「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」。 2004年4月1日、日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会はこう注意を喚起した。 1999年に出された米国小児科学会の 「2歳以下の乳幼児のテレビ視聴を禁止すべきだ」 という勧告から既に5年が経過していた。 日本小児科学会によると、2歳以下の子どもが 「テレビやビデオ漬け」 になると、 「言葉が遅れる」、 「表情が乏しい」、 「親と視線を合わせない」 など乳児の発育を妨げる恐れがあるという。
 日本でテレビ放送が始まって半世紀、テレビと共に育った人たちが親になり、授乳中や食事中にテレビをつけっ放しにしている家庭は多い。 今、子育てとテレビ、ビデオの関係が問われ始めている。


乳児にテレビを見せることで有益なことはあるのか?

 「日本ほど子どもがテレビ・ビデオ( 以下、テレビと表記 )を見る国はないと思っていました。 そんなときアメリカの小児科学会が2歳以下はテレビを見ないほうがいいという勧告を出したんです。 それで4年前から 『日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会』 という組織を作り、調査・研究を始めました。 最初に在京のキー局の制作者に自分の番組は子どもも見る可能性があるということを考えて作っているのか、というアンケートを実施したところ、1割くらいしか返ってきませんでした。 それで調査方法を変えて、昨年、首都、中核市、農村地区の3地域で、一般市民1900人あまりからデータを集めたんです。 1歳半健診児の親に、子どもや家族がテレビを見ている時間を質問し、子どもが有意語( 意味のある言葉 )をどの程度話すかどうかなど、子どものテレビとのかかわりと発達に関する質問紙調査に無記名で協力してもらいました。 回収率は75.2%で、その結果、テレビの視聴時間が長いほど、言葉が遅れている子どもが多いことがわかり、今回の危険性の提言となったのです」 ( 日本小児科学会副会長・岡山大学名誉教授・大阪厚生年金病院長・清野佳紀氏 )
 4月9日から11日にかけて岡山県で行われた 「日本小児科学会学術集会」 の会頭でもある清野氏は提言までの経過をそう述べた。

「乳幼児のいる家庭でのテレビのつけっ放しは問題」 片岡直樹氏

 委員会のメンバーでもある川崎医科大学小児科教授の片岡直樹氏のデータでは、赤ちゃんのときからつけっ放しのテレビを見ていた子どもの中に、言葉が遅れ、人とのコミュニケーションができず、無表情な子どもたちが増えていると報告されている。
 「『 2歳まではテレビの長時間視聴を止めましょう』 と今回の小児科学会で言ったら、アメリカの小児科学会のカーデン・ジョンストン会長に 『手ぬるい!』 と言われました。 『2歳までの乳児にテレビを見せることで有益なことは何かありますか?』 と逆に質問されたんです。 『テレビの内容もわからないのに、つけっ放しでじーっと見ていて、ためになるようなことはない』 と断言されました」 ( 片岡氏 )

 普通、1歳半なら 『パパ』 とか 『マンマ』 などの有意語を乳児の95%くらいがしゃべるようになっている。 ところが今回の調査では、テレビのつけっ放しが8時間未満の条件下で、4時間以上視聴している子ども( 長時間視聴児 )は、視聴4時間未満の子どもに比べ、有意語出現の遅れの危険度が1.3倍になる。 ただそれが放っておいたら自然に治るものなのか、ずっと悪いままなのかについてはまだ調査されていない。
 「赤ちゃんのテレビ視聴については、時間は関係ありません。 それ以上に、生まれたときからテレビがつけっ放しになっていることが問題なんです。 親にとってはテレビがついているのは空気みたいなものですが、赤ちゃんにはきわめてよくない環境です。 お母さんの声がテレビの音と混ざってしまって、赤ちゃんの耳にとどかず、お母さん語が頭に入らないのです。 そして、赤ちゃんはテレビの映像と音にだけ反応を示すようになります。 赤ちゃんがテレビに反応したと大人は喜びますが、大きな間違いです。 テレビでは双方向的な関係が育たないので、まねることや声を返すことがうまくできません」 ( 前出・片岡氏 )


大都市のほうが言語発達の遅い子どもの割合が高い

 前出の調査によると、テレビを見る視聴時間が一日当たりで 「子どもが4時間以上で家族が8時間以上つけている」 のグループでは、有意語を話すのが遅れる危険度が、 「子どもが4時間未満で家族が8時間未満つけている」 というグループに比べ2倍、上がっている。
 また、テレビを見るときに親が話しかけなどをほとんどしない場合は、話しかけをする場合に比べて、 「登場人物のまねをする」、 「指さしして質問する」、 「にこっと笑って親の顔を見る」 などの反応が10~20%も下回る。 また、驚くことに 「テレビがついている時間」 も 「テレビ視聴時間」 同様に長くなるほど 「言葉の遅れ」 が見られるとの調査結果だった。 さらに、大都市のほうが全般的に視聴時間が長く、言葉の発達の遅い子どもの割合も高かった。
 片岡氏のもとには、毎日のように全国各地から発語遅れの相談のメールや電話、手紙が届く。
 2歳2ヵ月の時に診察したA子ちゃんの例を取り上げてみよう。 2歳上の姉が母親を独占したため、生後6ヵ月からテレビ視聴が遊びの大半を占めていく。 1歳頃になると1本1~2時間の子どもによいといわれているキャラクターものの作品を繰り返し見ており、2歳になっても言葉が出なかった。 衣食住の生活習慣は普通だったので家族は異常に気づかなかったが、2歳2ヵ月になっても言葉が出ないことを心配し診察を受けた。 診察時には、呼んでも振り向かない、指さしもしない。 片岡氏は、テレビの視聴を一切止め、人との触れ合い中心の遊びを指導した。 その後ゆっくりとではあるが言葉が出るようになり、小学校6年生の今では、まったく正常な集団生活を送っているという。
 「2歳くらいまでなら治るといえます。 テレビを消して、親がコミュニケーションを取ろうとすれば、治りますよ。 次第に子どもは親の行動に反応してまねをするようになります。 テレビを消しても最初は声かけが伝わらないので、手を叩いたり、いないいないバーのような遊びをするわけです。 親の行動に反応したら、次に “ブーブー”とか“マンマ”とか“あー”とか“寝んね”とか声かけをし、まねさせるんです。 これらをまねするようになれば治ってきているということです。 しかし、3歳になるといろんな知恵が入ってしまい、自己主張も出てきますから素直に模倣ということもできなくなります」
 早く気づくほど回復するのは簡単で、1歳までに気付けば1~2ヵ月で回復しますと片岡氏は言う。 現在、追跡調査をしているのは1000人。 調査結果が待たれる。


「言葉遅れ」 の原因がテレビという意見に対して慎重論も

 「脳とメディアのあり方についての研究は始まったばかりです」
 脳科学を研究している日立製作所・基礎研究所の小泉英明氏は、そう前置きした後、メディアが脳にもたらす影響を 「ポケモン事件」 を例に述べはじめた。 1997年12月16日に放送されたアニメ 「ポケットモンスター」 を見ていた全国の778人の子どもたちが、次々とけいれんを起こしたり気持ちが悪くなったりして病院に運ばれた事件である。
 「“ポケモン事件”のけいれんは光過敏性発作でした。 放送が始まって21分後に現れた4秒間に赤・青の光が何度も反復するシーンが影響を与えていたのです。 脳の血流の変化を見る“光トポグラフィ”という装置を使い調べたところ、視覚情報処理をつかさどる後頭部が強い刺激を受けて活発に動いていることがわかりました」

 また、小泉氏はメディアと言語の遅れやコミュニケーションが取れないことなどには関係があるかもしれないと言う。
 「たとえば授乳のとき、子どもは母親ともっとも密接なコミュニケーションを取れる機会なのに、母親がテレビを見ながら授乳していた場合、 「まなかい」 ( 互いに視線を合わせること )による母子間の貴重なコミュニケーションの機会が失われます」
 小泉氏らの“光トポグラフィ”の実験によれば、コミュニケーションなどをつかさどる脳の機能は、人間の脳全体の司令塔である前頭前野( 額のちょうど後ろ側に位置している )が関係しているという。 乳幼児期に前頭前野の中枢( ワーキングメモリー )が発達することも最近の実験で確認された。 しかし、メディアと脳との関係はこれからの課題という。

「暴力映像が子どもに与える影響は大きい」 坂本章氏

 心理学者であるお茶の水女子大学の坂元章教授は 「言葉遅れ」 の原因がテレビであるという意見には慎重だ。
「テレビを見ている子どもほど言葉が遅れているという調査結果がありますが、これはテレビを見ているから言葉が遅れたのか、もともと言葉が遅れるような子どもがテレビを好むのか、さまざまな要素があり複雑で、はっきりとしません。 2歳以下の乳幼児にとってどうかはわかりませんが、一般的にテレビにはいい面も悪い面も両方あります。 いい面として、教育番組は教育的な効果があるとよくいわれていて、語彙力や教科学習などに関して効果があるという研究結果もあります。 テレビは映像で示すわけですから、テレビを見ると視覚的な能力が伸びるとも言われています。 一方、悪影響でまず言われるのは、暴力映像ですね。 この研究は昔からあって、暴力映像はかえって暴力的な傾向を抑えるという意見もあったんです。 欲求不満を解消して、暴力的な傾向がなくなるというカタルシス理論といいますけど。 現在はそれを支持する人は減って、テレビの暴力映像によって暴力傾向が強まりうるというのは、大方の研究者の意見ですね」


テレビは音と光だけで一方通行なのが問題?

「私は自分の子どもが5歳になるまでテレビを自宅に置きませんでした」 小泉英明氏

 研究者の間でもさまざまな意見が飛び交っている中、テレビが言語の発達にどんな影響を与えるのか。 前出の小泉氏はこう指摘する。
「テレビが言語の発達に影響を与えるはっきりした理由は二つあります。 ひとつは音( 聴覚 )と光( 視覚 )だけだということです。 コミュニケーションには五感を使うことが必要ですが、音と光だけでは五感に与える刺激が非常に偏ってしまうのです。 もうひとつはコミュニケーションが一方通行だということです。 テレビを赤ちゃんに見せると赤ちゃんはテレビの人に向かって、一所懸命合図をしたりします。 ところがテレビの相手は知らん顔だから諦めてしまう。 しかし普通、赤ちゃんが何か合図をしたら周りの人は絶対に反応しますよね。 赤ちゃんは自分から合図を出して、それに対して外界がどう反応したかということで人付き合いを学び、脳の回路が作られていくんです。 一方通行だと脳の回路を作り損ねてしまい、コミュニケーションの能力が育たないまま成長していくことになるケースもありうるわけです。 普通の言葉で親が返すからこそ、言語能力は発達するのです」

 1~3歳の子どもたち2500人を対象にした、テレビと子どもに関するワシントン大学( アメリカ )の調査が 「Journal of Pediatrics」 の4月号に発表された。
「1歳から3歳の子どもにとってテレビの視聴時間に関する安全な基準はない。 時間が長くなるにつれ、小さいけれどリスクが増してくる。 何人かの親はリスクをかえりみずテレビを見せるかもしれないが、我々の研究では安全な範囲は見つからなかった」
 また、鳥取県八頭郡郡家町の保健センターでは第3土曜日を 「ノー・テレビ・デー」 とし、 「テレビに子育てを任せないで、家族団欒( だんらん )を楽しむ日をつくりましょう」 と呼びかけを始めた。 保健センターの露木節子次長は 「15年位前から落ち着きがなく、他人はもちろんのこと家族とのコミュニケーションがとれないと思われる“気になる子”が1歳半健診で見受けられるようになりました。 10年前から追跡してみると、いわゆる“気になる子”の問診票の中で、テレビを長時間見せているという回答が多く見られたのです。 そのためテレビを上手に使おうということで地域ぐるみで取り組んでいます」

 現在、24時間休むことなくテレビ放送が流れ、家では各部屋にテレビやビデオが備え付けられることが当たり前になっている。 しかし、子育てをテレビに任せるのではなく、親と子の直接的なコミュニケーションを第一に考えるべきであろう。 親にとっては容易ではないかもしれないが、そうしなければ健全な子どもが育たないリスクが増えるのだ。 今後、新たなる研究結果、調査結果に注目したい。