( 2016.11.09 )






 「教育困難校」 という言葉をご存じだろうか。 さまざまな背景や問題を抱えた子どもが集まり、教育活動が成立しない高校のことだ。

 大学受験は社会の関心を集めるものの、高校受験は、人生にとっての意味の大きさに反して、あまり注目されていない。 しかし、この高校受験こそ、実は人生前半の最大の分岐点という意味を持つものである。

 高校という学校段階は、子どものもつ学力、家庭環境等の 「格差」 が改善される場ではなく、加速される場になってしまっているというのが現実だ。




 「教育困難校」 では、一般的に学校行事への保護者の参加率が低い。 過半数の親が学校に来るのは、入学式と卒業式くらいだ。 中でも、中退者が抜け、生徒たちが淘汰された後に行うことになる卒業式は、最も出席率が高い。 卒業式に集まる保護者を見ていると、 「教育困難校」 の親子関係がよくわかる。

 3年間頑張った子どもが主役の場であるのに、非常に着飾った晴れやかな表情の保護者の一群がいる。 PTA役員たちの多くもこのタイプで、ラメ入りやアニマル柄のきらびやかな衣装で招待者席に座っている。 一見して保護者の年齢層は若く、中には30代前半と思しき人もいる。 話を聞いていると、 「自分は卒業できなかったから」 「どうなることかと思ったけれど、卒業できて良かった」 と心の底から卒業を喜んでいる様子だ。 言葉遣いの端々に残る特有の言い回しや、ファッションセンスから判断すると、高校時代はツッパリやヤンキーだった保護者たちのようである。

 今の高校生の親世代は、1970年代生まれが中心。 この時代は、子どもを評価する際の最大の基準が 「勉強ができること」 となり、それまでのそろばん塾や習字塾などの習い事にかわって勉強全般を教える塾が流行しだした頃といわれている。 そして、続く1980年代にかけて 「落ちこぼれ」 という言葉が生まれた。 学校の勉強について行けなくなった彼らは教師に激しく抵抗する。 外見的にも、制服を改造し、独特の髪形をして、一目で 「ワル」 とわかる見た目を作った。 まさに、この時代に高校生活を過ごしたのが、今の高校生の親世代であり、その価値観を受け継いで、彼らの子どもたちは現在の 「教育困難校」 の第1タイプ( ヤンキー系 )の生徒になったのだ( 第2タイプは無気力系、第3タイプは不登校系 )。

 この親たちは、学校という制度への反感も強く、学校の被害者という意識を今でも持ち続けているようだ。 そのため、学校と協力して子どもの教育にあたろうという思いがない。 子が飲酒・喫煙、恐喝などを行って、指導のため保護者が呼び出されも、 「学校が悪い」 という姿勢を崩さない。 何かの拍子に 「モンスターペアレント」 になり得る可能性も高い。




 また、自分自身が勉強に恨みをもっているためか、 「勉強は大事である」 とは子どもに伝えていない。 むしろ、 「勉強よりも大事なことがある」 と言い、スポーツやゲーム、ファッション等、自分にとって居心地の良い活動を重視し、何より友人関係に重きを置く。 自身が高校中退で、職業選択に苦労した親にとっては、高校生活の質はともかく、何はともあれ、高卒の資格が得られて良かったと思うのは、共通した本音に違いない。

 第1タイプ 「ヤンキー系」 の保護者とは正反対に、ほとんど普段着で来校し、ひっそりと会場の席に座っている保護者たちがいる。 この人たちは、第2タイプ 「無気力系」、つまり、おとなしくまったく生気のない生徒たちの保護者である。 教職員におどおどした態度で接し、周囲の保護者とはほとんど話さない。 祖母、祖父と思われる人が親の傍について来ていて、保護者用の受付で行う記名などの記入作業を代わりに行っている姿も時々見られる。

 肩を狭め、うつむきがちなひっそりとした姿は、教室での子どもの姿と瓜二つだ。 この親子は、厳しい社会を今後どうやって生きていくのだろうかと心配になるほどである。 この2つのタイプの保護者とその子どもはまさに相似形であり、しっかりとした再生産の連鎖ができていると、教師たちは卒業式の場であらためて実感してしまう。

 一方、少数ながら学校の式典にふさわしい服装とたたずまいで参加している保護者たちがいる。 ふるまいや言葉から、常識と知性が伺われ、子どもが卒業できた安心感もにじみ出ている。 この人たちは、ほとんど第3タイプの生徒、つまり 「不登校系」 生徒の保護者だ。

 実は、この保護者たちも、学校制度には大いに不満を持っている。 子供が不登校になった直接の原因は、同じ学校の生徒か教師の言動だ。 その言動が生じた背景をさらに分析すると、その陰には家庭の経済状況や本人の個性の問題がある場合も多い。 しかし、保護者はそれらを解決する方向より、学校や教師を批判することで、自らの無力感を抑え、プライドを守ろうとしてきた。

 小・中学校で不登校を経験しても、家庭に経済力があって、家庭教師を頼んだり、学習塾に行くことができれば、学年に見合った学力をつけることも可能だ。 そのうえで、高校進学の際に私立高校を受験するという方法もある。 大学進学のための特進コースの学費が払えれば、どんな受験生でも合格できるコースを持ち、幅広く受験生を集め、合格者の学力に幅のある中堅以下の私立高校に進学するほうが、何かと評判の悪い公立の 「教育困難校」 に進学するより 「人聞きが良い」 と思う保護者も多い。 そこで、公立 「教育困難校」 には、経済的に恵まれない不登校の生徒が集まることになる。




 そして、すべてのタイプに共通するのは、母子家庭・父子家庭の多さである。 昨今では、高校・大学の入学式・卒業式に両親が出席することは珍しくない。 しかし、それらは受験偏差値の高い高校・大学に限ったことであり、 「教育困難校」 ではそもそも両親がそろっている家庭が少数派だ。 両親はいるようだが、高校3年間に何度も苗字が変わることもある。 保護者が祖父母や叔父・叔母、成人した兄弟・姉妹、児童福祉施設職員となっている生徒もいる。 これらからは複雑な成育歴と家庭環境が透けて見える。

 現在の日本では、子どもの6人に1人が 「相対的貧困」 の状態にあり、ひとり親家庭の相対的貧困率は54.6%に及ぶといわれている( 内閣府 「平成27年版 子ども・若者白書( 全体版 )」 より )。 現場に身を置いていた感覚からすると、ごくまれな場合を除いて、この 「相対的貧困」 層の子どもたちが、 「教育困難校」 に入学すると言っても過言ではないように思う。 「教育困難校」 の卒業式では、親子関係とともに日本の 「相対的貧困」 の実情がわかるのだ。 そして、同じタイプの親が同じタイプの子を再生産する姿が明らかに見えてくる。



( 2017.02.11 )

 


 「教育困難校に勤務してるけど、もう無理」 ――。 こんなブログ記事がネットに投稿され、話題を呼んでいる。

 ブログ主は自身について、いわゆる 「教育困難校」 に勤務する教師だとしている。 内容から女性とみられる。 「ババアとかブスとか、死ねとか言われまくって」 と、仕事の苦労を切々と綴っている。 ブログ内容は広く拡散され、共感の声が相次いでいる。


「ちょっと強く言ったら、教育委員会に言うぞとか...」

 ブログ記事は17年2月7日、 「はてな匿名ダイアリー」 に投稿された。 タイトルは 「教育困難校に勤務してるけど、もう無理」。
「毎日、授業にもならなくて、毎日、ババアとかブスとか、死ねとか言われまくって、ちょっと強く言ったら、教育委員会に言うぞとか、体罰だとか騒がれて、でもそれが教員の仕事でしょ、って言われて、そういう子に情熱を傾けるのが教員でしょ、それがやりたくて教員になったんでしょ、って」
「公務員の給与プラスアルファで、朝7時から夜9時まで、昼休みなんて、パンを体内に詰め込む5分くらいで、クレームにうまく対応しながら、全く学校に行かない日なんて月に2、3日でも、休みの日だって狭い生活圏で、あの人は先生だって周囲に見られながら生活して」
 と生徒とのコミュニケーションの難しさ、仕事の辛さをぶちまける。

 さらに、
「こんな目に遭うことまで想定して、教員になる奴なんていねーよバ ── カ!!」
 と吐き捨て、
高校は、社会に出てから少しでも苦労しないように色々経験するところで、好きにやりたいなら、社会に出たらいい。 そう思ってしまうのは、教員失格なんだろうか」
 と読者に問いかけた。 最後には、次年度で退職するつもりだと報告している。 やり場のない不満、鬱憤が文章からにじみ出ている。

 タイトルのインパクトもあり、ブログは投稿後すぐに拡散。
「逃げ出さずに良く頑張ってるよ」
「かつての私がここにもいる」
「デキる人ほど貧乏くじ回ってくるよね」
 と労り、共感の声が集まった。


生徒が 「お前も鬱でやめさせたろか」

 いわゆる 「教育困難校」 とは、いじめ、不登校、学業不振、貧困、家庭崩壊などさまざまな困難を抱えた生徒が多く集まる学校で、特に高校を指すケースが多い。

 今回のブログに限らず以前から、教育困難校の教師らはネットで愚痴をこぼしていた。 たとえば、掲示板サイト 「2ちゃんねる」 の 「教育・先生板」 には、 「困難校勤務教師の本音」 と呼ばれるスレッドがある。 2月9日時点で 「パート25」 と、かなり 「住人」 が多い。

 そこでは、教師と思われる 「住人」 が悲惨な実体験を明かしている。 最初の授業で、女子生徒から 「前の教師も鬱で学校辞めさせた。 お前も鬱でやめさせたろか」 と言われた、という例や、複数の生徒が、授業中に教室内を徘徊したり、トイレに何度も立ったりするという嘆き節などが書き込まれている。