小学校が暴力教室と化した
エアガンで教師を撃つ児童をつくったのは誰だ




「本当は思い出すのも辛いんです」
 横浜の近郊で小学校の教師をしていたAさんはそう言って、苦渋の表情を浮かべた。 今も教師だが現在は休職中。 原因は、昨年体験した学級崩壊だった
 Aさんが受け持ったのは5年生。 前年から 「 荒れたクラス 」 といわれ、立て直しのために、他校からきた40代の男性教師が担任になった。 前任校での評判も高かったので、周りから期待されての赴任だった。 そのクラスに、Aさんは補助教員として入ることになったのだ。
 クラスの児童は40名。 彼らを一目見た担任は、 「 身勝手で自己主張が強い女子が多すぎる 」 と感じ、 「 男子を育てる方針 」 でクラスを作っていこうとしていた。 それが男子をえこひいきしていると受け取られ、女子は何かにつけて担任に逆らいはじめた。 それだけならまだよかったが、クラスのボス的な女子が母親に告げ口をし、それを鵜呑みにした母親が 「あの先生はひどい」 と他の保護者を煽った。 担任不信が加速度的に広がり、不満を抱いた親たちが学校に押しかける、という一幕もあった。
 「 それ以来、クラスが変わりました。 授業がはじまっても教科書を出さない。 勝手に歩き回る。 座りなさいと言うと、 『 なんでいけないんですか 』 と挑発する。 1人が 『 先生、おトイレ 』 と言って教室を出ると、まるで順番が決まっているかのように次々とトイレに立っていく。 出たら出たきりで教室に戻ってきません 」
 教師に対する挑発態度は日に日にエスカレートし、教室に飾られた花は教師の目の前ですべて折られ、置いてあったぬいぐるみや人形の類はカッターナイフでグサグサと刺された。
 こうした女子の行動が、それまでまともだった男子に動揺を与え、ある瞬間から糸が切れたように崩れてしまった。
 ヒモで子供同士が首を絞めたり体を縛りあげたり、あるいは洋裁で使うジッパーで首の皮膚を挟んだり ……。 すべて授業中の出来事だ。 もちろん理科の実験や家庭科で包丁を持たせるような授業はほとんどできなかった。
 「 教室の備品はすべて壊されました。 窓ガラスも割られました。 男子は授業中、校舎の上から、外を歩いている人に水をかけたり石を投げ、平然としているんです。 死人が出なかったのが不思議なほどです 」
 生徒数が減少して、どこの学校でも空き教室がたくさんある。 安全のため、この学校ではそういう教室に鍵をかけるか扉を外してしまっていた。 それでも女子の一部が鍵を壊して閉じこもり、やがて男子を引っ張り込んでは性的ないたずらをはじめるようになった。
 とりわけひどいのは給食の時間だった。 給食当番制は崩壊し、猿山のボスのように強い子は存分に食事をもらい、おとなしくて弱い子はもらえない。 まさしく弱肉強食の世界だった。 後片づけなどするはずもない。 子供たちが食べた食器を、担任が黙々と1人で片づけていた。
 やがて黒板に向かって書いていた担任の背中にモノが飛んでくるようになった。 最初は紙つぶてだったが、ボールペンや定規などに変わり、危なくて授業ができなくなった。
 廊下を歩いていると、後ろから上着にべったりと糊をつけて逃げる。 必ずグループでやるから誰が犯人かわからなかった。 さらに後ろから膝の裏や背中を思いきり蹴られたり、髪を引っぱられたりが頻繁に起ぎるようになった。 教師が暴れる子供の手を押さえると 「 先生が殴った 」 「 暴力教師 」 と嘘泣きして非難される。 生徒の標的は学校全体に広がり、 「 デブ 」 「 ブス 」 など言葉の暴力もエスカレートし、何人かの女性教師はトイレに隠れ、泣いていた。
 すでに授業は崩壊していたが、担任はプライドがあったのか、自分で解決しようとして最後まで同僚に助けを求めなかった。 管理職の対応も遅かった。
 「 そのうち教室の黒板や壁などに、 『 先生、死ね 』 といった罵詈雑言が書かれるようになりました。 最終的に担任への攻撃は“お墓を作る”まで発展しました。 授業中に女子数人が、段ボールで担任のお墓を作り、名前を書いて、家からお線香まで持ってきて焚き、教室の入口に置いたんです。 そこまでやられたら、先生もつぶれてしまいますよね 」
 結局、二学期を終えないうちに、担任は“病気療養”で休職した。 その後しばらくして、Aさんも休職届けを出した。
 Aさんの話を聞きながら、これが小学校での出来事だということをすっかり忘れてしまった。 少なくともこれまで抱いていた 「 子供らしさ 」 のようなものが、ここにはまったくない。 これまで中学高校で起こっていたことが、なぜ小学生にまで広がってきたのだろうか。

問題教師が引き金に

 今年の9月、文部科学省は 『 生徒指導上の諸問題の現状について 』 と題し、2005年度に公立学校で発生したいじめや暴力行為などの数値を発表した。 この中でとくに注目すべきは、学校内における中学高校の暴力行為が逓減しているのに対し、小学生のそれは2018件と前年度より6.8%増と過去最多だったことである。 とりわけ対教師暴力は38%増で、3年連続して30%をこえた。
 実数でいえば、中学校はその8.5倍で高校は1.3倍だから、遥かに少ない。 とはいえ、あどけなさが残る小学生が教師に暴力をふるうなど、およそこれまでは考えられなかったことだ。
 ただし文科省が発表したこの数字はアテにならない、といわれている。 文科省の職員でさえ 「 数字が実態を反映しているとは思えない 」 という。 たとえば、生徒数ではるかに多い東京都の暴力件数が、神奈川県の8分の1しか報告されていない。 現場の教師に話を向けると、そのほとんどが 「 実際はもっと増えているはず 」 と言う。 つまり、この数字は氷山の一角だということである。
 なぜ子供たちの暴力、問題行動が増えているのだろうか。
 今、一番人口に膾炙かいしゃしている理由は、 「 教師の指導力が低下しているから 」 というものである。 ここ数年、指導力不足と認定された公立学校の教員は毎年500人をこえる。 冒頭のAさんが体験した学級崩壊も、 「 六年になってベテランの先生が担任になったら3ヵ月で立ち直った 」 というから、教師に問題があったといわれても仕方がないだろう。
 ここでは、教師の問題行動から子供の暴力行為を誘発させた例を一つあげておこう。 福島県の公立小学校に息子を通わせた経験を持つ母親の話である。
 「 六年生になった息子が 『 今日もBが同級生をいじめてさ、ひどいよ 』 と言うんです。 Bと呼び捨てにするので、てっきり同級生と思っていたのですが、先生だとわかって驚きました。 『 先生って呼びなさい 』 って叱ると、 『 あんなヤツ、先生じゃない 』 って言うんです。 感情のコントロールができない先生で、子供の言葉がしゃくに障るとすぐキレてしまい、教室を出たまま2時間も帰って来ない。 職場放棄ですよ。 キレ方がひどいときには、一人一人に配るべき通信簿を教壇からばらまいてしまったり、重たい電動エンピツ削りを子供に向かって投げたことすらあったんです。
 ひどいのは、特定の児童を何度もからかったことです。 さすがに生徒たちも怒り、先生と子供たちの間で完全に溝ができてしまいました。 こうなるとクラスはまともに動くはずがない。 授業中なのに子供たちは教室内で紙飛行機を飛ばしたり、サッカーボールを蹴ったりと大騒ぎ。 元から悪ぶっていた子は、エアガンを学校に持ってきて、廊下を歩いているその先生に向けて撃っていた 」
 千葉県のある母親も、こんなひどい教師がいたことを覚えている。
 「 教室にADHD(注意欠陥多動性障害)の子が一人いて、暴れるとすごい。 あるとき息子がその子が暴れるのを抑えようとしたら、暴力をふるっていると思われたらしく、先生に怒られた。 それ以降、何かとよく目をつけられるようになってしまって……。 私との面談でも 『 あなたの息子が来なければクラスはよくなるのに 』 と平気で言う。 たまたま息子が休んだとき、その教師は別の児童に 『 あの子がいないと学校楽しいね! 』 って言ったんです。 それが息子の耳に入り、私も子供も、完全に教師不信になってしまいました 」
 この10月には、福岡県の三輪中学校で教師から 「 偽善者 」 「 うそつき 」 と呼ばれた子供が自殺している。 いじめた理由を、教師は 「 からかいやすかった 」 と言ったが、精神的には子供と同レベルである。 体罰が減ったかわりに、こうした教師による生徒への精神的な暴力が増えているようだ。
 学校選択制や、教師を点数で査定して給与に反映させる教育の市場化、教育現場の 「 規制緩和 」 は、元を辿れば教師への不信に根ざしている。 学校問題の元凶はすべて教師にあり、ダメ教師を淘汰すれば教育はよくなる、というわけだ。
 しかし果たして、本当に教師だけが悪いのだろうか。

子供たちが変わった

 9月4日、岡山市内の小学校で、授業中に六年生の男子児童が、突然同級生の脇腹を小型ナイフで刺して軽傷を負わせた。 クラスの係決めのときのトラブルだったようだが、今も校長は、この事件についての困惑を隠さない。
 「 刺した子供も刺された子供も、まったく問題のない普通の子供でした。 このクラスは学級崩壊していたわけでもないし、授業中に席を立つ子供もいなかった。 また、二人はいじめたりいじめられたりの関係でもなかったんです。 事件は突発的なもので、正直いって、なぜこんなことが起こったのか見当もつきません。 子供たちのわからない部分が増えているような気がします 」
 「 宇宙人のような子供 」 という言葉が登場したのは10数年前だが、教師たちも異口同音に、今の子供は昔の子供とは 「 まったく違う 」 のだという。
 明治大学で心理学を教える諸富祥彦教授も、 「 子供は生物学的に変化している 」 と言い切る。
 「 日本文化の中で美徳だった我慢が、親も世間もできなくなった。 日本人が変わってしまったんです。 辛いことやカッとなったとき“もう溜めなくてもいい”という文化の中で今の子供たちは育った。 だから心の器が小さくて決壊しやすい。 不快な体験があったら、普通は内側に溜めて少しずつ発散するのに、それができない。 なぜか、といえば、親が心にストレスなどを“溜める”というモデルを子供に見せていないからです 」
 最近の教室では、衝動的に暴れ出す子、カッとして何をするかわからない子、授業中に立ち歩く子などで授業が成り立たないことは、さほど珍しいことではないようだ。 また、冒頭に紹介した学級崩壊は、教師と児童の対立構図でイメージがとても湧きやすいが、近年は群発式というか、原因不明の暴力行為や学級崩壊が多発しているという。
 子供の心の中の変わりようについて、2年前まで小学校で教えていた北海道教育大学の今泉博助教授もこう分析する。
 「 今の子供たちは衝動をコントロールできない。 また、彼らにとっての生と死の観念は本当に軽くてもろくて、また先鋭化しているように思います。
 小学一年生で 『 僕は生きている。 生きてなかったら死んでいる。 なぜ生きるんだろう 』 って詩を書く子がいるんです。 今を生きていることに幸せを感じているなら、そんな詩を書くわけがない。 何のために生きるのか、何のために学ぶのか、そういう子にはわからないんです 」
 小学生の“荒れ”に取り組んできた東京都のベテラン教師の話は、聞くほどに驚きとため息がこぼれる。  「 お母さんからSOSがあってお家に行ったら、包丁を握って 『 僕なんか生きてる意味なんかないんだ 』 と泣きじゃくっている。 四年生の男の子でした。 普段は素敵な作文や詩を書く子です。 なぜ彼が生きてる意味がない、と思ったのかと聞くと、原因は休み時間にやったバスケットボールだった。 彼はあまり上手じゃないからなかなかボールが回ってこない。 そこで、 『 ポクは無視されている 』 と怒って、包丁を取りに家に帰ったんだ、というのです。 たったそれだけで生と死の間を揺れるんです。 またある女の子ですが、男子児童から 『 おまえ、上履きはけよ 』 と言われて怒り、暴れはじめた。 慌てて図書室に連れて行って落ちつかせようとしても、 『 殺してやりたい、あいつは殺す! 』 としばらくは興奮して言いつづけた。 長崎で小学生が同級生を刺し殺した事件がありましたが、私たちの周囲にはああいう子は どこにでも、それこそクラスに1人はいるんじゃないでしょうか 」
 まるでタイトロープをわたっているかのような、子供たちのもろい心。 彼らに共通しているのは、人間関係に異常なまでにこだわることのようだ。
「 今の子供は、集団の中で孤立することを非常に恐れます。 いじめで自殺する子もほとんどそうです。 部屋にこもってゲームをしているのに、孤立がいちばん恐い。 だから授業よりも人間関係を重視することになる。 目立つことを極力避けるし、そうしたくはないのに仲間と同調して、特定の子を無視したりいじめたりするんです 」 (前出・今泉氏)
 昔のように地域で異年齢の子供同士が 「 タテの関係 」 で遊ぶことは少なくなった。 家庭では1人っ子が増え、かつては兄弟間で育まれていたさまざまな人間間係がなくなっている。 となれば、教室でつまはじきにされると、その子にはすぐに 「 孤立 」 が訪れる。 それが今の子供にとっては、生か死を選択するほどの引き金になってしまう。 とにかく今の子供たちは、もろいのだ。
 だからというべきか、今、小学校の教師には子供を包み込むような 「 母性 」 が必要とされている。
 「 大人より鋭い視点を持ちながら、三歳児のような脆さも持っているのが今の子供です。 そういう子供とつき合うには、同伴者になってあげないと子供は立ち上がれない。 母親のように、子供の言うことに優しく耳を傾け、子供と一緒に考え、叱りつつも抱きしめたり……。 『 やさしい母親のような教師 』 でなければうまくいかない 」 (東京都・小学校教師)
 「 今の子供たちは静かに話を聞けなくなった 」 という話をよく耳にした。 静かに話を聞くのは学校文化の基本だが、それができない。 だからまず 「 聞くこと 」 を、母親のように優しく教え論さなければならない……。
 初等教育は長年、 「 社会性が育っていない子供を、教師が鍛え上げる場 」 とされてきた。 しかし、今ではそういうスタンスの教師は排除される。 出会った四十代の元教師は、 「 生活習慣からしっかり叩き直さなければ 」 「 教師と生徒のけじめが大事だLと唱えるような、どちらかといえば 「 父性 」 の強い熱血教師だったが、今の子供たちとはどうしてもかみ合わなかった、という。 「 私のような教え方では今の子供は保たない 」 と、教師となってから二十年が経った昨年になって教壇を去った。 今はトラックの運転手をやっているという。 彼がつぶやいた一言が、印象的だった。
「 私がきっと、時代遅れなんですよ 」 「 座っていることができずに床に転がる子供、すぐ手が出て喧嘩になる子供、授業そっちのけでおしゃべりに夢中の子。 その中に1人でも軽度発達障害やADHDの子がいたら、その対応に追われて収拾がつかなくなる 」 (埼玉県・男性教師)
 こういった光景が、いまや各地の小学校、それも一年生の学級で当たり前のように見られるというのだから驚く。
 では、もっと幼い子供たちはどうなのか。 東京・江戸川区の江戸川双葉幼稚園の菅原久子園長は、幼児教育段階ですでに学級崩壊が起きている、という。

三歳児崩壊

 なぜ教師に 「 母性 」 が必要になったのか。 それは本来、家庭で母親が子供たちに、慈雨のごとく注いでいたはずの何かがなくなってしまったために、教師がその役割を代行しなければならなくなったのではないか。  そう考えたときに注目すべきなのは、学級崩壊の低年齢化であろう。 高学年のケースほど組織だってはいないが、子供たちは個々バラバラに問題行動を起こし、それによってクラスの秩序があっと言う間にかき乱されるという。
 「 特に保育所などで問題化しているのが 『 三歳児の崩壊 』 です。 今の三歳児は、人の話が聞けない。 みんなが集まっても1人だけ走り回る。 座っている子にちょっかい出したり噛みついたり。 その子に注意したり追いかけたりしているうちに、その傾向を持つ他の子も同じことをやるようになり、一気に崩壊する 」
 なぜ保育所でこうしたことが起こるのか。 菅原氏は、こう断言した。
 「 母親の子育てに原因があると考えています。 静かに話を聞けない子供のお母さんと話すと、大抵子供を保育所に預けっ放しです。 昼間は保育所にいれたまま。 保育所から連れて帰ると、早くご飯食べなさい、早く寝なさい、お母さんは忙しいんだからと子供を常に急かす。 子供は自分が大事な存在だと感じる間もなく、体だけが大きくなっていくんです 」
 ある育児相談員によれば 「 最近は長い時間預かってくれるという理由で幼稚園よりも保育園が流行っています。 仕事を持つ母親が増えたこともあるが、 『 少しでも自分の時間がほしい 』 という母親が多い 」 というから、この傾向はますます強くなっていくのだろう。
 この話を敷衍すると、子供が 「 キレる 」 原因は、やはり乳幼児期の親の子育てに行きつくことになる。 児童虐待の研究でも知られる小林登東大名誉教授によれば、今教育現場で起きている問題の多くは戦後の育児法に原因があるという。
 「 胎児や新生児のように、言葉を発する前の子供は、感性の情報を、本能や情動を司る 『 古脳 』 の中の大脳辺縁系で理解しています。 辺縁皮質をよく働かせると、やがては前頭葉でコントロールできるようになっていきます。 それには何よりも 『 優しさの体験 』 が必要なんです。 愛され、優しくされることで、ベイシックトラスト(基本的信頼)というプログラムができ、言葉ができると今度は他人の心に共感できる力、心理学でいう 『 心の理論 』 ができるんです。 ところが戦後の子育ては 『 優しさの体験 』 が欠如し、母と子の心の絆を育ててこなかった 」
 小林氏は 「 優しさの体験 」 の一例として、おんぶや抱っこ、母乳を与えるといった 「 スキンシップ 」 をあげた。 ほとんどが戦後少なくなってしまったものだ。 スキンシップを欠くと子供はキレやすくなり、親の虐待が増えるとも指摘する。
 氏が日本で初めて幼児虐待を見たのは70年代だった。 それから30年ほどを経て今、親の幼児虐待事件は日々後を絶たない。 学校で暴力をふるう子供は家庭で暴力を受けていることが多く、また虐待が世代間で連鎖していることも統計上のデータから明らかになっている。 親が子を虐待し、その子が成長し親となり、またその子供を……。 暴力は暴力を再生産するのである。

ダメ親と格差社会

 乳幼児期にしっかりとした親たりえなかった保護者が、子供が小学生になったからといって、途端によき親になれるはずもない。 関東某県の教育研修センターの職員は、こんな話をしてくれた。
 「 小学校は月曜日が大変で、子供たちが疲れ切っていて、教室がざわざわと落ち着かない。 子供に土日のすごし方を聞くと、日曜は午前二時まで親とゲームセンターにいたとか、昼間はドライブに行って夜はファミレスでご飯を食べ、そのあと親と一緒に深夜カラオケという子もいました。 親が大人になりきれてないんですね。 5、6年前から親に 『 早寝早起き朝ご飯 』 を言ってるのですが、無理ですね。 せめて早寝だけはさせてくれとお願いしているのですが‥‥‥‥‥ 」
 最近の親の不可思議な行動を取り上げ始めればキリがない。 給食費や学級費が払えないという家庭が全国的に増えていることは後にも触れるが、実は払えるのに払わない不届き者もいる。
 「 給食費を払ってくれないので、職員が集金に行ったら、外車から降りて、 『 給食費というのはNHKの受借料と同じで払わなくてもいいんだ 』 と言い放った。 要するに、お金はあっても一円たりとも教育には使いたくない、ということです。 お金に対する考え方、使い方がどこか間違っている 」 (兵庫県・女性教師)
 岡山県のある小学校教師も、家庭教育の不在をこう嘆く。
 「 落ち着かない生徒でも、自然学校で一週間ほど合宿すると落ち着くんです。 規則正しい生活をするからでしょう。 ある子供は 『 僕こんなに朝ご飯食べたの、はじめてだ 』 って言ってました。 朝ご飯を食べさせてもらってないんですね。 でも、家に戻ると元に戻ってしまう 」
 こうしたダメ親は、バブルがはじけてから急速に増えてきたという。 その原因の一つには、90年代半ばから文部省(当時)が 「 教育はサービス 」 と定めたこともあるようだ。 研修と称して教員を企業に派遣したのもその頃だった。 それ自体は悪いことではなかった。 学校も、教師も社会に開かれた存在であるべきだからである。 しかし、親が 「 学校や教員はサービスの提供者で、子供はお客様。 だからウチの子にサービスしてよ 」 と勘違いをしてしまったのだ。
 都内の小学校教師は、子供の言い分を鵜呑みにして学校へ怒鳴り込む親が増えたのもその頃だったと振り返る。
 「 子供を預けてるんだから、しっかり教育してよね、という感覚です。 彼らは小学校を“子供を預ける保育園”感覚でしか捉えていない。 こうした親は、平気で子供の前で教師の批判をする。 だから、子供は学校で教師をバカにするんです 」
 教師の相談も受け付けている諸富氏によれば、 「 先生がうつ病になる原因の8割がこうした親の存在です 」 という。
 教師への批判の高まりは、親の声が大きくなり世間に広まっていったものだといえる。 しかし、その声の多くが、本来親がすべきことを放棄したまま吐き出された身勝手なものだったとしたら……。 「 教師が劣化した 」 と親が指摘するのであれば、 「 むしろ親の劣化こそが問題だ 」 と指摘せざるをえない。
 子供の暴力行為との因果関係でいえば、 「 経済格差 」 を指摘する教育関係者が実に多かったことも付言しておきたい。
 まずは教師経験30年という埼玉県の男性教師の証言である。
 「 五年生のクラスでした。 授業中に子供が教師をからかったため、その教師はキレて子供を思いきり殴った。 校長が間にはいって事を収めたのですが、その子を取り巻く連中が騒ぎ、教師に報復をはじめました。 廊下をその教師が歩いていると、背中に跳び蹴りを入れる。 その教師の車にレンガをぶつけてぼこぼこにしたりしていました。
 私はこの出来事の背景には、経済格差があった、と考えています。 生活保護や準要保護を申請して認められたら、給食費などがある程度免除になりますが、うちの学校では6年前からその数が倍々で増えています。 暴力をふるったのはそういう家庭の子供たちばかりでした。
 ここ10年、学校の授業は変わりました。 特に総合学習がはいってから正規の授業内容が薄くなり、塾に通う子が増えた。 となれば塾に行かせてもらえない子はどうしても落ちこぼれやすくなる。 高学年になればなるほど 『 できる子 』 と 『 できない子 』 に分かれ、ひどい子は五年生なのにかけ算もできない。 こうなると絶望的です。 わかんねえ、かったるい。 だから授業中もチャチャをいれる。 教師と対立する。 学力では絶対に相手に勝てないときに、暴力はたまらなく魅力的に見えるんです 」
 文科省の資料によれば、就学援助を受ける子供が2000年98.1万人だったのが02年で115.1万人、04年で133.7万人とわずか4年で4割も増えている。 東京でも、2000年には5人に1人だったのが、04年には4人に1人が就学援助を受けている計算となる。
 では、問題を起こすのは貧困層の生徒だけかというと、そんなことはない。 高所得層も同じではないか、とNPO非行克服支援センターの能重真作氏は言う。
 「 特に親が問題です。 貧困層の親は生活にゆとりがないから子供に優しくなれない。 『 あんたなんか産まなきゃよかった 』 なんてことまで言う。 子供にとってこんな怖いことはない。 むしろ殴ってくれたほうがいい。 子供は深く傷つき、学校でそのストレスを発散するんです。 一方、高所得層の親も、ゆとりがない点では似ています。 自分自身の社会での競争が激しく、子供にはさらに高いレベルを要求するから、ものすごいストレスを溜め込むことになる。 日本の社会は上下の両極端が歪んでいるんですよ 」
 経済格差は、単に子供たちの暴力行為を誘発しているだけではない。 国民として最低限身につけなければならない教養を奪い、新たな階層をつくり、社会に不安の種を作り出している。

親と学校は連携できるか

 では、どうすればこの暗漕たる状況を打開することができるのか。 今回話を聞いた教師は口々に 「 学級崩壊も子供の暴力も、親と学校と担任の三者が協力しあえば、大抵は解決できる 」 と言った。 しかし、それが非常に難しい状況にあるとも言う。 子供の将来を案ずる気持ちはみな同じはずだ。 それなのになぜ、彼らは協力することができないのだろう。
 前述したように、身勝手な親の教師批判、学校批判が大きな問題としてあることは確かだろう。 親と教師の関係は、かつてないほどに悪化している。
 かといって、教師側にも問題がないわけではない。 学校が校長先生から教師一人一人に至るまで、一致団結して問題にあたっているとは言い難い。
 学校組織がすでに死後硬直を起こしているように思えてならない。 教師たちの口からこんな愚痴がこぼれるのも、その証拠といえるだろう。
 「 子供に聞くことが大事だと言いながら、校長は教師の言い分を聞かない 」
 「 職員室教員というのがいるんです。 自分で考えるのではなく、校長の言いなりになる教員のことです。 校長の推薦がないと、教頭の昇任研修を受けられないから。 学校はそういう教員が出世する 」
 「 校長は学校に一大事が起こっても、現場の声に耳を傾ける前に、まず教育委員会におうかがいを立てる 」
 教師たちが集団となって助け合えない今のような状況では、むしろ熱心に問題提起をしていく教師ほどストレスを溜めている。 そして、今はそのストレスを発散する時間もなくなってきている。
 「 先生にとって、週五日より土曜の半日授業がある週六日のほうがはるかに楽でした。 半日が終わると、同僚と話をしたり、ときには酒を飲んでストレスを解消することができましたから。 週休二日でそれができなくなり、1人でイライラを溜めている先生も多くなっている 」 (前出・教育研修センター職員)
 教師は管理職から抑えつけられ、親からも責められ、2004年度の病気休職者は過去最高の6308人。 そのうち3559人(56.4%)が精神性疾患である。
 病める教師と無責任な親が育てた、暴れる子供たち‥‥。 文科省はこの惨状を前に、どんな方策を立てているのか。 担当者に聞いたが、 「 学校として子供たちの指導体制を充実させていく 」 (初等中等教育局・亀田徹氏)と言うのみで、具体的な方策を示してはくれなかった。
 これまでの教育関係者にも、同じことを尋ねてみた。 何か方法はありますか、日本の教育に未来がありますか、と。 すると1人をのぞき、全員が 「 絶望的です 」 と言った。
 絶望はしていない、という1人も、 「 教師が燃え、学びあえる環境ができたら変わるでしょうが 」 と言ったあと、 「 難しいか‥‥‥ 」 と声を落とした。
 果たして、日本の教育を再生するチャンスはもうないのだろうか。
 一つできそうなのは、一クラスの人数を減らすことである。 今、日本の公立小学校では、過疎化が進んでいる地域をのぞいて、40人学級で授業が行われている。 これでは児童一人一人と向き合う時間はほとんどない。 まずこの数を減らすことだ、と今泉氏は提言する。
 「 せめてフィンランドのように、20人ぐらいの学級にしてほしい。 そうするだけでずいぶん学校は変わると思います 」
 実際、欧米で30人以上のクラスはまずない。 しかし文科省のキャリアによれば 「 省内では絶対に議論しません。 行革推進会議が、子供の自然減より教師の数を減らすという方針を出した以上、予算がつきませんから 」 と絶望的な状況だ。
 小学校低学年で発生する問題は、そもそもこの年代の子供については教育と保育を分けて考えることができないのだから、せめて行政組織の在り方を変えるべきだと前出の小林氏はいう。
 「 日本では育児が厚労省、教育は文科省と分かれています。 厚労省の児童家庭局と文科省の初等中等教育局を一緒にして、思い切った改革をやらないかぎり、教育の立て直しはできないでしょうね 」
 しかし、これも官僚の縄張り意識を考えると、道は険しい。
 教育とは、未来のあるべき国家の骨格をつくることだといわれる。 今の子供たちの教育レベル低下は、すなわち未来の国家のレベル低下をあらわしている。 それなのに、行政も学校も家庭も、内から変えようとしない。 「 現在の豊かな国は、こうして滅ぶんでしょうかね 」 と言ったある教師の言葉が、いつまでも耳に残っている。





( 2006.09 )
暴力でしか自分を表現できなくなった子どもたち

 「こら、くそばばあ。 あっち行け」。 小学生が教師に暴言を吐いて殴る、ける。 13日に発表された文部科学省の調査で、深刻な対教師暴力の実態が改めて浮き彫りになった。 一人の児童の暴力が、クラスに荒れた雰囲気をつくり出し、学級崩壊の連鎖を生む。 家庭に指導力はなく、暴力の対象になった教師は休職に追い込まれる。 暴力でしか自分を表現できなくなった子どもたち。

 給食の時間。 小3の男児が壁や友達の机、テレビの台をガンガンとけって回る。 周りの児童がはやしたて、男児の勢いは止まらない。 教室の後ろでは、別の児童たちがパンをちぎって、ごみ箱に投げ入れる 「 遊び 」 に夢中だ。 歩きながら給食を食べている児童もいる。

 兵庫県内の小学校に勤務する40代の女性教諭は03年10月、学級崩壊したクラスの 「 応援 」 に入り、モノをけ散らす男児を廊下に引きずり出した。 「 何かをけらないと収まらないなら、私をけりなさい 」 。 男児はためらわなかった。 手加減もせず、女性教諭のおなかや足を20発以上もけり続ける。 担任は別の児童を指導しており、暴行に気がつかない。 女性教諭にとっては、児童から受けた初めての暴力を、隣のクラスの男性教諭が助けに来るまで耐え続けた。

 3年生は2クラス。 04年のクラス替えで、2クラスとも学級崩壊に陥り、さらに05年は下の学年にも 「 崩壊 」 が波及した。 「 指導を聞かない子どもと何度取っ組み合いをしてきたか。 みんな( ほかの教師 )もやられていた 」 。 保護者会には、荒れている児童の保護者に限って欠席する。 家庭での指導はもはや期待できなかった。 今年度、女性教諭は耐え切れなくなって休職した。
「 すれ違いざま、何もしていないのに 『 くそばばあ 』 と言われて…。 今も小学生の登下校を見ると心臓がどきどきする。 このまま退職するかも… 」

 教師の名前を呼び捨てにして、 「 死ね、死ね、死ね 」 と何度も繰り返す。 埼玉県内の50代の女性教諭は、ほんの些細な指導をしただけで、まるで幼児がじだんだを踏んでいるような小2男児の様子に戸惑った。 教諭自身はまだ暴力を振るわれたことはない。 しかし、暴言や児童間暴力は、実感として年々低年齢化が進んでいる。

 中国地方の小5男児が授業妨害などの問題行動を繰り返して10日間の出席停止処分を受けるなど、 「 厳罰化 」 や 「 警察との連携強化 」 を模索する動きが進んでいる。 だが、女性教諭は 「 今の教師は、 『 子どもと向き合う 』 こと以外の負担( 学校内の事務作業など )が大きくなっている。 もっと子どもと向き合う時間と余裕がほしい 」 と漏らした。

 森嶋昭伸・国立教育政策研究所生徒指導研究センター総括研究官の話 少子化、情報化の影響で、子どもたちは感情をぶつけ合い、対処することが苦手になっている。  まずは 「 ゼロトレランス 」 ( 寛容度ゼロ指導 )のように、当たり前の常識やマナーを子どもや保護者に毅然と語りかけていくことが大切だ。 さらに、警察・地域との連携も必要になるだろう。

 葉養正明・東京学芸大教授の話 個性重視の半面、競争主義や成果主義が教育現場にも持ち込まれ、そのひずみが子どものストレスとなり、暴力や学級崩壊となって表れている。 学級崩壊は力で抑えることで表面的には治まったようだが、次は校内暴力という形で問題が噴き出している。 対症療法では解決しない。 社会構造のレベルでの問題解決が求められている。