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 まず、極めて当然のことですが、仮に何のコストを払うことなく教育を無償化できるなら、それに反対する人はいません。 しかし、そんな魔法のような話はないわけで、教育無償化に限らず、 「〇〇無償化」 は、無償化といいながらも、もちろんそのコストは、税金から支払われます。

 したがって 「教育無償化」 の是非は、教育費を無償にすべきかどうかというよりはむしろ、教育費を、教育を受ける本人ではなく、 「税金」 という形で社会全体が負担すべきか否かで決せられるということになります。

 現在、日本においては、義務教育である公立の小学校、中学校は無償化されています。 日本人の誰もが共通の基本的な教育を受けることで、教育を受けた本人の能力が高まって利益を受けるだけでなく、国民全体の能力が高まって社会全体が利益を受けることになるので、これに異論のある人はほとんどいないものと思います。

 一方で、例えば私が、ロシアのすてきな方とお話しするために始めたロシア語の勉強も、先生に教わっている以上教育と言えなくはないのですが、これによって利益を受けるのは恐らく私1人であります。 私が奇跡的に上達したロシア語を駆使してロシアの地方政府とよほど大きな話をまとめでもしない限り、その費用は私が負担すべきだということに異論がある人もまたほとんどいないものと思います。

 つまり、教育といってもそれを受ける時期、対象、内容がさまざまにあるわけで、教育の無償化は、義務教育から個人的な語学教育までのさまざまな教育について、どの範囲でどう無償化するべきかを考えなければならないことになります。

 そこで、議論を整理するために、少々勝手に、教育を分類してみます。

 まず、主に時期を中心として、下記のように分けることは、ご了承いただけるのではないかと思います( 通常(4)(5)をまとめて高等教育としますが、議論のために分けました )。
(1)幼児教育
(3)高校教育
(4)大学教育
(5)大学院以上の教育
(6)社会人教育
 対象については、ざっと、大部分の人( 全員 )が受ける教育と、一部の人しか受けない教育に分類します。

 内容については、分類が難しいので、これも非常にざっと、公的教育と私的教育に分けさせていただこうと思います。 公的教育はその教育主体がどうあれ、内容の主要な部分が公定されているもの、私的教育はその教育主体がどうあれ、民間が自由に内容を決めているもの、という分類です。

 これを図示すると、以下のようになります。

 先ほど述べた通り、義務教育のように (1)全員が受けるもの、 (2)内容が公的に決まっているものであり、かつそれによって (3)社会全体が利益を得るもの、については、無償であること、すなわち社会全体でその費用を負担することに大きな問題はないものと思われます。

 したがって、教育の無償化を進めるのであれば基本的には、義務教育から始まって順次 (1)一部の人が受けるもの、 (2)内容が私的に決まっているもの、にその範囲を広げることになり、おおむね図の ①、②、③、④、⑤ の線の順に議論がなされることになるのだろうと思います。 もちろんそれぞれの丸の位置や順番については別の意見もありうると思います。

 また、①~⑤ の順番は、上記の (1)全員が受けるもの、 (2)内容が公的に決まっているもの、という基準に依拠していますが、当然その過程では (3)社会全体が利益を得るものという基準が満たされているか否かも問題になりますし、例えば大学院教育などについては、 (1)(2) の基準では優先順位が低いけれど、技術革新の時代において社会全体に与える利益が大きいから優先的に無償化する等の議論はありうるものと思います。

 ところでここまでは、教育の無償化を順次進めるという前提で議論してきましたが、そもそも無償化を進めるべきか否かを考えるにあたって、非常に重要な問題である、財源についての議論を避けることはできません。

 上述の通り、教育無償化というのは結局税金を徴収することによって社会全体でその費用を負担するということです。 日本の税収( 国税 )は毎年ほぼ50兆円で変わらず増える見込みはありませんから、教育を無償化するには、 (1)他の用途に使われていた税金を教育無償化に使う、 (2)増税する、の二つに一つしかありません。 例えば、自民党で 「こども保険」 を創設するという議論がありますが、これは実質的に増税と同じです。

 (1)の選択肢を選んだ場合は、 「他の用途」 が医療・福祉の社会保障なのか、公共事業なのか、公債費、つまり財政健全化のための費用なのか、はたまた防衛費なのかはそれぞれでしょうが、いずれにせよ教育無償化を行うことによってこれらの用途にお金を使うことはできなくなります。

 したがって本当にその教育無償化が、他の用途にお金を使うよりも社会全体に利益をもたらすのか、上記の ①~⑤ の無償化の段階ごとに、議論が必要だということになります。

 (2)の選択肢を選んだ場合は、すでに税金が使われていた他の用途が削られることはありませんが、増税されなければ民間の個人もしくは企業がそれぞれに使っていたお金を教育無償化に使うわけですので、その教育の無償化は、民間でそれぞれにお金を使うよりも社会全体に利益をもたらすのか、やはり上記の ①~⑤ の無償化の段階ごとに、議論が必要だということになります。

 さらに教育無償化には、もう一つ忘れてはならない問題があります。 それは無償化をすることそれ自体によって、上述の議論の前提がすべて変わってしまう可能性があるということです。

 かつて日本には、 「教育無償化」 ならぬ 「老人医療費無料」 という政策がありました。 1973年~1983年、高度成長によって毎年伸びる税収を背景に、当時の田中角栄内閣が70歳以上の医療費を無料にしたのです。 もちろん、 「経済的事情に関わらず、高齢者は必要な医療を全て無償で受けられる」 ということそれ自体は良いことで、誰も文句はありませんでした。

 しかし、 「無償」 の効果は絶大でした。 何せ 「ただ」 です。 70歳以上の高齢者は、それこそ擦り傷一つ、せき一つどころか、 「日々の健康診断」 という感覚で病院を受診しました。 病院が高齢者のサロンとなり、高齢者同士で 「〇〇さん今日病院に来ないね、どうしたんだい?」 「ああ、今日は風邪をひいて家で寝てるんだ」 という会話が交わされているという冗談が、リアリティーを持って語られました。 そして医師もまた、相手にとって負担がないということでどんどん検査をし、薬を処方し、新しい診療所や病院を開設して増え続ける高齢者の需要に応えました。

 結果は、高齢者医療費の急激な増大とそれによる保険財政の圧迫であり、これに耐えられなくなることを危惧した大蔵省( 現財務省 )が主導して、老人医療費無料という政策は、わずか10年で幕を閉じることとなったのです。

 つまり、老人医療費無料、教育の無償化に限らず、 「〇〇無償化」 という政策は、それ自体によって、それまで存在していなかった需要、しかも本来なら必要とは言えなかった需要を引き起こしてしまう可能性があるのです。

 主に日本維新の会が提唱している高等教育( 大学 )無償化を例にとって考えましょう。 現在日本の大学進学率は54%で、その無償化に必要な額は4兆円程と言われています。

 しかし、無償となれば、この大学進学率が80%近くまで跳ね上がることは容易に予想されます。 その過程で現在の大学のみならず、さまざまな事業者が高等教育に参入し、現在大学に行っていない学生たちのニーズに応えようとするでしょう。 大学進学率54%の現在でさえ、率直に言って、九九やアルファベットを授業で教えている大学は存在します。 高等教育無償化によって雨後のたけのこのように出てくる学校の相応の割合が、 「高等教育」 とは名ばかりのモラトリアム享受機関になることもまた、相当程度の確率で予想されます。

 大学教育の無償化は、それらのさまざまな事象を引き起こすことによって、当初の (1)全員が受けるものか、 (2)内容が公的に決まっているものか、 (3)社会全体が利益を得るものか、という議論を、全く変えてしまいかねないのです。 そして、これらの変化によって、大学教育無償化の費用は、最終的には当初の4兆円を大きく超え、10兆円近くに跳ね上がるだろうと、すでにいくつかの試算で予想されています。

 以上教育の無償化は、下記のような困難な多元方程式を解かなければならない、極めて複雑な問題だといえます。
A:幼児教育、高校教育、大学教育、大学院教育、社会人教育のどの教育を無償化するのか
B:その教育の無償化は(1)全員が受けるものか(2)内容が公的に決まっているものか(3)社会全体が利益を得るものか
C:その教育の無償化の財源はどうやって確保するのか、その財源を「他の用途」に使うよりも、その教育無償化は、より多くの利益を社会にもたらすのか
D:仮にA~Cがクリアされたとしても、教育の無償化それ自体によって、議論の前提が変わってしまうのではないか
 教育無償化の議論の土台ということで、結論ではなく、論点の抽出・整理を行いましたが、各党においてはぜひ、漠然と聞こえがよい 「教育無償化」 を打ち出すのではなく( それだけなら誰にとってもよく聞こえるのは当然です )、きちんと、詳細に、上記のような議論をしていただきたいと思います。

 それこそが、教育無償化という政策を行うそもそもの理由である 「次世代のために適切な政策をする」 ということであるのですから。