学校、電車、街角から家庭まで、 「礼節」 はどこへ消えた
ここまできた!
  「日本人のモラルハザード」



 『菊と刀』 ( 1946年刊 )を書いた文化人類学者、ルース・べネディクトは、 「菊」 に喩えた日本人の精神を 「恥の文化」 と分析した。 法律に違反しなくても、あるいは人に見られていなくても “そんなことをしたら恥ずかしい” “そんな辱めを受けるくらいなら潔く身を引く” という規範こそが、世界に誇るべき礼節ある国民、勤勉な労働者、安全な社会を作ってきた。
 いつから日本人は変わってしまったのだろう。
 給食費を払わない親、電車で化粧や食事をする女性たち、逆ギレする少年、大の男までが“オレ流”と称して手前勝手を押し通す これも“しょうがない”で済ますようでは、本当に社会が崩壊してしまう。
 そうした惨状を憂い、原因や対策を考えることももちろん必要だ。 が、まずその前に、悪いものは悪い、みっともないことはみっともない、と正面切って言うところから始めなければならない。 正論を口にすることが“格好悪い”と映るなら、それこそ最大のモラルハザードだ。 今こそ、 「こんな日本では駄目だ」 と直言する。

「給食費は払わない」
  「掃除をさせるな」
    「うちの子を記念写真の中央にしろ」 と理不尽な要求で殴り込み


教育現場に乱入!
  「モンスター親」 の暴走を止めるには
    「道徳教育」 の復活しかない!


 「我が子にかすり傷一つつけないよう誓約書を書け」 「早起きが苦手なので毎朝電話で起こしてほしい」 …… 自分の子が通う学校に対してそんな理不尽な要求をする 「モンスター親( モンスターペアレント )」 が大増殖している。
 教育界のハザード( 危機 )は未来の日本全体のハザードに直結する。

 道徳教育をないがしろにしてきた戦後の学校教育が産み落とした怪物、それが 「モンスター親」 だ。 近年、教育界全体がその怪物から“復讐”を受けている。
 言うまでもなく、 「モンスター親」 とは、教師や学校( 主に小中学校 )、あるいは教育委員会や文部科学省に対し、自己中心的で理不尽な要求やクレームを執拗に突きつける親のことだ。 各種報道で紹介された例は非常識極まりない。

「子どもには家で掃除をさせていないから、学校でもさせるな」 と抗議する。
「子どもが受ける模擬試験の日と運動会の日が重なったから、運動会の日程を変えろ」 と迫る。
「自分の子どもが一番上手にピアノを弾くのに、他の子が合唱の伴奏をするのはおかしい」 と抗議する。
「子どもが教科書を持ってこなかったり、宿題を忘れたりしたことを教師に注意されたが、悪いのは指導力のない教師だ」 と怒鳴り込む。
「給食を頼んだ覚えはないので、給食費は払わない」 と言い張る。
「部活のユニホームは学校で洗え」 と要求する。
校則で禁止されている携帯電話を取り上げた教師に 「取り上げた日数分、電話代を日割りで払え」 と迫る。
「親同士の仲が悪いのに、どうして子供を同じクラスにするのか」 と抗議する。
担任の教師に真夜中に電話して 「夫と離婚したいけど先生どう思う」 と相談する。
「自分の子供を手厚く指導する専用の教員をつけろ」 と要求する。
「内申点が悪いせいで受験に失敗したら、教師の責任だぞ」 と校長室に怒鳴り込む。
給食を全部食べるよう指導した教師に 「我が子が嫌いなものを食べさせて腹痛を起こした。 指導力不足につき、担任を代わってほしい」 と要求する。
授業中立ち歩いている子供を叱ったところ、逆上した親が職員室で怒鳴り散らす。
校外で起きた生徒同士のけんかで、けがをした子の親が学校に慰謝料を求める。

 そうした要求、クレームを何時間も、何日も繰り返し、学校に乗り込んで校長室に座り込む。 暴力団とのつながりを仄めかしたり、教師を中傷するメールを学校関係者に送りつけたり、訴訟に持ち込む親すらいる。
 本来、親は子どものわがまま、身勝手を叱り、論す役割を担っている。 だが、その親自身が子どもを助長し、子ども以上にわがまま、身勝手に振る舞う。 日本人のモラルハザードもここに極まれり、である。 その要求、クレームが、例えば 「日の丸、君が代に反対する」 といった政治的主張ならば、それなりの対処の仕方もあるが、そうではないだけに余計に対応が厄介なのである。
 今年6月18日の読売新聞によれば、同紙の調査に対し、全国67の主要都市の教育委員会のうち、40が 「モンスター親」 に 「苦慮している」 と回答している。

 「モンスター親」 による教育現場の混乱はそれほど広がり、対応に追われて本来行なうべき教育ができない学校すらある。
 それどころか、無理難題への対処に悩まされ、鬱病などの精神疾患にかかる教師もいる。 今年2月1日に放映されたNHK 『クローズアップ現代』 の 「要求する親 問われる教師~すれ違う教育現場」 では、自殺に追い込まれた校長や新任教師がいることまで報道された。
 文部科学省の調査によると、精神性の疾患で休職した公立小中高の教師は、96年度の1385人から05年度には4178人に急増。 うち3分の2は保護者との関係が理由とされている。





朝日新聞、週刊文春 大誤報の顛末

 冤罪事件も発生した。 教育委員会によって初めて 「いじめ教師」 と認定された福岡県の公立小学校教師のケースだ。
 03年6月27日付朝日新聞が 《 小学校教諭が小4児童をいじめ 家庭訪問直後から 福岡市 》 なる記事を掲載した。 家庭訪問の際、母親から児童の家系にアメリカ人の血が混じっていると聞いた教師が、母親に向かって 《 汚らわしい血が混ざった 》 と発言し、直後から児童に対して 《 「ミッキーマウス」 や 「ピノキオ」 と称して鼻や耳を引っ張るなどの行為 》 を繰り返した。 両親は学校に抗議し、教師は学級担任を外されたという記事だ。 差別意識を持った教師による児童に対するイジメ、という朝日好みの構図である。 これに週刊文春が飛びつき、 《 『死に方教えたろうか』 と教え子を恫喝した史上最悪の 『殺人教師』 》 という刺激的なタイトルで、実名まで出してその行状を暴いた。
 事態を重視した福岡市教育委員会は教師に停職6か月の懲戒処分を下し、一方、児童は重いPTSD( 心的外傷後ストレス障害 )と診断され、入院を余儀なくされた。 そのため、両親と児童は教師と市に損害賠償を求める訴訟を福岡地裁に起こした。原告側弁護団には、なんと500人以上もの弁護士が名を連ねた
 ところが、裁判は予想外の展開を見せた。 児童の家系にはアメリカ人らしき人は見当たらず、入院中の児童にはPTSDの症状が全く見られないなど、次第に両親の発言の信憑性が疑われ、事件自体が児童と親によるでっち上げ である可能性が浮かび上がっていった のである。 一審は被告側が勝訴し、原告は控訴したが、今年3月に控訴を取り下げ、最終的に被告勝訴が確定した。 一連の経緯は 『でっちあげ福岡 「殺人教師」 事件の真相』 ( 福田ますみ著、新潮社刊 )に詳しいが、その内容は衝撃的である。
 実は昨年、私の子どもが通う公立小学校でも似たような事件が起きた。 担任教師が児童を厳しく指導していたところ、 「先生が子どもをいじめている」 と何人かの子どもが親に訴え、親が学校に抗議し、保護者間で 「教師に問題がある」 という“世論”が形成された結果、教師が自主退職に追い込まれた。 ところが、私が聞いた限りでは、子どもたちの訴えはどうやら作り話の可能性が高いのである。


権利ばかりを教えた戦後教育の大罪

 「モンスター親」 問題はここまで身近になっているが、それが出現した背景としては、いくつかのことが考えられる。
 一つは、少子化の進行である。
 子どもに対する親の過保護が高じ、子ども可愛さからその言い分だけを信じ、さらにはその気持ちを必要以上に忖度し、教師や学校に一方的に不満をぶつけるようになったのである。 親には、自分の主張は妥当なのか、学校という集団生活の場を乱すことになりはしないか、という客観的な視点が全くない。
 二つ目は、教育のサービス産業化である。
 従来、教育の世界は競争原理がほとんど働かなかった。 ところが、それに対する批判が高まり、近年、教育もサービス産業だと捉える見方が強まってきた。 例えば学校選択制の導入だ。 教育とは本来、教師と子どもの上下関係の中で価値観を教え、知識を伝授する作業だが、サービスと理解されるようになると、教師、学校と親、子どもの関係は対等になるどころか、逆転することすらある。 サービス産業においては、サービスの提供者である教師、学校は、顧客である親、子どものニーズに敏感にならざるを得ないからだ。
 教育の世界にもある程度の競争原理は必要だが、その行き過ぎが親の過剰な要求、クレームを生んでいるのである。
 三つ目は、地域社会の崩壊である。
 しばらく前にたまたま視察した杉並区の公立小学校の校長は、 「うちにはモンスター親はほとんどいない」 と話していた。 この地域は3代、4代と住み続けている住民が多く、今も地域社会が残っている。 そのため親が地域社会の目を意識し、不当な要求、クレームを教師や学校に突きつける親がいると地域社会がそれを諌めるというのである。 つまり、地域社会の存在が 「モンスター親」 の歯止めになっている。 裏返せば、地域社会が崩壊したエリア、そもそも地域社会が成立していない新興住宅地などで 「モンスター親」 が出現しやすい。
 だが、こうしたこと以上に大きな要因は、道徳教育をないがしろにしてきた戦後教育であろう。
 「道徳」 とは欲望に枠をはめる心の働きのことである。 一方、 「人権」 は欲望を正当化する概念である。 戦後、日教組は一貫して道徳教育に反対し、特に近年は、子どもも 「市民」 であり、子どもも 「自己決定権を持つ」 と主張している。 94年に日本は国連の 「児童の権利に関する条約」 を批准したが、これは日教組の運動の成果だ。 これ以降、全国の自治体に 「子どもの権利に関する条例」 を施行する動きが広まっている。 それらの条例では、保障されるべき子どもの権利として 「自分で決める権利」 「ありのままの自分でいる権利」 なるものが多数挙げられている。
 権利ばかりを教え込まれた子どもたちに道徳心が育つはずがない。 80年代以降、戦後教育を受けた世代が次第に社会の中心となり、その後に到来したバブル時代には国民全体が欲望を全開にし、 「失われた10年」 以降は道徳よりも何よりも経済効率が優先されるようになった。 そうした道徳の欠如が教育の現場においては、80年代には校内暴力、90年代には学級崩壊、00年代にはイジメとして表面化した。 80年代に、道徳を学ばなかった最初の子どもたちが今、親となり、 「モンスター」 と化しているのである。 つまり、戦後教育こそが 「モンスター親」 を産んだのであり、自らが産み落とした子に今、刃を向けられているのである。


教育は 「国家の大計」 いま必要なことは何か?

 政府の教育再生会議は今年6月に決定した第2次報告の中で 「学校問題解決支援チーム」 の設置を提言し、文部科学省も7月に、来年度から 「モンスター親」 への対応を外部の専門家に委託する仕組みを一部の教育委員会で試験的に導入することを決定した。 すでに 「モンスター親」 対策の専門職員を配置し、教員に研修を施している教育委員会も多い。
 また、東京都の公立学校教職員の場合、保護者などからの訴訟に備え、訴訟費用の補償を受けられる公務員賠償責任保険に入る。 加入者はこの7年間で約17倍にも増え、3人に1人に上っている。
 だが、こうした対策はあくまでも“対症療法”にすぎず、逆に 「モンスター親」 に真正面から立ち向かえない教育現場の混乱を象徴していると言えるだろう。
 根本的な対策としては、道徳教育を本格的に復活させることしかない。 加えて同時にやるべきことがある。
 ひとつは、親学の普及である。
教育再生会議でも子どもに対する 「徳育」 と同時に親のあり方を啓蒙する 「親学」 の必要性を提言してきたが、伊吹文明文部科学大臣らが反対し、昨年成立した新教育基本法では第10条で〈父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する〉〈生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努める〉と記すにとどまった。
 もう一つは、教師の権威の回復である。 親が高学歴化し、時に教師の学歴を上回るようになったことが、教育のサービス産業化とともに教師と親の上下関係の逆転をもたらす要因となっている。 これを元に戻すためには、教職資格取得のハードルを高くし、全員とは言わないまでも、修士課程を修了した教師を増やし、各学校に少なくともひとりは配置するといった工夫が必要だ。
 「教育は国家の大計」 である。 教育の成果は、良くも悪くも10年後、20年後、30年後に表われる。 今、道徳教育を本格的に復活させなければ、 「モンスター親」 の暴走を止められないばかりか、 将来はより強大で凶悪な 「超モンスター親」 が出現することを覚悟せねばなるまい。





( 2014.09.24 )

 


 最近のインターネットニュースや週刊誌の報道から、クレーム畏怖社会の到来を実感している。 「カエルのキャラクターが未成年者の飲酒を助長する」 ( キリンビール / 缶チューハイ 「本搾り」 )、 「つけ鼻と金髪のかつらを用いたCMは人種差別を煽っている」 ( 全日本空輸 / 羽田国際線大増便 )などのクレームにより、数々のテレビCMが放映中止に追い込まれている現実。 さらに、漫画 「美味しんぼ」 の 「鼻血」 表現に対してのバッシングが続いた。

 では、理不尽なクレームに対して企業は過剰反応しているのか? 今、誰もが、何を信じて良いのか分からないという不安な時代を生きている。 些細な動機により事件が発生する現実が、人々の不安をかきたてて 「不満」 のガスをためているのだ。




!?

 現代社会では、こうした普通の人と犯罪者の間の 「ボーダレス化」 が進んできた。 いわゆる 「モンスター」 とよばれる人たちもボーダレス化し、一見して普通の人がモンスターに変身することも多く、体感治安が悪化している。 すなわち、誰もがモンスターの理不尽な攻撃にさらされると可能性と同じように、モンスターに変身してしまう可能性も高まっているのだ。

 そして、皮肉なことに、サービスを提供する側が満足を追求すれば、 「満足のハードル」 は高くなり、逆に不満が増えることになる。 便利な世の中になればなるほど不満を感じる人が増えるという図式は、現代社会の歪みといえるだろう。 満足の期待値が上がり、その一方で怒りの 「沸点」 はどんどん下がってきている。 待てない、満足できない、 「便利で豊かな時代」 は 「我慢できない、やさしさの足りない時代」 でもある。

 天真爛漫な 「天然ボケ」 は憎めないが、独特( 自分勝手 )の感性で相手を困らせるモンスターも増えている。

 たとえば、レストランの店内にハエが飛んでいるのを見つけて、大騒ぎする男性。
「ハエがいる! 早く、なんとかして」
 2匹の小さなハエが、男性のテーブルから10メートルほど離れた壁にとまっている。 普通は、料理にハエがとまらなければ、とくに支障はないと考えるものだが、 「ハエは飛びながらでも卵を産み落とす」 と主張する。 しかし、ほかに客がいるときに殺虫剤をまくわけにはいかない。
「飛びながら卵を産むなんて、そんなことあるんですか?」
 店員がこんなふうに言おうものなら、鋭い目つきで睨みつける。
「君は本当に、ないと言い切れるのか?」
 じつは、飛翔しながら産卵する種類もいるらしい。

 さて、店側はどんな対応をすればいいだろうか? ハエが近づいてきて気持ちが悪いというなら料理を作り直すか、さもなければ代金を取らないといったことぐらいしか、私には思い浮かばない。




 また、あるブティックには 「鼻にかかった話し方をされ、バカにされたようで気分が悪い」 と、女性スタッフの接客態度を責め立てる常連客がいた。

 彼女の話し方は個性であり、とりたてて非難されるべきことではないが、この客は執拗に抗議の電話をかけてくるため、しかたなく客の自宅まで行って、お詫びしなければならなかった。

 東日本大震災での原発事故以後、 「被ばく」 に対する不安が多くのクレームを生んでいる。 そのなかに、こんなケースがあった。
「ペットフードの原料が、放射性物質に汚染されていないかどうか、とても心配だ。 詳細な分析データを送ってほしい」
 ペットも家族の一員ではあるだろうが、実態把握は容易ではなく、一企業に詳しい情報を個別に求めるのは酷な話である。

 中国産の食品問題がクローズアップされると、安全性に不安を持つ消費者からは、こんなクレームが食品メーカーに届いている。
「ポテトチップスを買って食べたが、いつもと違う味がした。 包装の裏面表示を見たら、中国産の原料を使っている。 国産品と思って購入したのに、裏切られた思いだ」
 このメーカーでは従来、中国産のジャガイモを使っている。 調理法も変わっていないという。 どうやら、 「味の変化」 は、ワイドショーをみて不安になった消費者の体調( 不安な心理状態 )が原因のようだった。

 人それぞれ感性は異なるが、あまりにこだわりが強いと、行政機関といえども対応のしようがないだろう。