( 2008.10.11 )

  


 新潟県で中学生の悪ガキ5人が、少女を集団で強姦して逮捕される事件が起きた。 新潟市内の同じ中学3年の男子生徒5人は14歳から15歳で、9月27日、新潟市内で少女を屋内に連れ込み、集団で強姦した。
 29日に少女から学校に相談があり、事件が発覚した。 新潟市教委は5人が通う中学校に対し、当事者から話を聞くなどして事実を確認し、警察に相談するよう指導した、とニュースで言っている。

 同中学校によると、5人は深く反省した様子で、保護者は泣いて土下座するなど激しく動揺していたというが、反省しているだなんてそんなこと信用できるか。
 生徒の保護者どもは 「反省させるため、家庭で過ごさせる」 と申し出て許可され、5人は今月3日から欠席していたという。 どうせ家ではゲームか携帯電話でおしゃべりかだろう。 お互い 「ほとぼりが醒めたらまたやろうぜ」 なんて言い合っているだろう。

 「反省させるため、家庭で過ごさせる」 とは、なんだこの甘やかしは? 厳罰に処されないことがわかっているから、この中学生のガキどもは犯行に及んだのだ。 そして案の定、ただ 「反省しなさい」 で済んでいる。 今は謹慎するふりをして舌をだしていることだろう。 なぜ少年院にも入れないのか? 当然、中学生であろうとも、睾丸摘出くらいの刑罰は与えるべきである。

 しかも、同校の校長は記者会見で 「本当に申し訳ない。 性教育や人権感覚を磨く教育が不足していた。 その点を中核にして指導に当たりたい」 と謝罪した。
 何をアホなことを言っているんだ、この校長は。 日教組の屁理屈そのままである。 てめえたちが野方図に性教育なんかやるからこういう事態が生じたというのに。 もっとやりたいとは!

 以前、日本テレビが制作したドラマ 「14歳の母」 をこてんぱんに叩いたことがあった。 中学生が、好きだからいいやと先輩の男の子と関係し、妊娠する話であった。 そしてすったもんだあったあげくに、出産する。
 それをテレビ局は肯定してドラマ化したのだった。 こういうバカをやるから、新潟の中学生がドラマに影響されて強姦事件を起こすのである。 関係ないとは言わせない。

 「14歳の母 」 ばかりではない。 テレビ局はやたらに不良を主人公にしたドラマばかりつくる( 「金八先生」 がそうだ )。 生徒たちは、野球やバレーボールをやる役だとしても、そこで妊娠してしまう中学生や高校生を登場させることが多々あると思う。
 それを親や校長の無理解を主人公の先生が努力して、出産を認めるように話を持って行く。 美談として構成する。
 そういう破廉恥なドラマをつくれば、小学生のときから子供たちはそれを見ていて、できるからやってもいいんだと思うようになる。
 勉強より刺激があって面白いじゃないか、となるのは当たり前だ。

 今回の事件の責任の一端は、そういう中高生のセックスを肯定してきたテレビ局にある。 私は牛肉や菓子の偽装事件より、無責任なドラマをつくるマスゴミのほうが重罪だと思う。

 まだ身体が大人になっていないにも関わらず小学生から生理が始まったり、極端にいえば妊娠すらできてしまうのは、外界の反映で創られた像が脳細胞を早熟的に育てて、生殖機能ばかり発育させてしまうかあらである。
 この場合は、テレビやマンガなどで露骨なセックス描写をしたものを見たり読んだりすれば、そういう刺激的な像が子供の身体を早期に成熟させてしまう。 アタマはまだ子供なのに、セックスはできるという異常事態が生じるのだ。

 新潟のワルガキどもは、そういう刺激的な性を平気で見せる親や教師のもとで育ったのである。 だから友達の女の子を騙して呼んで集団強姦をしたのだ。 のこのこ出て行く女の子もどうかしているが…。 だから、マンガやテレビが直接非行の原因ではないという言い古された説は間違いである。 人間の認識( セックスしたいという )は、外界の反映で創られるからである。

 当該校のアタマの悪い校長は、 「性教育や人権感覚を磨く教育が不足していた。 その点を中核にして指導に当たりたい」 と、のたもうているそうだが、このうえさらに外界の反映を強烈にして、ガキの性犯罪を増やそうというのか。 余計なことをするな、アホ!

 人間は、対象そのものを見事に反映するものである。 つまり思ったように反映する。 またそれによって自分のアタマを創るのだ。 やっていることは、創っていることなのである。
 あの強姦魔の少年たちは、性的な興味ばかりでエロビデオを見たり、雑誌を読んだり、互に情報を交わしあったのだ。 そういう刺激的な対象ばかり見事に反映するようにして、刺激を求めるアタマを創った。 中学生にして女性を襲うような脳細胞に自ら創ったのだ。 いわば妄想でアタマがはち切れんばかりに創ったのである。 抑制が利かぬほどに。
 だから彼らが反省することはあり得ない。 言ってみれば 「スケベな脳細胞に創った」 のだから、そのように量質転化したからの強姦事件である。 それを 「今後は気をつけるように」 程度の注意で自分の脳細胞は変えられない。
 いずれまた問題を起こすだろう。

 なぜなら、こういう認識の量質転化の構造を教育者の誰もわかっていないからだ。 注意すれば反省すると思っている。 サルか、お前たちは。
 量質転化とは、例えばコップに水を注いでいくとする。 コップが一杯になると、そこへさらに水を入れれば、それは 「注ぐ」 ではなく 「こぼす」 に変わるのだ。 水を入れて行く行為の積み重ねが、質の転化を起こしたのだ。 こういうことを量質転化という。
 だからあのワルガキどもは、もう 「水を注ぐ」 段階から 「こぼす」 へと質の転化を起こしたのだ。 これからはずっと、 「こぼす」 になってしまう。 そうなっちゃったのだ。 だから彼らの性への関心はもう変われない。

 であるから、未成年とはいえ、その量質転化したスケベな脳細胞を修正してやるには、よほどの教育が必要である。 誰か優秀な教師がつきっきりで、アタマを直してやらねばなるまい。 生活を共にしてやらねばならないほどの難事業である。
 しかし少年たちはますます大人になっていく、つまり本格的に堂々と性を語れ、実行できる盛りの年齢になっていくのだ。 それに世間の性的刺激は巷にあふれていて、絶え間なく少年たちの外界にあって、刺激をしてくるのだ。
 この外界を反映しないように断つことは、山奥に幽閉でもしないかぎり不可能であろう。

 だからいよいよ少年たちは、 「こぼす」 ことが続かざるを得ない。 ディズニーのアニメ 「ファンタジア」 で、魔法使いの弟子が師匠の留守に、箒に魔法をかけて自分の替わりをさせようとして、家中洪水にして収拾がつかなくなる話があったが、それと同じで、彼らには 「スケベ」 という魔法がかかっちゃったのである。
 もう家で反省させる程度で、反省することはあるまい。

 あの中学の校長がやるべきことは、生徒が自分のアタマやココロをどう創っているのか、を考えることからもう一度考えていくことである。 それをしないで 「もっと性教育を、さらにもっと性教育を」 と絶叫するかぎり、またこういう強姦事件を少年が起こすだろう。





( 2006.10.15 )


 10月から日本テレビで 『14歳の母』 という連続ドラマが始まったそうだ。
 さかんに日本テレビが、宣伝をしているので、それと知った。  
 主演は13歳、中学1年生の志田未来( しだ・みらい )である。
 この子は、去年のヒット作 『女王の教室』 で見て、なかなかいい顔立ちをしていて、子役ながら女優魂を感じさせる演技が光っていたので、以後、注目している。 いい顔とは、美人とかの意味ではない。 昔の昭和の子どもならよく見かけた利発な感じがするのである。 きちんとした日本食を食べ、良い親からきちんとした躾けと教育を受けた女の子といった感じである。
 『女王の教室』 では準主役だったが、クラスの同級生役の子役たちと比べて、一人際立って見えるほど、しっかりした子どもに見えた。 演技にてらいやあざとさがなく、子役にありがちな過剰表現も少なく、役になりきれるところが子役としては見事だった。
( 志田未来の公式サイト : http://www.ken-on.co.jp/mirai/index.html#top )

 さて、その志田未来が、今度は同じ日本テレビで、初の主役に抜擢された。 『女王の教室』 で視聴者から高い人気を得たことを踏まえての起用だろう。
 しかし …… いくら演技が上手とはいえ、まだ中学1年生の子どもを主役に使うとは、日本テレビも視聴率万能主義とはいえ、罪なことをする。 せっかくの逸材を、そうそうに潰してしまいかねない。 もっとじっくり育ててあげればよいものを。 幼くして、天才女優などとレッテルを張られたら、本人は天狗になって、これから努力をしなくなってしまうだろう。 子役時代に脚光を浴びた安達祐実や小林綾子( おしん子供時代役 )が、その後鳴かず飛ばずであることを見れば明らかであろう。
 さて、問題はもっと深刻である。 “14歳の母”とは何事か。 番組ホームページをみると、以下のようなお話であるらしい。
 中学生の女の子が、同級生かなにかの若い男の子と間違いをしでかして、妊娠してしまう。 そこから親や先生、同級生らが 「子どもは堕ろせ」 と大合唱するなか、孤立無縁となるが、彼女は周りがみんな敵になっても、自分にはお腹の子というたった一人の味方がいる、と気づいて、困難にもめげずに断固出産を決意する、というのである。 まるで向井亜紀式だ。
 中学生で性関係を持ってしまったことは 「置いておいて」 、主題は産むか産まないかとしてスタートするらしい。 今時、中学生なら妊娠するのはよくあること、とでもいいたげである。 中学生が母親になることに周囲が反対するのは当たり前なのに、そちらのほうが無理解な人間として描かれるようである。
 とんでもないドラマである。 おおかた、性教育協議会あたりが監修しているのだろう。 まさに狂っている。
 せっかくの、まじめに見えた今どき風に崩れていない志田未来という女優の卵が、これであっという間にダメにされる。 女優とはいえ、まだ中学1年生の女の子にこういうとてつもない役をやらせる日本テレビは、悪魔である。
 この主人公14歳の少女にも、確かに無理すれば出産は可能であろう。 しかしいったい誰が育てるのか。 14歳の中学生にどうやって働いて子どもを育てるだけの費用が捻出できるというのか。 まして、自分自身が未熟な子どもなのに、社会とは何かの学習を一応済ませる成人に許される次世代の育成が、できるわけがないじゃないか。 中学は義務教育なんだよ。 学業さぼって、赤ん坊の世話か?
 教室に赤ん坊を背負ってきて、授業を受けるのか? 育児をやるとしたら、全部自身の親がかりでしかできない。 つまり赤ん坊の若い祖父母が面倒をみてやらねばならないが、それなのに産む産まないは私の自由でしょ、とはならないのだ。

 しかし、そもそも14歳で出産などむちゃくちゃな設定である。 母体が成熟していない。 ただメンスが始まったというだけで、妊娠しちゃっていいわけがない。 しかも現今の若い子どもは体ができていない。 戦前は16歳くらいで母になる例はあった。 「赤とんぼ」 の歌詞にあるように 「15で姉やは嫁に行き」 とあるごとくに。 だがそれは、今よりは体も、食事がよく、労働して強い体になっていたからできた話である。 また、大家族のなかで祖母などが元気で育児の肩代わりもできたからどうにか可能だった。 16歳の母の未熟な社会性も、周囲がフォローすることが大家族と近隣の結びつきが強かったから可能だったのだ。
 現代は核家族化が進み、そういうフォローが困難になっている。 若い子の食事も悪く、労働もしないから母体が十分育っていない。 端的にいえば、胎児を支える骨盤が未熟なのだ。 こういう条件を考えただけでも、中学生が刹那的にやってしまった妊娠を認めて出産まで容認できるものではない。 ただ、産みたいという自分の 「思い」 だけで突っ走ってはならない。
 これからドラマがどんなに美談で満載されて行こうが、この原則は外してはいけないのに、視聴率だけとりたい日本テレビとスポンサーどもは、衝撃的テーマをつくって、破廉恥にも弱年出産を肯定し煽りたてるのだ。

 俳優は、それなりに役に二重化する。 つまり役になりきる。 大人の俳優なら、どんな汚れ役をやってもまあ、舞台や撮影が終われば元の個人に戻れるであろう。 だが、それでも本人と役柄とは相互浸透するものである。 ヤクザ役ばかりとか、悪役ばかり演じていると、役を離れて日常生活に戻っても顔つきがだんだんそれらしくなってくる実例はいくらも見られる。
 まして主役の志田未来はまだ中学1年生である。 役との相互浸透にうまく対処する実力があるかどうか。 つまり、14歳の崩れた母親役と相互浸透してしまうのである。 志田未来はまだ思春期真ただ中であろう。 脳細胞が激動レベルで成長するとは、南郷先生の著作に詳しく説かれているとおりである。 だから、これはあくまで架空のお芝居なんだとわかっていても、脳細胞がその役( 14歳の母役 )にいわば同化しかねない。 大人の女優ならば、娼婦役をやったからといって、そのまま娼婦に転職するバカはいないだろうが、中学生では影響が大きいと危惧せざるを得ない。 むろんそのまま志田未来が実生活でどこかで妊娠するような行為に走るというのではない。 だが、なんらかの影響を遮断するのはむずかしい、と述べているのである。
 13歳で日本テレビの華やかな連続ドラマの主役なのだから、認識はとてつもなく昂揚しているだろう。 それが本当は恐いのだ。
 将来の大女優を目指すなら、せいぜいチョイ役くらいで留めておいて、劇団での下積みを経験すべきである。 有馬稲子は、すでに女優として名を馳せていたのに、一から修行を望んで宇野重吉の劇団に入り、まったくの下積みからしごかれた。 よく有馬もそれに耐え、一流の女優になった。
 劇団で先輩にしごかれ、監督にいたぶられ、雑巾がけやら買い出しやら、先輩の汚れものを洗濯し、靴ひもまで結ぶという、苦労を買ってでもしなければいけない。 思春期、青春期に 「耐える」 という認識を五感情でじっくり味わうべきなのだ。
 それが後年生きてくる。 脳細胞の実力となって開花するのだ。 ところが、あたら逸材を連続ドラマの主役に抜擢されて、華やかなスポットライトを浴びる。 苦労の 「く」 の字も知らぬまま、女優になっていくのか?
 現在の演技のうまさは、いわば本人の努力で得たものではない。 おそらく親の教育のたまものなのだろう。 それではやがて、親を疎ましく思う年頃( 17、18歳くらい )になれば、今のカンの良さなどは消えてしまうだろう。 芸能界はそうやって逸材を使い捨てにするのだ。