっと……。 山の方から……」 》
 記事ではこれを 「草食化」 と評している。 もし私かキリンやシマウマだったら、群れを率いて朝日新聞に怒濤の抗議デモを仕掛けるだろう。 草食動物は天から与えられた厳しい自然環境の下で懸命に生きているが、このナマハゲは地域社会から与えられた役割を果たしていないからだ。
 性格がおとなしいからといって、大人としての責任を放棄してよいということはない。 大人の草食動物は時に自ら犠牲となって肉食獣のエサとなり、仲間を守る。 それが大自然の掟だ。 歴史と伝統が育んだ村の掟に従えない甘ったれのナマハゲと一緒にするのは、草食動物に失礼である。
 だいたい、何でも流行の概念でひと括りにする姿勢が安易だ。 こういうレヅテル貼りは、往々にして物事の本質を見失わせる。 このナマハゲにかぎらず、世間で 「草食系」 とされる男の大半は、実のところ、ただ大人として成熟していないだけだろう 「草食系」 ではなく 「子供系」 だ
 若者のあいだで 「ワサビ離れ・カラシ離れ」 が起きており、寿司を 「サビ抜き」 で食う男が多いという報道もあった。 これも新語好きのマスコミにかかれば 「草食化の一端」 という話になりそうだが、常識で考えれば、単に味覚が子供化しているだけ である。
 「本当はサビ抜きのほうが旨い」 「どう食おうが個人の自由」 という反論もないわけではない。 しかし仮にそうだとしても、昔の子供は 「サビ入り」 を食べる大人に憧れ、ちょっと背伸びをして辛さに耐えたものだ。 「サビ抜き」 を格好悪いと感じない男たちは、 「大人になりたい」 とさえ思わないのだろう。 だからナマハゲになっても子供側に感情移入し、昔の自分が昧わった恐怖感を思い出して、暴れられないのだと思う。
 そんな 「子供系バカ」 を作り出したのは、もちろん過保護な 「バカ親」 だ。 ハンバーガーやサンドウィッチからバカ丁寧にマスタードを取り除いたりしているから、ワサビも食えなくなる。 新世代のナマハゲたちも、母親が 「怖いから隠れてましょうね~」 と甘やかし、子供時代にナマハゲ体験をしていないのかもしれない。 もっとも、子供系のナマハゲなんて、子供系の総理大臣に比べたら屁でもないけどね。 あの人は、いつ大人になるんでしょうか。




 私もたいがい文句が多いタイプなので天に唾する話だが、他人の細かい落ち度を見咎めて拳を振り上げる人が目立つ昨今だ。 冬季五輪の話題をさらった國母クンの服装なんて、日頃から生活のために日本人のホコロビを血眼で探している私でさえ、言われなければ気づかなかったと思う。 「腰パン」 は決して好きじゃないが、もう街で見慣れた( というか麻痺した )のも事実だ。 スノボ選手団が全員あのスタイルだったならともかく、たった1人の腰パンに反応して抗議する入って、な~んかマニアックな感じ。 あるいは、単に暇なのか。
 それはともかく、気になったのは抗議の理由だ。 「国の代表としての自覚が足りない」 と言う人は、自分たちがどんな人を首相にしているのかを省みたほうがいい。 沖縄の基地移転について何の具体的な見通しもないのに、米国大統領の前で無邪気に 「トラスト・ミー」 と口走っちゃう人に、 「国の代表としての自覚」 があるとは思えない。 そんな人を選んだ国民に 「自覚を持て」 だなんて、私だったら言われたくありませぇ~ん。
 もっとイヤなのは 「五輪に投じた国費を返せ」 という抗議だ。 税金を持ち出すと社会正義を背負っているかのように見えるが、これは要するに 「こっちはカネ払ってんだぞ」 である。 酔っ払って店に文句つけるオヤジから広告主にいたるまで、カネ出してるだけで居丈高になる人って、あんまり頭が( 品も )良く見えない。 近頃は、給食費を払っているだけで居丈高になる保護者もいると聞く。
 「どうしてカネ払ってるのに 『いただきます』と言わなきゃいけないんだ!」 って、何を威張ってんだよ。 「いただきます」 はカミサマや食われる命に捧げる言葉であって、カネの問題ではない。 仮にカネの問題だとしても、 「いただきます」 ナシで食事を始めるのは気持ちが悪かろう。 ならば、給食費を払ってくれている親に捧げるつもりで口にすればいいじゃないか。
 まあ、この保護者の目的は子供に 「いただきます」 を言わせないことではなく、 「自分はカネ払ってるから偉い」 と認めさせることだから、何を言っても無駄だ。 何でもいいから、ふんぞり返って言うことを聞かせたいだけ。 そのための根拠が、 「カネ払ってる」 しかないのである。
 でも、本当にふんぞり返る資格があるほどカネを出している人は、日頃から尊敬と感謝を得ているから、威張らなくてもみんな言うことを聞く。 國母クンも、敬意を払える人にいさめられたなら、 「反省してまぁ~す」 なんて言わなかっただろう。 バカがバカに抗議しても、 「軽蔑の無限ループ」 しか生まない のである。


便

 非常識な人間は、当然だが周囲に不快感を与え、世間の怒りを買う。 だが、それも度を越すと話は別だ。 あまりにも突出した逸脱は、時として人々に大いなる驚きを与え、ある種のエンターテインメントと化すことがある。
 無論、近くの当事者にとって、非常識人間は迷惑以外の何物でもないだろう。 だが遠くの部外者が 「ついにバカもそこまで来たか!」 とカタルシスを味わえる困ったちゃんが存在するのも事実だ。
 ごく最近までそのジャンルの王座( ? )に君臨していたのは、いわゆる 「モンスター・ペアレント」 である。 次々と報告される具体例を、みんな表面上は眉をひそめて聞いていたが、本音ではちょっとワクワクしていたはずだ。
 実際、彼らの屁理屈はしばしば人を唸らせる。 「風邪で休んだから給食費を返せ」 程度では凡庸だが、わが子が窓ガラスを割ったのに 「投げたくなるような石を校庭に置くな!」 とくると、かなり可笑しい。 ちなみに、私か聞いた中で一番の傑作はコレだ。
 「田舎から祖父母が出てきたのに雨で運動会が中止になったから、新幹線代を出せ」
 この発想の飛躍っぷりには、 「その手があったか!」 と感動さえ覚えたものだ。 しかし今年に入って、そんなモンスター・ベアレントの牙城を脅かしそうな一群の存在が明らかになった。
   「警察業務と関係ない用事で110番する人たち」
 そのおびただしい数の実例は、思わず 「ホンマかいな」 と( なぜか関西弁で )首をひねりたくなるものばかりだった。 以下はほんの一部。 これが都市伝説ではないのだから驚く。
 「湿布を買ってきてくれ」
 「旅行中、犬にエサを頼む」
 「公衆便所に紙を頼む」
 「テレビが壊れた」
 「ゴキブリが気持ち悪い」
 「ガスの元栓を確認して」
 「傘がないからパトカーで家まで送って」
 「明日早いからモーニングコールして」
 もう、メチャクチャである。 かつて 「病院までのタクシー代わりに救急車を呼ぶ人」 が問題になったときは、まあ、そんな奴もいるだろうと思えた。 だが、この110番の使い方は、この世のものとも思えない。 こいつらは、110番以外に電話番 号を知らないのか。 あるいは、電話は警察を呼ぶために存在する機械だと思っているのか。
 ともかく、これの何か凄いって、こんな非常識人間を、警察が逮捕できないのが凄いよ。 せっかく呼ばれたのに。 ゴキブリの件など、本当に警官が行って駆除したというから、降参するしかない。
 警察を降参させるバカは無敵だ
 しかし、バカ業界の 「虎の穴」 は、まだまだ奥が深そうである。 次は一体どんな驚天動地の非常識が出現するのか楽しみだ。 願わくば、私に火の粉がかからない場所に現われてくれますように ……。





 



 

 「テレビが自主規制すべきなのは子供番組やなくて、ホンマはオバハン相手のエゲツない番組とちゃうやろか。 最近のワイドショーを見ていると、そんな気にさせられます」
 ジャーナリストの黒田清氏がこういって首をかしげる。
 先日、郵政省、日本民間放送連盟( 民放連 )、NHKなどで構成される 「青少年と放送に関する専門家会合」 が、児童・青少年の健全育成のための番組自主規制内容を発表した。 民放は、 「午後5時から9時まで過激な暴力・性表現を控える」 「青少年向けの良質な番組も週3時間以上放送する」 などを決め、NHKも 「教育テレビの深夜放送の延長」 を検討している。 具体的には、TBSが荒廃が声高に叫ばれている学校問題に対して武田鉄矢主演の学園ドラマ 「金八先生」 を復活させるといった具合だ。
 「テレビ番組をお上品にすれば子供の犯罪が減るというもんでもないと思うが、まあ、その志は“良し”としましょう。 テレビが今まで子供たちに悪影響を及ぼす“アホな番組を作ってました”と認めただけでも価値はある。 ただ、子供のために自主規制する前に、まず主婦が見てるワイドショー番組を見直すべきやないですか。 魔女狩りとしか思えない野村沙知代バッシングを延々と毎日見せられると、あれこそ規制しなくてはいけないと思う。 視聴率の欲しいテレビ局が、自分たちのためにマッチポンプでネタをあおっているだけ。 あれを見て世の主婦が“私はサッチーよりはマシやわ”と、どんどんお行儀が悪くなっているのが問題です」 ( 前出・黒田氏 )
 テレビの子供たちへの悪影響をうんぬんする以前に、ワイドショーが主婦の“健全育成”を阻んでいるという意見だ。 作家の麻生千晶氏もこういう。
 「私は上からの強制的な規制には絶対反対ですが、テレビが自主的に規制をもうけるというなら、ついでにワイドショーも含めた主婦向け番組全体を見直すべきだと思います。 みのもんたの 『おもいッきりテレビ』 など、いかがわしく、ヤラセもどきの番組も多い。 スーパーへ行くと、同番組で取り上げられたと宣伝されている野菜や果物が所狭しと並べられ、情けないことに主婦が何の疑念も持たず喜んで買っている。 お昼の時間帯はレベルの低い主婦向け番組しか放送されていないため、それを見ている主婦がいよいよ白痴化していくのです」