( 2007.12.01 )
わんぱくでいい

 ある人から、 「 ウチの子が公園のジャングルジムから落ちて骨折した 」 と聞いた。 小学校1年生である。
 その親は 「 この間も自転車で転んで、膝をすりむくわ、アゴから血を出すわで大変でした。 なんでこうもケガに祟られるのか … 」 と嘆いていた。

 子供がその程度でケガをしたり、やたらに風邪をひいたりするのは、簡単にいえば鍛え方が足りないのである。
 もうちょっと言えば、遊ぶ場やケンカする場を持っていないからだ。 鍛えるという意味では、スポーツクラブなどでは、あまり効果はあるまい。 やらないよりマシか、の程度だ。

 大人の世界のスポーツのミニチュア版を子どもに押しつけていると、審判に代表される大人に従う 「 良い子 」 に強引にさせられるところに問題がある。
 それより、子ども同士でとっくみあったり、アウト、セーフで口論になったり、また仲直りしたりするのがいい。 小学校時代は、わんぱく盛りが最もいいのだ。
 むかし、丸大ハムのCMで 「 わんぱくでもいい 」 というセリフを言うものがあった。 あれでいいのだ。
  「 わんぱく坊主が成長しておかしくなった試しはない 」 なぜなら清濁合わせ飲む認識構造が、わんぱくぼうず、悪たれ小僧にはできあがってくるからである。

 逆に、 「 良い子 」 に育てば、大人になって( あるいは高校生くらいから )困った人間になる。 ほぼ間違いなく、である。 鬱になったりするご仁は、子どものときに悪たれ、わんぱくでなく、親の言うことに素直な子どもで、よく勉強し( 成績はともかく )友達ともケンカなどしない子だったはずである。

  冒頭の子どもは、日ごろわんぱくではないから、ジャングルジムから転落するのだ。 昔の子は膝小僧がいつも、赤チンやヨーチンで赤くなっていた。 今はヒザをすりむいた程度でモンスターペアレントが大騒ぎして、教師らを困らせるから、教師らもビビって危ないことをさせられなくなった。 だから子どもは鍛えられず、ちょっとのことですぐに泣き、すぐに大ケガになる。

 人間はある程度、厳しい局面にぶつかって、精神的にも肉体的にもその苦難を乗り越える経験というか、もっといえば修行・修業の場を子どものころから持つべきなのだ。 そうでなく、蝶よ花よと大事にされ、危ないこと嫌なことを全部回避させるようなモンスターペアレントの 「 教育方針 」 で子どもが育つから、長じて鬱やら精神病やらになる。
 教育現場でモンスターペアレントに苦労されている教師は気の毒であるが、まあ言ってわかる父母ではないかもしれないが、わんぱくほど大人になってまともになり、 「 良い子 」 過保護な子ほどダメになることを分からせることであろう。 まともな認識論を踏まえてそれを言って、モンスターどもを黙らせるしかない。
 しかし考える能力を持たない教師はおろおろするばかりだろう。

 人間は長い人生のうちで、困難、苦難、壁、挫折、失恋などに必ずぶち当たるものだ逃げるならず、前進するならずの局面にぶちあたるそういうときに、攻められる人間、または逃げられる人間は精神病にはならないどっちつかずの、逃げも行くもできない人間、つまり主体性が持てない人間が鬱や精神病に陥るのだ
 当然、ちゃらんぽらんな性格の人は心は病まない常に困難をも修業とか喜びに捉えて、前向きに生きる人間も病まない


 ホームレスなんかは、逃げてしまった人間の典型であろう。 だからおそらく、ホームレスはやがてボケるだろうけれど、鬱にはなるまい。 ホームレスを見ていると、逃げるのも大変だな、と思う。

 だから、自分はどうも何をやるにも躊躇するとか、以前鬱だったとか、決断ができないとか、そういう人は、自分の過去を振り替えてみられるといい。 自分は 「 良い子 」 であったつもりはない、と言う方がいるだろうが、そんなことはないのだ。
 素直に受験勉強をやったとか、素直に部活でスポーツをやったとか、親のいうとおり塾通いをしたとか、先輩の勧めるままに素直にタバコを吸ったとか、みんなが制服を縮めてミニスカートにして履いたから素直に真似したとか、そういう過去があるはずである。 こういうのを 「 良い子 」 と言う。

 だから、有名な事例があるでしょう。 日本人なら誰でも知っているある女性だが、聖心女子大を卒業して、超玉の輿に乗ってやんごとなきお方に嫁いだはいいが、数年ならずして心の病に苦しめられるようになったとか、週刊誌にちょっと悪口を書かれたからといってショックを受けて失語症になったとか…。
 あの方も深窓の令嬢で、無菌状態で育った典型的な 「 良い子 」 であった。

 もしも、彼女が高校時代に万引きしたり、タバコでも吸ったりして、何回か停学処分を受けているような適度なワルであったら、あの気の毒なお顔にはならずにすんだはずなのである。
 これは決してその女性を侮辱して言っているのではない。 大人になって清濁合わせ飲む姿勢ができ、いくらバッシングがあろうとも、どこ吹く風になれた、という話である。

 大学に入って、いわゆる 「 五月病 」 になりました、と言う若い人からもメールをいただいたが、そういう人は、広い意味で 「 良い子 」 だった子ども時代があったはずである。

 新興宗教( 旧宗教でも同じだが )にいかれてしまう人も、主体性が持てない人間だから、たぶんに子どものころはおとなしかったのではなかろうか。

 有名な格言(?)があるではないか。 人間は 「 強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない 」 と。 レイモンド・チャンドラーの推理小説 『 プレイバック 』 のなかで主人公の探偵マーローが言うセリフだ。
( If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. )

 こういう気障だけれど、そのとおりというセリフが吐けるには、子どもの時代に適度なワルをやり、わんぱく盛りの少年期、思春期、青春期を過ごさねばならないのだ。 それを子どものころから一直線にかっこいい大人になるのは無理なのである。





( 2015.08.28 )


 子どもの望むものを買い与え、あまり怒らず、とにかく優しい親。 でも、そうやって親に “大事” にされてきたはずの子どもが思春期になって急にグレたり、ひきこもってしまったりするケースもときどき耳にする。

 過保護な親が子どもを追い詰めてしまうこともあるのだろうか。 日本心理教育コンサルティング代表・櫻井勝彦先生に聞いた。
「 『 子どもを追い詰める 』 という定義は曖昧ですが、いわゆる過保護な親の場合、子どもはほしいものを与えられ、好きなものが食べられ、大事にされます。 子どもからすれば、家庭は居心地の良い場所になるため、 『 精神衛生上 』 悪くはないものです 」 ( 櫻井先生 以下同 )
● 学校や社会での孤立が問題行動の引き金に

 ただし、問題は、子どもが王子さま・お姫さま状態になってしまうことだそう。
「 幼稚園・保育園や小学校でも、何でも自分の思い通りになると思い込み、友だちを手足のように使ってしまうケースもあります。 また、家ではダダをこねれば、自分の思い通りにできたのが、学校ではそうもいかない。 それが原因で感情をエキサイトさせ、キレる可能性が高いのです 」
 すると、学校や社会で孤立してしまい、引きこもりや、グレたりすることにつながる。 親が子どもを直接追い詰めるのではなく、 「 社会のなかで孤立を感じ、結果、子どもを追い詰める 」 ことになるそうだ。

● ときには、親が厳しく接することも子育てには大切

 では、ついつい子どもに過保護になってしまう親が気をつけるべき点とは?
「 子どもが自分で生きていける力を育てることが、 『 子育て 』 です。 かわいければかわいいほど、ときには厳しくすることも必要です。 だからこそ、思い通りにならないことがときにはあることを、家庭のなかでも学ばせる必要があると思います 」
 かつてに比べれば子の人口は少なく、家庭もそれなりに豊かであるため、何でも思い通りになってしまうことも多いもの。

 でも、 「文句を言えば誰かがなんとかしてくれる」 と思い込んで育つと、将来的に 「モンスタークレーマー」 や 「モンスターペアレンツ」 になる危険性もあるそう。

 子どもが学校や社会で孤立し、つらい思いをすることのないよう、親がときには厳しい壁になり、子どもの前に立ち塞がることが本当の愛情といえそうだ。