June 20, 2010


 古代アラビアの伝説的賢人で、コーランにも出てくるロクマーンに人々が 「どうしてそんなマナーを身に付けられたのですか」 と尋ねると、 「私は他人がなさっている嫌なことを知るとそれを絶対にしない。 そして人に迷惑をかけないように努めています。 それのみです」 とさりげなく言ったという。 なかなかできないことをやり遂げる人は、人々から尊敬される人であることに間違いない。 世界中にマナーの悪い人や平気で他人に迷惑をかける人が多数いる。 日本の現況はどうだろうか。
 韓国は国教として儒教を取り入れた。 礼の国として中国も古書で認めているほどであり、儒教の名残があちこちに見られる。 即ち、目上の人に対する言葉遣いや態度家族主義に残る老壮若の在り方 など、マナーの点については日本より優れている。 韓国は北に対する防衛の必要から 徴兵制度 がある 徴兵拒否は、理由により社会奉仕に代えられるが、大半は兵役に就く。 目の据わりが日本の若い人とは異なる のも国を守る義務感からだと思う
 わが国では若い人が、電車では禁止されているのにもかかわらず携帯電話をしたり、化粧したり、飲食したりしている。 十数年前までは見なれなかった風景が見られる。 注意すれば、ひと言めには 「あんたにゃ、迷惑かけていない」 と食ってかかり、暴力沙汰。 自分のしていることがどれだけ他人に迷惑をかけているのかがまったく分かっていない 中国でも韓国でも歩きながら物を食するなどはもってのほかで、日本も同様のはずであった。 それは物もらいがするということからで、 「はしたないことをする」 ことは、以前は社会が受け入れなかった。 法律で決めたものでなく、社会秩序を守るための自らの規範があった のである。
 テレビでは、大方の人気者にマナーがなく、あいさつもろくにできず、また人を食ったようなことで笑いをもたらすこれらのことが若い人のマナー欠如に結びついてくることも考える必要がある これらを是正したいと思っている善意の人々も多くおられるのだが、ついやり過ごしてしまっている。 心ある人がもっと声を集めて、社会悪に対して指導していくべきではないだろうか。




 比叡山の山中で早稲田の女子学生がヒッピーまがいの浮浪者に殺された頃から、若い世代の世事一般に対する不用心が俄かにクローズアップされるようになった。 いわゆる新人類の出現と軌を一にしている。
 台湾、韓国での女独り旅の破綻、パキスタンでのこれも早大生の無茶苦茶人質旅、全て同根の、いっそこれは病いである。
 本当に怖いことと知りながらやむをえず決行する細心にして大胆な行動とは天地の開きで、要するに他人の目に自分がどう見えるかと想像する 『カ』 ゼロなのである。
 僻地、ないし外地で持つのが当然の警戒心は皆無、声を掛けられれば直ぐに嬉しくなって友人になる。 しかし人を疑うことを知らないワタシは良い人だと思っているのは本人だけで、相手はワタシが男なら馬鹿、女なら安女郎と思うだけだ。
 男は家を出ると7人の敵がいる。 人を見たら泥棒と思え。 こう書くといかにもいかにもだが、何、こういう感覚は言わずもがな書かずもがなの常識なのである。
 『たそがれ』 が、日暮れて物の文目あやめがつかなくなり、用心しろ、あそこを見掛けぬ変な奴が歩いているぞ、 「誰そ彼は」、から転化した言葉であることを再認識する必要がある。
 漸く釈放された早稲田の学生は若者よ冒険せよとこれまで無責任に煽ってきた無責任大新聞の無責任記者団の 「川下りは無謀だった」 という質問に、何だよ、今までいい顔をしてきたくせしてと、むっとした表情を見せたというが、ここまで非常識な連中がはびこり始めたのは、長い長い間の 『非武装中立』 こそすべてという平和ボケが板に付いてしまったからである。
 自分たちが丸腰だから外国人も丸腰の応対をするだろう、するのが当然だという態度は無神経かつ、無礼で、一種の大国主義だというを憚らぬ 土井たか子 を始めとする平和屋は、何かあると日本の大国主義を云々するが、なにこの平和屋連中こそ札付きの大国主義者なのである。
 丸腰こそ全てと言ってあちこちでトラブルをおこして平然たるボケ若者を世界中に送り出す大国主義者 であり、更に言えば、かかる陋習ろうしゅうを良しとして外国に押し付ける忌むべき国粋主義者でもある。
 世界に冠たる丸腰ニッポンを土井たか子はフセインに訴え、ゴルバチョフには訴えそびれた。 この偽ナショナリスト奴!
 ああ、ボケ平和大国、丸腰国粋主義はもう沢山だ
 キリッとした国際主義国家になりたい
 その為には永世中立国家を除いたすべての国連加盟諸国並に断固軍備を持つ他ない
 自衛隊を一挙に軍隊にし、早老アンド早漏性ボケに罹って大使館員の日本語が聞き取れないで人質になったバカ大学生に代表される20歳連中に一斉に徴兵検査を施し、ボケとバケの皮を剥がす、ついでに包茎の皮も!
 軍隊を持とうと言うとたちまち軍国主義反対の声を挙げる平和屋諸君に言うが、諸兄の大好きな北朝鮮、中国は言うに及ばず、アジア・アフリカのどの国、どの社会主義国家もみな、自衛隊じゃあないぞ、正真正銘の軍隊を持っている ことを何と心得ているのか。
 平和屋、福祉屋に借問す、諸兄たちの大好きなスエーデンでさえ軍隊はちゃんと持ち、今度の湾岸戦争でも国連加盟国の一員としての義務は立派に果たしたことを何と見る?
 諸君は世界中に国の恥を晒して快哉を叫んでいる
 母たちも何かあると子供を二度と戦争にやりませんとヒステリックに叫び、時には ダイ・イン などと言う馬鹿な真似をするが、それがいかに世界の母たち仲間たちを侮辱した短絡行為か全く分かってはいない
 今の新人類に徴兵令をかけてわるいことはなに一つない。
 平和だ、スポーツだということで、今、ニッポンは各種スポーツの世界大会だらけだが、肝心のプレーヤー同士のコミュニケーションは皆無に近いのが現状である。
 大体がカラダばかりで語学がまったく駄目の連中という故もあるが、年齢的に軍隊体験の無さが話題の欠如を生んでいるのである。軍隊体験を喜ぶ喜ばないの問題ではない。 国のために義務を果たすという観念がニッポン青年に全く欠けているから基本的に話が通じないのだ。
 文武両道は社会の自然形態なのにニッポン青年だけがその一方を見事に失っている。
 東南アジア人の多くは、威張り返っていたロシアと清をよくぞやっつけたと東郷乃木の明治時代を尊敬してくれているのに、軍隊体験の無さで何も分からず、為に逆に彼等に白眼視されるという惨状もなくなるに違いない
 今回は女にも勿論令状を出す。 この際男女同権はしっかり守って頂き、トラックの運転などもきっちり訓練してもらい、男の1.5倍多く事故を起こしてみれば少しは男を見直す契機になるかも知れないではないか。歪んだ男女同権まで直るとは実に徴兵令様様である。


ぁ~

 いまさらながらの平和運動批判である。 しかし、ここに書く平和運動批判は、保守系・革新系を問わず、愚鈍な良識や鈍感な正義に支配された人たちがしたり顔で口にする平和運動批判とは、全然ちがうものだ。 平和運動家の諸氏よ、耳の穴をかっぼじって、目やにをこそげおとして、よく読みとるがいい。
 戦後50余年間、新聞や雑誌に見られた平和運動批判というものは、平和運動が政治運動と混同されているだの、市民の意見が反映されてないだの、ネゴトに等しいものばかり だった。
 少しはまともにものごとを考えてみるがいい。 およそ運動というものは、まさかスポーツのことじゃない以上、平和運動だろうと住民運動だろうと労働運動だろうと、政治運動であるにきまっているではないか。 意見や利害がちがう二人以上の人間のあいだには、必ず政治の論理が貫徹される。 これは政治学のイロハである。
 従来の平和運動に流れるいくつかの政治イデオロギーが無効であるからといって、政治色のない市民の手による平和運 動だなんて、武装してない軍隊と言っているようなものだ。
 批判にもならないこんな平和運動批判が長い間たれ流されてきた結果、現れたのが、この間の湾岸戦争の折にもあちこちで演じられた 「ダイ・イン」 と称する愚行 である。
 こんな恥知らずの愚行は、20年ほど前にはなかった。 ソ連や中共の代弁人として罵り合うという醜行はよく見聞きしたが、政治運動なんだから、そんなことはあっても不思議ではない。
 ただ、その政治イデオロギーがあまりにも低劣で、その政治技術があまりにも拙劣であった、というだけのことだ。
 それでもダイ・インに比べればれば、政治というものがわかっているだけ、まだましであった。
 ダイ・インという愚行について初めて知ったのは、10年ぐらい前のことだった。 アメリカで始まった新手の平和運動ということで新聞が紹介していたが、地面に寝ころがってマヌケ面をさらす連中の写真に、失笑を禁じえなかった。
 写真に付けられた説明によると、核戦争によって死体がころがっているところを再現し、死者への共感と連帯を表明するものだ、という。
 まあそれでも、アメリカ人のやることである。 こんな愚行が日本に入ってくるはずもないだろう。 そう思っていた。
 ところが、アメリカで始まるやいなや、日本でも真似をする連中が出てきた。 ファッションや科学技術ならまだしも、あきれるばかりの対米追随ぶりである。 おそらく、アメリカで始まりさえしなかったら、誰もこんなバカなことはやりはしなかったろう。
 冷静に考えてみればいい。 白昼、公衆の面前で、指揮者が発する爆発音を合図に、一人前の大人たちが地面に寝つころがるのだぜ。 そして、目をつむって死んだふりをすること2,3分、また指揮者が合図をすると、今度はノコノコ起き上がるのだ。
 いやあ、3分間ばかり爆死者の気持ちになりましたそれにしても、戦争はごめんですねえ平和はいいもんです
 こんな恥ずかしいことは、アメリカで始まった運動だからカッコイイはずだという先入観がなければ、とてもやれるはずがない。
 「恥ずかしい」 というのは、人前で何かの意思表示をする時に覚える羞恥心のことではない。 人は街頭で意思表示をする時、必ずなにかしらの羞恥心は抱くものだ。 あのイエスだって、あの日蓮だって、きっとそうだったろう。 その羞恥心とは、自分の意思表示に責任をとらされろかもしれないという緊張感のことだ。
 ダイ・インが恥ずかしいのは、この緊張感がそもそもないからなのだ。 自分が何をやっているのかもわかっていない恥ずかしさなのだ。
 そうだ。 この“市民”と称する鈍感な連中は、自分が何をやっているのかさえわかっていない。
 ダイ・インが、とにかく人目を引きつけるための派手なショーだと言うのなら、認めよう。 政治というものは、そういうものだ。 効率のためには、ショーだろうと、八百長だろうと、あったってかまうまい。

 しかし、ダイ・インの連中の言うところはちがう。 自分たちは、そのような政治とは無緑の、一人の人間としての爆死者との共感を表したいのだ、と。
 傲慢は悪徳ではない 誰だかの言葉にあった。 その通りだ。 自信と責任感に満ちた傲慢は、しばしば美しく輝く。
 だが、政治は嫌いですの、一主婦の立場ですの、ブリッ子の果てに現われたダイ・インの、この鈍感で醜悪な傲慢さ。

 ダイ・インの連中に聞いてみたい。
 精神衛生法が改悪されて精神病院が監獄になりそうになったら( 現にそうなっている国は、世界中にいくつもある )、君たちは、マッド・インと称して、精神障害者の真似をして町をねり歩くのか。
 男たちの理不尽な暴力によって強姦された女たちは世界中に何万といるが、彼女たちの怒りに共感するために、君たちは、レイプ・インと称して、街頭で股を開いて横たわるのか。

 地上に平和は、残念ながら、今すぐには来ない。 しかし、ダイ・インの愚行は、たった今からでもやめられる。







 いつからか、この国は 「権利」 や 「自由」 ばかりが幅を利かせ、義務や責任はどこかに消えてしまった。
 その理由は 「強制される体験を失ったから」 と断じる。
 敢えて世に問いたい。 豊かで自由な時代だからこそ、 「徴兵」 で、ひ弱な国から脱却するために、若者たちに 「強制される体験」 の場を与えるべきではないか ――



アメリカの 「お妾さん」 に甘んじながら 「平和、平和」 と叫ぶセンチメントを憂慮する

     


 米カーター政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレジンスキーが、日本を 「ひよわな花」 と呼んだのは1970年代初頭のことだった。 外交・政治で自立的決断、行動のできない国家としての欠陥を指摘した言葉として、日本人の自尊心を大いにかきむしったものだ。
 なにより日本を服従させてきた当事者であるアメリカの、外交、安全保障の専門家からそういわれることは皮肉としかいいようがない。 また、日本人として腹立たしくもある。
 自主憲法の制定、アメリカに頼らない安全保障、すなわち国家としての自立を説いてきた石原慎太郎・東京都知事は、今の日本は 「アメリカの妾」 であると明言する。 しかも、それは日本自身の堕落によってもたらされたものだと、同胞にも厳しく覚醒を迫る。


 「若者を駄目にしたのは3つのスクリーンです」 。 それは携帯電話、テレビ、パソコンである。
 確かに、日本ほどくだらないテレビ番組ばかりやっている国はめったにない と思うが、携帯にしてもパソコンにしても、機能ばかりが進みすぎて、それが日本人を堕落させてしまったことは事実でしょう。
 読売新聞が出した 『親は知らない』 という本によれば、携帯を使って売春する子供が、小学生でもざらにいるという。 300万円、1000万円も貯めて、それを駅のコインロッカーに隠している。 こんな風俗は他の国にはまずない。
 携帯を持つことで、子供たちの世界は急に広がったのだろうが、そういうコミュニケーションはしょせんバーチャルなもの。 そこに自分の写真や、時にはヌードまで載せて売春の客を探し、手にした金で友達が持っているTシャツを買う、あるいはタレントを追いかけたり贈り物をしたりする。 そういう 薄っぺらな満足のために子供たちが売春するという国は日本以外にはない
 アメリカには国家としてのアイデンティティがある。 それは 「自由」 です。 一面ではアメリカンードリームというけれど、一方ではものすごい格差社会でもある。 それがアメリカです。 フランスの場合には、革命で掲げた自由、平等、博愛がアイデンティティとして今もあり、公の施設ではプレートにして掲げている。
 では、日本のアイデンテイティは何かと問われると、今は 「我欲」 しかない。 金銭欲、物欲、そして性欲。 それは衝動的な感情にすぎないが、それを増幅し、媒介しているのが携帯、あるいはパソコンです。 テレビでは、温泉、グルメ、お笑いばかり。 これは好ましいことではない。




 我欲が支配した国は、もうもたないでしょう。
 竹下内閣では、消費税を導入したことで、選挙でひどい目にあったが、最近の政治は国民におもねり、我欲にひれ伏すようになった。
 日本の財政は、もうもちません。 仮に日本がヨーロッパにあれば、この財政状況ではEUには入れない。 あるいは、入ってもユーロは使わせてもらえません。 そこまで落ちているにもかかわらず、消費税といえば 「税金嫌い」 「上げるな」 という。 それで無理な算段で社会保障をやっているが、こんな高福祉低負担が続くはずがない。 与謝野馨・大臣など登用せずとも、誰もがわかっていることだ。 それならいっそ大連立でも何でもやって、 「みんなで渡れば怖くない」 で消費税を上げればいいが、それを遂行する覚悟もない。 ものごとの決断には強い意思が必要だが、その意思の成就にはさまざまな抑制や犠牲がともなうという当たり前のことが、今の日本人にはわからなくなってしまった。
 これは平和の毒です。 あまりにも長く緊張感のない時代が続いたために、国家としての我欲が張り、社会が堕落してしまったのです。 戦後65年間も安穏と過ごせた国など他にはない。 アメリカはもちろん違うし、ヨーロッパは常に緊張にさらされている。 ロシアも同じだが、かつて収奪してきたイスラム圏とは文明の衝突が起きており、これに白人が勝てることはないでしょう。 アフガンでもイラクでも絶対勝てない。 さらに新たな移民の問題も抱え、ヨーロッパは今も緊張の中にある。
 日本はアメリカの 「お妾さん」 になり、その 「お手当て」 でやってきたが、アメリカの懐具合も悪くなって、これからどうなるかわからない。 尖閣列島の問題が起きて集団的自衛権が論じられるべきだが、それを認めて腰をあげないとアメリカはもう日本を守りませんよ。 中国と合意して朝鮮半島も捨てるのではないか。 その証拠に、最近アメリカは東シナ海に遊弋ゆうよくしている原潜に搭載していた長距離弾道ミサイルの配備をやめた。
 平和とは自ら犠牲を払って獲得されるもので、日本の平和というのは本当の平和ではない。 平和、平和と叫ぶのはセンチメントでしかない。
 こうなってしまったのは、権利ばかり主張して義務を謳わない現憲法にも原因がある。 そもそも占領下に占領軍が作った憲法など国際法にも違反するが、それを変えようともしない。 屈辱を屈辱として捉えられない者は、自我を欠いた奴隷でしかない。 今の日本人のように自我を持たない人間にとって、センチメントは理念や論理までをも駆逐してしまう。 自らの努力によって形成される本物の平和は遠のくばかりだ。




 高校を卒業した年齢の子供は、1年間か2年間、軍隊か警察か消防に入る義務を課すべきだ。
 韓国には今も徴兵制があるが、その韓国の若者と日本の若者を比べてみればいい。 人生に対する積極性がまるで違う。 若者を救うためには、軍役に就かせるか、あるいは警察、消防、海外協力隊でもいいが、連帯作業の役務に就かせて修錬させる制度が効果的だ。
 携帯、テレビ、パソコンのバーチャルな対人関係によって、あまりにもひ弱になってしまった者たちには、意思に反して強いられる肉体的制約が必要 なのです。
 同じように、人間社会の原理を幼い頃から子供たちに、頭ではなく体で刷り込むことも肝要だ。 今さら教育勅語を復活させろとはいわないが、 「父母にこうに、兄弟けいていゆうに、夫婦相和あいわし、朋友相信じ ……」 といった言葉は、いつの時代であっても否定し得ぬ原理です。 子供の頃の良き刷り込みは、良き制約となって人生を支えてくれるものです。
 逆に、我欲を満たすための野放図な害毒は日本を駄目にする。 必ずしも取り締まればいいわけではないが、諸外国では目にしないようなものが、メディアにもインターネットにも横行しているようでは、やはりおかしいといわざるを得ない。 差別でいうわけではないが、同性愛の男性が女装して、婦人用化粧品のコマーシャルに出てくるような社会は、キリスト教社会でもイスラム教社会でもあり得ない。 日本だけがあってもいいという考え方はできない。
 大手出版社は東京都の新しい青少年健全育成条例( 通称・マンガ規制条例 )に反対しているが、ここで規制される近親相姦や変態的なものであっても、描くなとはいっていない。 ただ、子供の目に触れないところに置けといっているだけだ。 中学生の姉と小学生の弟がセックスするとか、父親と小学生の娘が関係するなんてマンガが、刺激的な絵や擬音で子供たちのイメージを増幅しているのは問題だ。 活字ではなく視覚的にわかりやすい形で子供たちの目に触れるのはよくないし、だいたいそういうものが一般に手に入る場所で売られているのは日本くらいです。 インターネットにもそういうものがあるというなら、それも何とかしなければいけないと思う。 これは国家の問題だ。
 自分の生命、存在が脅かされる経験もせず、物が氾濫して貧困もない。 今の若者を見ていると、無駄に爆発するエネルギーさえ失ってしまったとしか思えない。
 私たちの世代は、とにかく皆よく話した。 メッセージを持っていた。 開高健にしろ羽仁進にしろ寺山修司にしろ、とにかく早口で話したものだ。 今は、作家でさえ話さない。 「お前ら駄目だ、こんなもん」 といっても、突っかかってもこないで、にやにや笑っている。 自分の言葉がない。
 若者は情報の整理ばかりに長けて、思い違い、勘違いもしなくなった。 だから失恋さえしないというんだな。 「あの女は自分よりランクが高いから」 と思えばアプローチもしないから。
 しかし、勘違いこそ人間向上の必要条件です。 それがない人間はうらやましくないし、怖くない。 今こそ国を挙げ、恥をかいても他者との相剋に挑み、無気力を克服する若者を育てなければならないと思う。





経験してようやく 「一人前」

  ―― 韓国の徴兵制事情

 韓国国民は、憲法で 「国防の義務を有する」 と定められ、兵役法で男子の兵役義務を規定している( 女子は志願制 )。
 満19歳になると通知が届き、指定日に居住地の地方兵務庁で身体検査を受ける。 合格すると、翌年から入営可能。 大学に進学しない場合は30歳まで、4年制大学生は24歳までに入営するのが一般的で、正当な理由なく拒否すれば、3年以下の懲役となることもある。
 期間は、陸軍24か月、海軍26か月、空軍27か月。 入隊後は新兵訓練所で6週間の厳しい訓練を経て各地の部隊に配属される。 昨年、北朝鮮の砲撃を受けた延坪島や38度線警備など最前線にも配置される。
 休暇は一般兵士の場合、24か月でわずか35日しかない。 兵役にまつわるラブストーリーは韓国のテレビドラマでは定番の題材だが、現実には 「入隊前に交際していたカップルは、ほとんど別れる」 ( 30代男性 )という。
 兵役を終えると、初めて社会的に 「一人前」 として認められる。 実際、公務員採用では兵役義務完遂は必須条件で、大半の民間企業でも採用条件となっている。
 それでも 「兵役逃れ」 は後を絶たない。 わざと指を切断したり、軍隊で禁じられている刺青を入れたりする者もいる。 特に富裕層や著名人に多く、韓国国籍の放棄や診断書偽装がしばしば問題となってきた。 こうした中、今年1月、危険任務を伴う海兵隊を志願した韓流スター、ヒョンビンは国民から拍手喝采を浴びた。
 「韓国では、“軍隊生活を終えると人間になる”といわれます。 厳しい訓練に耐えたことで自信を持ち、愛国心も芽生えるのです」






    


 英国の 『ミリタリー・バランス』( 2010年度版 )によると、徴兵制を採用する国は、韓国、ベトナム、イスラエル、ロシアなど約50か国。 期間と対象年齢は別表の通りだ。
 変わり種はタイ。 期間は2年と定められているが、陸、海、空に加えて 「徴兵免除」 の4つをなんと 「くじ引き」 で決める。 抽選は国民の一大行事で、テレビ中継までされる。 一番過酷といわれる 「海軍」 を引いた若者が、ショックのあまり失神するシーンは世界的に有名となった。
 女性に兵役があるのはイスラエル。 期間は男性より約1年短いが、特殊部隊などに配属されることもある。 周囲をアラブ諸 国に囲まれ、常に戦争と隣り合わせという事情が色濃く影響している。
 近年は徴兵制を撤廃する国が増えた。 フランス、オランダ、ベルギーなどが冷戦崩壊後の90年代に志願制に移行。 兵器がハイテク化する中、兵士の 「数」 より 「質」 を重視するようになったためだ。 最近では昨年7月にスウェーデンが徴兵制を廃止したが、理由は 「財政難」 だった。 ドイツでも憲法上の兵役義務条項はあるが、徴兵制撤廃を昨年9月に決定した。
 逆に、最近になって徴兵制を導入したのがマレーシア( 04年 )。 抽選で選ばれた18歳以上の男女が、国防省の管理下で6か月の共同生活を送る。 愛国心や団結力を培うことを狙いとしており、多民族国家ならではの制度となっている。

国名期間年齢
韓国24~27ヵ月19歳以上
台湾1年19歳以上
シンガポール2年18歳以上
ベトナム18ヵ月18~25歳
ドイツ9ヵ月18歳以上
デンマーク4ヵ月18歳以上
フィンランド6~12ヵ月18歳以上
ノルウェー12ヵ月19~44歳
ロシア1年18~27歳
イスラエル男3年
女19~24ヵ月
18歳
トルコ6~12ヵ月18~40歳
コロンビア1~2年18~28歳





 

 






目線を変えて
( 2014.11.30 )

   


 バスに乗っていたときのできごと。 十数人ぐらいか、保育所の子供たちが乗ってきた。 引率の保育士から教えられたのであろう、座席には座らず、ずっと立っていた。 もちろん、手はいろいろな物にすがっていたのであるが、バスが揺れると大きく体が動く。 保育士たちが注意の声をかけていた。

 そのとき、ある老女性が大声で 「あいた! ヒールで踏まれた」 と叫んだ。 どうやら保育士に足を踏まれたようである。

 その保育士は何度もすみませんと言って謝っていた。 しかし、保育士はゴム底の運動靴を履いており、仮に踏まれたとしても、革靴のヒールほどの痛さはあるまい。 それに揺れたときの話であり、わざと踏んだわけではない。 幼児たちはよく訓練されており、立ってよろよろしながらも行儀よく友だち同士で助け合っていた。

 痛いとわめいた老女性は着席していた。 その顔つきは、その心と同じく、大人げない、エゴむき出しであった。

 世間ではよく言う、老人を大切にし、いたわれ、と。 その言や良し ── しかし、それはあくまでも一般論であって、世にはどうしようもないつまらない老人がいることも事実である。 にもかかわらず、〈 老人の特権 〉は当然と思っているので、困る。 同じ老人としての私からは言いにくいことなのだが。

 世には老人エゴが横行している。 大した病気でもないのに病院通いして、社会保障における医療費を増やしている。 受け取る年金額に対してこれでは生活ができないと不満しかし年金はあくまで補助なのであって、自分の老後は自力でいろいろな形で準備しておくのが筋

 老人には働く場所がないと言うが、それはおかしいたとい月に1万円でも2万円でもいい、働ける場所を求めるならば、必ずある。 じっと座って年金だけで暮らすというのは、安易であり、健康的でない。

 遊んでいる不平不満老人に必要なのは、社会保障よりも道徳教育ではあるまいか 義務教育において、やがて教科としての 「道徳」 が登場する。 とすればそれを受講させてはどうか。

 すなわち、閑居老人が小学校に再入学するという案である。

 これは楽しいではないか。 教科は、道徳のみならず、なんでもほぼ分かる。 学校が楽しくなる。 昔はいやだった人でも。

 そして空き時間には同級生の少年少女に勉強を教えることもできる。 運動会、文化祭、遠足 ── 楽しいではないか。

 経験がある人は、クラブ活動における指導ができるし、また担任の手助けもできる。

 老人を若干の日当でそういうふうに生かせる再入学制を文科省は考えてはどうか。 政治家も政策の一つとして選挙公約の中に入れてもいいのではないか。

 老人を再教育しつつ、同時に教員の助手、学校の要員として遇することである。 老人をほったらかしにしているから、いろいろと問題を複雑にしているのである。

礼記らいき』 大学へんいわく、

  「小人 閑居して( ひまにしていると ) 不善をなす」 と。





( 2014.12.02 )

    ……


 本来 「敬われる存在」 だったはずの高齢者が、昨今公共の場で眉をひそめられることが多くなっている。 その中でも特に座席をめぐる “争い” は高齢者たちの出番が多い。 席が空くと、遠くからでも 「あっ、あそこ空いた!」 といって強引に座ろうとするのは序の口。

 「高齢男性と女性の数人のグループが座って話していました。 見ると、真ん中の男性と女性の間の座席に、少し大きめのカバンが置いてある。 僕は通勤時間も長いし疲れていて座りたかったので、 『こちらの席、空いていますか? 座ってもいいですか』 と尋ねたんです。

 すると 『後から友達が乗ってくるのよ』 と断わられてしまった。 まったく悪びれる様子がなかったので面食らってしまいました」 ( 20代の電子部品メーカー社員の男性 )

 歩道では、自転車のベルをけたたましく鳴らして子連れの親子をどかせながら走る老人。 道路では、車がギリギリすれ違えるかどうかの狭い道で、路肩に寄せずど真ん中に停車して長電話している高齢女性。

 「クラクションにも動じず、後ろには何台も車が待っていた」 ( 目撃した30代男性 )





( 2014.12.05 )

   


 かつて、眉をひそめるのは老人が若者に対して、と相場は決まっていたが、最近の我が国では若者が老人に眉をひそめるケースが増えている。 公共の場が、 「老人 vs. 若者」 で一触即発になったケースもある。 10代の女子大生はこんな体験をした。

 「大きなお腹の妊婦さんが優先席に座っていたのですが、そこにあとから乗ってきたおばあさんが 『臨月近いんでしょ、座ってたらお産が重くなるよ』 と声をかけたんです。 妊婦さんは 『立ってると辛いんで ……』 と応えたのですが、 『そんなんじゃ元気な子を産めないわよ!』 と妊婦さんを一喝。 結局自分が座ってしまいました」

 この女子大生は自分が座っていた席を妊婦に譲り、高齢女性に対して 「自分が座りたかっただけじゃないんですか」 と噛みついた。 すると隣の関係ない高齢男性から 「お年寄りにその言い方はなんだ!」 と横槍が入り、別のサラリーマン風男性が 「いや、この子がいっていることは間違ってない」 と返して車内が緊迫した雰囲気になったという。

 社会学者で甲南大学准教授の阿部真大氏はこう指摘する。
「戦後の厳しい時代をくぐりぬけてきた世代と、今の若い人とは価値観が違って当然。 『私が妊婦だったときはこうだった』 『自分はお年寄りを大切にしてきた』 という思いがあるから、シニアが若い人とコミュニケーションをとると、そのギャップにストレスを感じることになる。 それがいわば被害者意識を増大させ、 『弱い立場なんだから、ちょっとくらいいいじゃないか』 『先輩のいうことは聞くべき』 という感情になって、品格を欠いた発言をしてしまうのでしょう」