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 企業が人材を採用する際に、学歴という情報を重視することがある。 受験戦争を勝ち抜いて、有名大学を卒業した人は仕事を遂行する能力が高いはずで、採用すべきという判断からだ。 「有名大学を卒業した人は仕事もデキるはず」 という部分が 「学歴シグナル」 だ。
 日本は、高い学歴が、高い収入をもたらすという学歴社会であった。 しかし、この学歴社会と学歴シグナルは崩壊しつつあるようだ( 図参照 )。
 高学歴=高収入の時代が終わったことは、過去10年の日本の歩みを見ればわかる。 有名大学を卒業した高学歴グループに占める 「高い能力」 を持つ人の割合も減っている。
 理由はいくつかある。 例えば、一般の入学試験によらないAO入試( アドミッションズ・オフィス入試 )で入学する学生が増えている。 入試の科目数を減らす大学も多い。 また、受験テクニックを重視する塾や予備校も増えている。 こうした中で、受験生は勉強にさほど労力と時間をかけなくても有名大学に入学できてしまうのだ。
 高額の教育投資が行える親は、子供を海外留学させて、帰国子女枠で大学に入学させる。 あるいは、子供を小さいころから塾に通わせて有名大学に入学させようとする。 これは、お金をかけて高学歴を買うのであって、 「高い能力」 を養っているわけではない。
 これまでは、高学歴は 「仕事上の能力の高さ」 を示すシグナルだったのが、 「親などの教育投資が高額なこと」 のシグナルになってしまった。
 こうして高学歴を獲得して社会人になっていくのだが、彼らは、社会人になってからの勉強が苦手だ。 例えば、コミュニケーション能力である。 社会人になれば、幅広い年齢の人たちとの間でこの能力が求められるが、同世代の間では可能でも、世代間のコミュニケーションはおぼつかない。 激しい受験戦争によって、そうした能力を鍛える場所が非常に少なくなっている。
 また、私が身近に見てきた例をあげれば、エリートコースに乗る人は、必ず勉強している。 一橋大学を卒業している先輩は、土日はいろいろな女の子と遊びに行くような人だった。 しかし、仕事でどんなに疲れていても、夜中に必ず勉強していた。 睡眠時間を削って勉強していたのだ。
 もう一人は、上智大学を卒業した後輩である。 英会話能力の高い人だったが、やはり必ずNHKラジオの英会話放送を録音していた。 英語力を落としたくないと、仕事でどんなに遅くなっても録音を聴きながらテキストをめくっていた。
 二人とも、その勉強に関連した仕事をしているかどうかとは別問題で、社会人になった自分が勉強すべきことを学んでいたのだ。
 社会人になれば、受験生のときのように、勉強に集中できる環境が整えられ、勉強だけをしていればいいというわけではない。 たとえ肉体的に、そして精神的に大変な状態であったとしても、勉強を続けられるかどうかが重要になってくる。 社会に出て体育会系が重宝されることがあるが、これには一理ある。 社会人になってから必要な勉強をするには、体力が必要なのだ。
 仕事のできない高学歴者が増えているのは、こうした勉強をしなくなっているからだ。 入社がゴールではないことに気づいてほしいものである。





( 2013.05.01 )

 上の世代から 「ゆとり」 と蔑まれ始めているのを見て育ち、中高生時代にはSNSが登場。 「ソーシャル」 とともに思春期を送ってきた。 この4月にやってきたのは、そんな時代を生きてきた若者だ。 ソー活が流行し、就活の鉄板ネタは 「震災ボランティア」 と意識が高そうだが、括りとしては 「第3次ゆとり世代」 とまだまだゆとり枠。



<意識高すぎ ウエメセくん:遭遇率60%>
 向上心があるのはいいが、就活情報誌などに踊らされすぎた結果、意識だけが飛びぬけて高い。 なぜか自信満々で、常に上から目線で会話をする。 注目されないとモチベーションが上がらず、また、少しでも難しい壁にぶち当たると心が折れ、 「もっと自分にふさわしい場所があるはず」 と、すぐ転職してしまうのも特徴。



 自信に満ちあふれ、痛い方向に意識が高い新入社員も急増中だ。

 「グループ面接で、 『御社の問題点は何ですか?』 となぜか上から目線で質問してきた学生がいた。 『食堂がイマイチかな』 と切りかえすと、 『そういう意味じゃなくて。 営業方針の問題点ですよ』 と。 本人は意識の高さをアピールしたつもりだろうが、一体お前は何様だよ( 怒 )。 さすがにイラッとしたので 『同じことをほかの会社で言ったら落とされるよ』 と注意すると、あからさまにふてくされた顔をしていた」 ( 商社・31歳 )

 ほかにも、 「説明会で、こちらの説明が終わらないうちに手を挙げ、猛烈な勢いで質問をしてくる学生がいた。 しかし中身のない質問で、とにかく目立ちたい、褒められたいだけ。 評価されないとすぐに辞めてしまう」 ( 食品・36歳 )と、その根拠なき自信とプライドは、もはやエベレスト級だ。

 「懇親会で 『この会社には在籍しても3年くらいです』 と堂々と言い放ったヤツがいた」 という例や、 「上司の前で 『いずれはもっと大企業に転職したい』 と言えてしまえるのが怖い」 など、悪気もなく突っ走るウエメセ新入社員たち。

 中途半端な向上心があるので、このタイプは余計に扱いづらい。




<毎日悪口たれ流し だだ漏れちゃん:遭遇率70%>
 Facebook や TwITter で愚痴や不満を垂れ流す。 教育担当になったら、ネット上で罵られる可能性があるのでご注意を。 また、Facebook では実名、公開設定でリア充ライフを自慢げに披露することも特徴。 面接を受けた後に会社周辺で悪口を言うため、リアルの世界でも本音がだだ漏れになっている。



 「だだ漏れちゃん」 は、ソーシャル時代ならではの新人だ。 「私が教育を担当しているコは、匿名で TwITter をやっているつもりのようだけど、Facebook のプロフにアカウントを載せているのでバレバレ。 覗いてみるとさっそく私の悪口がずらり」 ( 人材・30歳 )

 「新人くんが、屈指の厳しさで知られる支社に配属が決まり、友人に Facebook で報告がてら、憂鬱だの嫌だのと書いた投稿が公開設定。 当然、支社の人に見られていて、配属早々お説教をくらったとか」 ( メーカー・32歳 )

 と、枚挙にいとまがない。 さらに、 「Facebook には普段より厚化粧の新人ちゃんが。 クラブ通いの写真に、彼とのラブラブ写真もあった。 彼女の名前はいわゆるキラキラネームで珍しいため、取引先の人が検索すれば一発でヒットする。 注意すべき……?」 ( 金融・29歳 )という悩みも。

 また、だだ漏れはネット上だけではなく、リアルの世界でも発生。

 「就活生が会社の外で、 『○○社は受かっても行かない。 キツそうじゃん』 と大声で話していた。 近くに社員がいるかも、と少しは思え( 笑 )」 ( 商社・27歳 )

 情報漏洩などの重大な事態に発展しないことを祈るばかりだ。




<自分こういうポリシーなんで バリケードさん:遭遇率80%>
 「社会人の常識って?」 「最初にビールって誰が決めたの?」 「プライベートに関与しないで」 と自分のポリシーをとことん貫く。 SNSでも社内の人とは断固繋がろうとせず、 「自分、コミュ障なんでSNSは友達だけって決めています」 と最初に “キャラ設定” の宣言も。 キャラをアピールすることでバリアを張っているのだ。



 プライベートを侵害されたくない気持ちもわかるが、それを 「キャラ設定」 や 「自分ルール」 宣言できっぱり拒絶するのもこの世代特有。

 「深い意味はなく、新人に 『Facebookとかやってる?』 と聞いただけなのに、 『プライベートには一切関与しないでほしい』 とバッサリ切られた。 なんでも、仕事関係の人間を入れると、自由に投稿できなくなるのが嫌なのだとか。 同期同士でも友達申請しないのが暗黙のルールになっているらしい」 ( 銀行・28歳 )

 異様なほど “プライベート” にこだわるのがこのタイプ。 彼らには飲ミニケーションも通用しない。

 「歓迎会なのに、新人全員が揃いも揃って 『僕、お酒飲めないんで!』 とソフトドリンクを注文。 最初だけでも乾杯しようとビールを勧めると 『お酒を飲まないといけないっていう決まりがあるんですか?』 と反論。 結局最後まで断られ続けた」 ( 出版・34歳 )

 場がしらけても、ポリシーとプライベートは絶対に死守するのだ。

 「外回りの移動中も外部を遮断するようにイヤホンで音楽を聴く新人がいた。 そこまで自分の世界に浸らなくても……」 ( 人材・29歳 )

 逆にそこまでキッパリと割り切ることができるその根性がすごい。




<一見いいコに見えるのに… 隠れ遊牧民さん:遭遇率70%>
 一部で揶揄されつつも、いまだノマドやフリーランス礼賛の風潮は続いている。 その煽りにモロに乗っかっているのがこのタイプ。 一見しっかり者で人事ウケもいい、仕事もできる。 しかし、高い倍率を勝ち抜いて入った会社も、気に入らなければあっさりと辞める。 正社員という肩書に一切しがみつかないのである。



 返事よし、笑顔よし、期待の新人と思われた宮本さん( 仮名・IT・31歳 )の部下だが、入社2日目にしてその期待は裏切られた。

 「ウチの会社、今秋から本社の神奈川移転が決まったのですが、入社初日にそれを説明したところ、翌日には 『都内の実家暮らしを続けたいから、秋には辞める』 と同期と話している姿を目撃。 神奈川と東京なんてたいして変わらないのに、なぜそんなにあっさり辞めるという発想が出てくるのか……」

 ほかにも、 「入社初日からPCのお気に入りに大量の転職サイトを入れていた」 なんて話も。 いずれも、一見問題がなさそうな新人に限ってだから油断ならない。

 ちなみに、このタイプは昨年入社組にも見られたようで、 「新人イチ仕事のできるコが、残業の多さを理由に入社3ヵ月で退社。 その際、 『社員の権利だ!』 と有休はきっちり消化し、休暇中は社用携帯の電源もご丁寧に切っていました。 辞めさせていただく以上、今までお世話になった分、有休は取らないのがマナー、という考えは微塵も浮かばないんですね」 ( 印刷・43歳 )。 確かに権利は権利なのだが、有休も消化できずに働いている先達にとってはなんとも理不尽に思えてしまうのであった ……。


便

<資格大好き ハリボテくん:遭遇率40%>
 資格をたくさん持っていたり、外国語がペラペラだったり、無駄にスキルだけは高い。 なのに、宅配便の送り方がわからない、漢字が苦手など基本的な常識がないハリボテ状態。 せっかく身につけたスキルが宝の持ち腐れになってしまっている。 大学のAO入試組にこのパターンが多く、近頃増えている。



 就職難を乗り切るために、たくさんの資格を取り、スキルを磨いている学生は多い。 しかし、中には見掛け倒しのハリボテくんも。

 「新入社員が宅配便を送る際、名前しか書いていなかったので、住所を書かなきゃ届かないだろ …… と指導したらポカンとしていた。 聞けば、手紙もロクに出したことがないとのこと。 浮世離れにもほどがある! でも、PCの資格を多数保有し、イタリア語はペラペラ」 ( メーカー・27歳 )

 さらに、こんな目撃談も。 「新入社員に資料のFAXを頼んだが、いっこうに帰ってこない。 様子を見に行くと、 『送っても送っても、資料が戻ってきてしまうんです』 とパニックになっていた。 FAXは物質転送機ではありません!」 ( 流通・29歳 )

 また、グローバル化のせいか、外国語ができても、日本語が苦手という新入社員も。

 「語学が堪能なのが自慢の新人が、 『この日休みまーす』 と言いながらボードに 『体』 と書いて唖然としました」 ( メーカー・27歳 )

 ある意味面白い存在だが、資格と同時に高いプライドも持つ彼ら。 「これだからゆとりは」 という言葉に敏感で、反発してくるのでご注意を。




<快適な空間作り命・巣作りちゃん:遭遇率30%>
 名刺をラインストーンや色ペンでデコレーションする、 デスクに人形を並べる、仕事中に趣味の演劇の脚本を書く …… など、とにかく会社を自分の部屋のような快適空間にすることに余念がない。 むしろ会社を自分の部屋の一部と勘違いしている。 とにかく自分がくつろげて、快適ならオールオッケー。



 キャラ設定をする 「バリケードさん」 よりも “快適さ” にこだわるのがこのタイプ。

 「勤務初日から自分の名刺をラインストーンや色ペンでデコりだした。 出来上がったキャバ嬢のような派手な名刺を見せてきて、 『カワイくしてみました』 と得意げ。 机の上も小さな人形で埋め尽くされていた」 ( 銀行・31歳 )

 「『 まだ肌寒いから』 と、スーツの下にド派手なピンク色のセーターを重ね着してきたギャル系新人がいた。 どう見ても部屋着にしか見えないので注意をすると、 『リラックスできるんで♪』 と反省は皆無」 ( メーカー・29歳 )

 また、ノマド気取りの新人も。

 「入社3日目にして、自分の席は落ち着かないからとスマートブック片手にふらふらし始めた奴がいます」 ( IT・32歳 )

 極めつきは、寮の匂いにまでこだわるというケース。

 「社員寮に入る予定の新人から、 『自分好みにアレンジしたいので、いろいろなカットで部屋の写真が欲しい』 と言われ、しまいには 『部屋の匂いを教えてください』 と。 知るか!」 ( 商社・37歳 )

 徹底してわが道を爆走する今年の新入社員。 これは個性と言って、許容すべきなのだろうか ……。


LINE



 OB・OG訪問を受けた社員たちは、今年入社の新人たちについて何を思ったのか。 海野さん( 仮名・教育・28歳 )はこう語る。

 「OBに積極的に紹介を請うたり、 “ソー活” に勤しんだり、就活に熱心で手段はたくさん知っているけど、結局じゃあ何がやりたい? 3年後はどうなっていたい? とかの具体的な考えは特になく、あくまで仕事は生活のため、プライベート重視、というコが目立っていますね。 だから、就活手段を知っていたところでそれを有効活用できていない」

 幼い頃から不況や就職難、リストラの話ばかり見てきたせいか、就活に際しても基本、 「生活を守る」 ことに執着する。

 「大学の後輩に頼まれて、人事の偉い人との会合をセッティングしたのに、仕事内容の話には一切触れず、休暇の種類や有休の取りやすさ、住宅補助等の手当についてばかり聞いてきて、恥ずかしい思いをしました」 ( 人材・29歳 )

 そして、彼らが就活に使うツールにジェネレーションギャップを感じる人も。

 「OB訪問についてメールでやり取りしていた際、 『LINEのほうが早いので、ID 教えてください』 と言われました」 ( 金融・26歳 )

 「一切メモを取っていないのを指摘したら、 『録ってます』 とスマホをずいと見せられました」 ( アパレル・30歳 )

 やる気はないが、損はしたくない。 そして、情報を得ることや効率化には長けているが、それゆえ頭でっかち。 この要領の良さを仕事で活用できれば化けるのかもしれないが。

《2013世代の生い立ち年表》
1990年(0歳) 生まれた瞬間にバブルが崩壊
1993年(3歳) 就職氷河期元年
1995年(5歳) 阪神大震災、地下鉄サリン事件が発生。 ウィンドウズ95が発売
1997年(6歳) 「ポケットモンスター」 放送開始
2001年(11歳) 小泉政権発足。アメリカ同時多発テロ発生
2002年(12歳) 小中学校で 「ゆとり教育」 が開始
2004年(14歳) mixi登場
2005年(15歳) この頃から、「脱ゆとり教育」 の流れが始まる
2008年(18歳) リーマンショック
2009年(19歳) TwITterの流行。 民主党政権が樹立
2011年(20歳) 東日本大震災が発生。 日本のFacebookユーザーが増加
2013年(22歳) 多くの若者の連絡手段がLINEに。 入社



( 2015.09.11 )
vs.


 「末は博士か大臣か」 そんな言葉で子どもの将来に期待を込めていた時代も今は昔。 日本経済の低成長による雇用構造の変化は、リーマンショックや東日本大震災の影響も手伝って、高学歴プアと呼ばれる 「高学歴・低収入」 な人々を生み出した。 一方で、ITを中心にした新しい産業では学歴よりも適性のあるなしが重視され、またホットスポット的に盛り上がる市場においては 「低学歴・高収入」 な人々、いわば低学歴リッチも目につくようになった。




 高学歴なのに低収入、低学歴なのに高収入という逆転現象がいま、起きている。

 学歴主義、年功序列は過去のものになりつつあるのか。

 世帯年収が下がり続ける一方で、大学進学率は上がり続けている。 少子化に伴い各大学は生徒集めに必死で、昔よりも大学に入りやすくなっているのは確かだろう。 この状況の中で指摘され始めているのが 「高学歴プア」 の存在だ。 今や有名大学や大学院を卒業しても、確かな雇用にありつけるわけではない。

 高学歴プアの存在と対照的なのが、低学歴リッチたち。 ITを中心とした新しい産業やベンチャー企業では学歴よりも適性のあるなし、即戦力が重視される。 採用のあり方が多様化し、個人が企業との接点を持ちやすくなったことも低学歴リッチを生みだした理由の一つだろう。

 高学歴プアと低学歴リッチ両方の存在から、一昔前には少なかった逆転現象の背景に迫ってみた。




 テレビCMも流れる有名スマホゲームアプリの制作ディレクターのAさん( 22歳男性 )は、そう優越感をにじませる。 高校中退後は職を転々としたが、知人のツテで入社したアプリの制作会社での仕事が自分の感覚にピッタリとはまった。 入社2年目にはチームのリーダーを任されて、デザイナーやエンジニアの進行管理をするようになり、現在は自らもプランナーとしてゲームのキャラクターを考案することもある。 月収は手取りで40万円超と、同世代がまだ学生をしていることを踏まえると、厚遇されているといえるだろう。 国内ゲーム市場は活況で、2014年の調査では過去最高の 1兆1925億円を記録している。

 ただし、学歴にはやはりコンプレックスがある。 だからこそ同世代には体験できないことをしようと、オフには高級レストランを食べ歩き、部屋にはブランド家具を並べては、 「大卒には負けていない」 ことを確認しているのだという。

 現在のようなスマホゲームアプリのバブルはそのうち弾けるだろうと思っているが、そのときはまた別の仕事をすればいいと割り切っている。 学歴というものがスッポリと抜け落ちた心の空洞を埋められないまま、Aさんのソーシャルアカウントは美味しそうな料理やホームパーティーの写真でいつも賑やかだ。

 一方で、Bさん( 28歳男性 )は奨学金の返済を滞納している。 Bさんの学歴はというと、国立理系大学を卒業後、大学院に進学、博士号を取得している成績優秀なポスドクだ。 しかし、ポスドクの平均的な年収は大体300万前後であり、当然ボーナスも、社会保障もない。 研究を続けながら、非常勤講師として週に2~3日学生の前に立つが、月収はこのアルバイトを加味しても手取りで20万円弱。 毎月約3万円の奨学金を返済が正直苦しい。

 このまま研究を継続しても、教授への道がないわけではないが、狭き門で何年かかるかわからないとBさんは言う。 もし他に職を探そうとすると、学部卒業後も奨学金の給付をもらい続けてまで取得した博士号は、むしろ足かせになる。

 覚悟の上で踏み出した研究者の道だった。 しかし、それでも 「貧困というのは自分とは無関係だと思っていた」 とBさんは語る。 そろそろ学生時代から住む都内のアパートを引き払い、実家住まいをする決断を下さなければならないが、 「これまでの人生で挫折を経験してこなかった」 と本人も言うように、差し迫った現状にもかかわらずその思考は停滞気味だ。

 日本では現在 1万8000人のポスドクが就職浪人をしており、文部科学省は2009年に、国内で就職浪人中のポスドクを採用した企業に 1人当たり約400万円の補助金を交付する大掛かりな制度を実施した。 しかし、ポスドクの就労環境は依然として改善されていない。





 もうひとりずつ、それぞれの実例を紹介したい。 Cさん( 30代男性 )はIT / Web系企業の代表を務める低学歴リッチだ。 いわゆる落ちこぼれの集まる高校に在学中 「このままではダメになる」 と感じてアルバイトを探す過程で、アフィリエイト広告の仕組みに出合い、自分でもサイト制作をするようになった。

 月収にして100万円以上を稼ぎ、コツを掴んだことでネット広告を事業化、さらに大きな収益を上げるようになる。 現在では事業の方針をメディア運営にシフトし、上場も視野に経営に取り組んでいる。

 高学歴プアのDさん( 30代女性 )は大学を卒業後に法科大学院へと進学、将来を嘱望されたエリートだった。 司法試験にチャレンジしたが、3年連続で不合格。 「正直、もう厳しいかもしれない」 と思っているが、今から他に就ける職があるかわからない。

 また、法科大学院出身でハローワークに通うのは恥ずかしいと思っている。 現在は実家暮らしだが、親は 「嫁に行けばいいじゃない」 と言うくらいで、うるさく言わない。 気乗りしないままお見合いサイトに登録はしているが、どうしても相手の学歴や年収を見て 「親に紹介できるかどうか」 が基準になってしまうという。

 どうして学歴と収入にこのような負の相関が生まれてしまうのだろうか。 日本経済の成長がゆるやかになった現代社会では、従来の産業構造が変化し、これまで不変であると思われた終身雇用などの制度や文化が次々に見直しを迫られている。 高学歴という概念もそのうちのひとつであり、ある意味で社会のセーフティーネットであった学歴は、すでに生活を保障する機能を失ったと言っていいだろう。

 このような変化の過程で生まれたウェブを中心にした新しい産業では、ゼロベースで社会のシステムが構築されているため、一度すべてリセットされてからのヨーイドンがはじまる。

 しかし、現実にはもちろん高学歴リッチと低学歴プアという順当な存在がいる。 これまでは低学歴リッチと高学歴プアというある種イレギュラーな事例について紹介したが、高学歴リッチと高学歴プア、低学歴リッチと低学歴プアについても比較しながら個別のケース検討していけば、リッチとプアの分かれ目が浮き彫りになるのではないだろうか。 このように幅広く学歴と収入、そのどちらについてもたくさんのビジネスパーソンを見ることができるのは採用の現場だろう。 ある中小企業の人事担当者は言う。
「これまで面接などで高学歴の求職者とそうでない求職者を見てきて感じることですが、高学歴の求職者の方が、基礎能力やモラルについては総じて高いです。 しかし、高学歴でもそれを十分に活用できていない求職者に共通するのは、自己評価の低さ。 彼らは自分が何かをなし得ると思っていないので、自分の未来を他人任せにしているように見えます。
このような求職者は、採用されても職場に埋もれてしまうか、仕事のストレスで潰れてしまうかで、あまりいい結果にならない。 もちろん、低学歴の求職者にもそのようなタイプはいます。 『自分は低学歴だから、どうせ零細企業でしか採用されないし、出世できない』 と卑屈になっているタイプ。 しかし、低学歴であってもそれを言い訳にせず、自分の未来を諦めない求職者は、採用後も努力の成果を信じ続けるため、積極的にチャンスを掴んでいました」
 また、大手IT企業で人事を経験した男性は 「中途採用の場合に学歴を見ることはほとんどない。 転職が当たり前となった今、学歴より職歴がものを言うのは当たり前。 ただし職歴だってあてにならないことも多い」 と語る。
「即戦力を求めるベンチャー企業は特に中途採用に力を入れます。 中途採用の現場では、 『高学歴で輝かしい職歴の持ち主を期待して採用してみたら全く使えなかった』 なんてことはざらにある。 能力があったとしてもそれを活かせる順応性や、現場でしぶとく自分をアピールするハングリー精神など、ある意味泥臭い部分も重要。
高学歴プア、低学歴リッチという状況がどのぐらいあてはまるかはわからないが、世間知らずでお高くとまった高学歴と自分から仕事を取りに行く低学歴の方だったら後者の方が求められるでしょうね。 中途採用では学歴の部分はほとんど見ないし、私も一緒に働いていた同僚が高卒だったことをだいぶ経ってから知った経験もあります」
 若い世代ほど、ITを駆使して情報をつかむことが得意になっている。 求人サイトも乱立し、多種多様な人材を企業にマッチングさせる。 自分の強みをいくつか持ち、それを強くアピールすることができれば、一点突破できる可能性は意外に開かれているのではないか。 逆に言えば、学歴があってもそれだけでは雇用のデッドヒートに勝ち残れない。

 プアになるか、リッチになるのかを左右するのは学歴ではなく、本来教育で身につけるべき正当な自己評価と、努力の成果を信じ続ける姿勢にあるのではないか。 高学歴プア・低学歴リッチという言葉は、実体を伴わない学歴なるものではなく、各自がそれぞれの生き方をもって学習するという、教育の本質への問い掛けをはらんだ現代社会の課題であるともいえるだろう。





( 2016.01.12 )

 


 今の日本には、学歴で個人を評価することに対して 「時代遅れ」 という風潮がある。 しかし、表には出にくくなっても、他者の学歴に対する興味や差別意識、自分の学歴に対する優越感、劣等感などは、今も昔も変わらずに人々の中に根付いている。

 たとえば日本企業の中には、採用において人事部は学生の学歴を問わない、社員の配属、昇格、あるいは降格や左遷などの人事評価においては仕事における個人の能力や成果のみを考慮する、といった考え方が広まっている。 しかし実際には、学歴によって選別しているとしか思えない採用や人事はまだまだ多く、社内には学閥のような不穏なコミュニティも根強く存在する。

 そうしたなか、会社員は 「何を基準に人を判断すればいいのか」 「自分は何を基準に評価されているのか」 がわかりづらくなり、戸惑いや疑心暗鬼も生まれている。 このような状況は、時として、人間関係における深刻な閉塞感やトラブルを招くこともある。 学歴は 「古くて新しい問題」 なのだ。

 これまでの取材で、会社員をはじめ、実に多くの人々の学歴に関する悲喜こもごもを見て来た。 学歴に翻弄される彼らの姿は、まるで 「学歴病」 に憑りつかれているかのようである。 そうした 「学歴病」 の正体を検証しながら、これからの時代に日本人が議論すべき 「人生の価値基準」 の在り方を考えてみる。


 人生に行き詰まった人々が自分を奮い立たせる
  「学歴」 という最終兵器


 学歴は、人生が行き詰まったときに、自分を奮い立たせるための 1つの武器なのかもしれない。

 先月、東京大学地震研究所の准教授だった都司嘉宣つじ・よしのぶ()さん( 68 )( 現在、深田地質研究所客員研究員 )を取材したとき、こんなことを語られていた。
「どこの学校をどのような成績で卒業した、ということは、その後社会人になってから、大きな影響を与えるものではないと私は思います。 私は人をみるとき、学歴は一切、無視します。 研究者の力を判断するときも、論文や学会などでの活躍だけに興味がわきます」
 その通りだと思う。 しかし、企業社会を二十数年取材していると、学歴にいつまでもしがみつく人たちがいることもまた、事実なのである。 中には、 「高学歴でもなかなか認められない」 と嘆く人も多い。 その姿は、どこか哀れで悲しみを誘う。

 その一例を挙げたい。

 2010年の暮れ、ある忘年会に参加した。 主に出版界などで仕事をするフリーライターやフリーの編集者、デザイナーなどが集う場だった。 30人ほどの中で、テーブルの隅に、異様に盛り上がっている女性3人がいた。

 3人は互いに最終学歴を名乗り合い、権威を確かめ合うような挨拶をする。 彼女たちの最終学歴は、北海道大学文学部大学院修士、上智大学文学部大学院修士、早稲田大学第一文学部大学院修士だった。

 平均年齢は30代後半。現在の仕事の話をすることはほとんどなく、出版社で働く編集者の人事について盛り上がる。 彼女たちが一緒に仕事をしている編集者たちだ。 忘年会よりも数ヵ月前の9月~11月、いくつかの出版社で人事異動や昇格が発表されたのだという。

 女性たちは自らの思いを伝えようと、上半身を前のめりにするほどだった。
「( 出版社に勤務する編集者が )人事異動を命じられて、その場で “はい” と返事をするのは甘えじゃない?」
「編集者は、自分( の考え )を持っていないよね」
「( 編集者は )主体性がない!」
「( 編集者は )自分を持たないと! 2本の足で立って生きないと! プライドを持つべき!」
「どこの大学を出ているのかな?」
「立教とか明治ならば、編集長なんかなれないよ」
「早稲田は、今は局長になるのは無理」
「あの人は東大? 局長はともかく、役員は無理じゃない?」
「私たちみたいな( 大学 )院を出ている人なんて、あのクラスにはいないよ」
「今は、院ぐらいは出ていないとね」
 こんなやりとりが、その後も延々と続いた。

 疑問が尽きなかった。 そもそも、出版社に勤務する編集者が人事異動を受け入れることがなぜ、 「自分を持っていない」 ことになるのか。 「主体性」 「プライド」 とは、こんな文脈で使う言葉なのだろうか。 ましてや 「学歴」 などということが関係あるのだろうか。 そもそも、生活を夫に養ってもらいながら、著者として本を1冊も書いたことがないこの女性たちに、そんなことを語る資格があるのだろうか ――。
 3人は高学歴かもしれないが、実際フリーライターとしての実績は限りなくゼロに近い。 それだけに、理解ができぬものだった。


 早稲田卒の同期をバカにする 一橋出身の負け組コンサルタント

 もう 1つの事例を紹介しよう。

 2011年、一橋大学( 学部は不明 )を卒業した40代半ばの男性を取材した。 男性は、十数年前から経営コンサルタントをしている。 その前は、大手メーカーなどに勤務していた。 その頃の話になると、男性は同期の人たちを徹底的にけなした。
「早稲田を卒業した連中のほとんどは、部長になるのが精一杯。 それも部長とはいえ、出世コースから外れた部長でしかない。 本部長、役員になるコースは東大か、一橋出身」
「早稲田の連中と今会うと、多くは白髪が目立ったり、禿げている。 会社員は本当にみじめだね」
 確かに同期生には、早稲田大学卒の社員が比較的多かったようだ。 仮にその会社で東大卒と早稲田卒の社員の昇格に大きな差があったとしても、それがこの男性に何の関係があるのだろうか。 「髪の毛が薄くてみじめ」 だと言うならば、この男性もまた、額の生え際は禿げ上がっている。 自分自身もみじめではないか。

 彼ははるか前に退職し、小さな会社に勤務し、そこも退職した。 コンサルティング会社に移ったものの、 1年で退職し、数年前からフリーのコンサルタントをしている。 残念ながら、大活躍するレベルにはいたっていない。 40代半ばという年齢を考えると、前途は厳しいかもしれない。

 その意味で、不満を感じているようだった。 「一橋を卒業している自分がなぜ、認められないのか」 と言いたいように私には見えた。 童話に出てくる子どものように、疑いのない表情で真剣に、かつての同期生をけなしていた。 胸には抑えることができない焦りや、自分を認めない世の中に対する復讐心があるように思えた。 一方で、言いようのない空しさに打ちひしがれているようだった。

 今50歳を前に冷静に見渡すと、復讐の牙で噛む相手もいないし、闘う場すら与えられえていないのが現状だ。 言いようのない空しさに打ちひしがれているようだった。


 「会社員」 を徹底的にこきおろす
  高学歴な負け組たちの6つの共通点


 前述した3人の女性たちとコンサルタントの男性には、いくつかの共通点がある。
( 1 )超高学歴である( 全員が名門大学の修士課程修了 )。
( 2 )学部卒でいったん卒業し、会社員になるが、数年で退職・就職を繰り返し、30歳前で3~4つの会社に籍を置いた経験を持つ。
( 3 )そのいずれの会社でも、さしたる実績を残していない。
( 4 )会社員を辞めて、社会人として大学院の修士課程に進む。
( 5 )修士号を得て、また社会に戻るが、大きな活躍ができない。 めぼしい実績もない。
( 6 ) 「母校」 を愛するが、大学教授などとして迎えられることはない。
 この( 1 )~( 6 )に加え、会社員を徹底して否定することも共通項と言えよう。 冒頭で述べたように、このようなトリッキーな言動をとる人たちを 「学歴病」 と捉えることとする。

 なぜ、高学歴の人たちが 「学歴病」 になってしまったのか ――。 その理由は今後、解き明かしていくのだが、それに関して手がかりとなる文献がある。 『日本的経営の編成原理』 ( 岩田龍子・文真堂 )という学術書であり、40年近く前に書かれたものだ。 ここ二十数年の間に、20~30回も読み込んだものである。

 著者の岩田龍子氏は、この本を著した1977年当時、武蔵大学教授だった。 終身雇用や年功序列など日本的経営の課題について、文化論の側面からアプローチすることで注目を浴びていた。 日本的経営の研究者として名高い小池和男氏( 当時、法政大教授 )などにも論争を挑む、気鋭の学者だった。

 岩田氏は、学歴云々を論じる前に、日本社会の能力観には2つのニュアンスが含まれていると言及する。 「(1)能力は、ある漠然とした、一般的な性格のものとして受け止められることが多いこと、(2)能力は、訓練や経験によってさらに開発されるべき、ある潜在的な力であり、したがって、ただちに実用に役立つ力、つまり “実力” とは考えられていないこと」 ( 150~151ページから抜粋 )である。

 一方で氏は、米国の能力観を 「訓練と経験によって現実に到達しえた能力のレベル」 ( 149ページから抜粋 )と捉えている。 そしてこれらの能力観から、米国では日本の競争とは違った意味合いを持つ競争になると説く。 「米国社会では、人びとは、いわば局部的にしか競争にまき込まれていない」 「競争における個々の勝敗は、人生における長い一連の “戦い” の局面にすぎない」 ( 149~150ページから抜粋 )

 さらに日本の能力観に基づくと、人々が次のような意識を持つことになりがちだと説く。

 「“できる人” は潜在的によりすぐれた一般的能力を賦与されており、彼がその気になりさえすれば、いかなる領域においてもすぐれた力を発揮するのであり、逆に、 “駄目な奴” は乏しい潜在的な能力しかもちあわせていないために、何をやらせてもうまくゆかないのである」 ( 151ページより抜粋 )


 高学歴者が “潜在的な能力” を持つと “想定” する
  日本企業の能力観


 岩田氏はこう論を進める。
「わが国では、一流大学の卒業生達は、その “就職戦線” において、他の卒業生よりはかなり有利な立場に立っている。 このことは、彼らが、 “実力” において他に抜きんでているからではない。 むしろ、これは、彼らがよりすぐれた “潜在的な能力” をもっていると “想定” されるからであり、入社後の長期にわたる訓練の結果、次第にその “能力” を発揮すると期待されているからである」
 岩田氏の指摘を踏まえると、前述した4人の超高学歴な人たちは、それぞれが経験した20~30年前の大学受験という競争では、 “勝利者” だったと言える。 そして、就職戦線では “潜在的な能力” を持っていると “想定” された。 ところが会社に入り、一定の月日が過ぎると、その想定は誤りだった可能性がある。 4人とも、実績を残すことなく、明確な理由もなく、数年で転職を繰り返した。 30歳前で、その数は3~4つになった。 その転職の流れやキャリアに一貫したものがない。 こうなると、通常はキャリアダウンであり、労働市場においての価値は著しく下がって行く。

 一方で、4人の同世代の会社員の中には、30代前半~後半で早々と課長、部長などに昇進した人もいたはずである。 その中には、4人よりも難易度の低い大学を卒業した人も少なからずいるだろう。

 岩田氏の言葉を借りれば、 「“能力” を発揮すると期待されていない人」 が、 「潜在的によりすぐれた一般的能力を賦与されていて、いかなる領域においてもすぐれた力を発揮する人」 をはるかに追い抜かしてしまったのである。 4人は、この現実を素直に受け入れることができないのではないか、と思う。 だからこそ、 「自分を持っていない」 「彼は、早稲田しか出ていない」 「白髪が …… 禿げ頭で ……」 などと、他人をこきおろすのではないだろうか。

 前述の能力観をベースにして考えると、4人は 拭い去れない劣等感 を持っている可能性があるそれは言い換えると、 「恐怖心」 なのではないか。 自分が 「実は潜在的な能力が低い人」 とレッテルを貼られることに怯え、ささやかなプライドを守るために、会社員をけなし、否定するのではないだろうか

 岩田氏が唱えるような旧態依然とした日本の能力観が、日本の企業社会の隅々に浸透しているがゆえに、様々な問題が生じることをこの連載では考えたい。 たとえば、新卒の採用方法が時代の変化についていけない理由の 1つも、このあたりにあるのではないだろうか。 社内では、職務給や成果主義がフェアな形で浸透していない。 グローバル化が進まない壁の 1つも、ここにある。 社内でのいじめやパワハラ、セクハラ、長い労働時間、過労死などが発生する大きな理由も、実はこの能力観にあると考えている。


 あなたはどう感じるか?
  日本社会に巣食う 「学歴病」 の正体


 冒頭で紹介した東京大学地震研究所の都司嘉宣・元准教授は、取材の最中、こんなことを語られていた。
「3ヵ月もあれば、大学の学部を卒業した学生たちの力を確実に見定め、研究者としての適性の有無などがわかります。 特に、基礎学力や英語力、論文を書く力、( 専攻である )地球物理への興味や関心の程度、ビジネスマンとしての行動力、意志疎通する力などは、かなり正確にわかります。
民間企業も、新卒のとき、たった一度の採用試験で内定を出そうとするから、学歴を重視した形にならざるを得ないのだと思います。 多くの会社が、一定期間のインターンシップなどを設けて、その過程で学生を選ぶようにしたほうがいいと私は考えています。 そのようにすると、東大を中心とした高学歴層の学生を重視した採用も、やがて変わっていくのではないかと思います」
 あなたは、この指摘をどのように受け止めるのだろう。





( 2016.01.19 )

  


 この実力主義の企業社会で
  なぜ 「学歴病」 はなくならないのか?


 日本の企業社会に 「学歴病」 がいまだ根強く存在する背景には、いったい何があるのか。 過去の一時期に接した 「学歴病」 にかかった中高年社員の姿と、日本的経営の特徴を交えながら、その正体をさらに深く考察したい。

 はじめに、人事コンサルタントとして30年ほどのキャリアを持つ林明文氏( コンサルティング会社・トランスラクチャ代表取締役 )は、 「学歴病の中高年社員」 について語ったところ、こんな感想をくれた。
「まじめに人事を考える身からすると、やり切れない話です。 皮肉るわけではありませんが、今の日本では、このような人たちは恵まれた会社員です。 中小・ベンチャー企業に、こんな中高年を雇う経営的な余裕はありません。
東京五輪の2020年までは、日本の経済はなんとかなるのかもしれません。 それ以降は、想像できないほどに厳しい時代になります。 本来は、このような社員への対応を含め、人事の改革は急いで進めるべきなのですが、それが十分にはできていないのです」
 人事コンサルタントにここまで手厳しく評価される 「学歴病の中高年社員」 とは、どんな人々なのか。 彼らは皆、ある大手企業に勤めていた。 その会社の名前は、ここでは 「N社」 としておこう。 2000~2006年前後、N社は注目を浴びる存在だった。

 かねてから、様々な内紛を抱えていた。 労働組合は、連合・全労連・全労協などに加盟する労組がいくつもある。 それらの中での争いも絶えない。 役員や管理職による使途不明金や、部下へのいじめ、パワハラ、セクハラなどの不祥事も取り沙汰されていた。 2000~2006年にかけてその世論が爆発した大きな理由の 1つが、トップ( 会長 )の記者会見などにおける挑戦的な言動だった。 メディアは一斉に会長への批判を繰り返した。 厳しい世論の中、会長は退陣に追い込まれた。

 N社の内紛を記事にしようとした。 通常、企業の取材は、広報部( 課 )に交渉する。 しかし、内紛を記事にする場合は、広報は取材を受けない。 N社の広報に連絡をしても、断わりを受けた。

 そこで、N社の社員が出入りするスナックに通うようにした。 「この店に、N社に勤務する中高年の社員が連日押しかけ、盛んに学歴の話をしている」 と、N社に出入りする大手タクシーの運転手たちから聞いたためである。

 店は、とある雑居ビルの5階にあった。 薄暗い部屋の奥にあるソファからは、N社のそびえ立つ本社ビルが見えた。 店には、数年間で20回近く通った。 午後8時~11時までは、 1日平均15人前後の客がいる。 平均年齢は、40代前半から後半。 多くは、男性である。 確かに、そのほとんどがN社の中高年で 「傷」 を持った人たちだった。

 たとえば、部長ではあっても部下がいない人、課長職のまま15年以上経つ人もいる。 40歳で部下がいない人もいた。

 カウンターの中にいるのが、50代後半のマスター。 ママは本妻ではあるが、不仲だった。 客の前でも口論になる。 ママははるか前に前夫と離婚し、マスターとは再婚だった。 娘が 1人いるらしいが、前夫との間に生まれたようだ。

 そうした事情もあるためか、マスターは不満や負い目を感じているようだった。 憂さを晴らすかごとく、必ずと言っていいほど、客に学歴を聞く。 そして、学歴についての “自説” を展開する。


 我を忘れて学歴話に花を咲かせる
  「浮かばれない」 中高年社員の酒場


 40代半ばでN社の千葉支社へ人事異動が決まった男性には、こんな話をしていた。 どうやら、左遷のようだった。
「上智の外国語学部出身? 40代半ば? ちょうど受験の頃、上智の外国が早稲田の政経や慶應の経済と並んだ頃でしょう。 すごいね~。 後光が差している!」
 マスターは笑うが、目は笑わない。 男性が得意気な表情を見せると、 「一杯いいですか?」 と言いながら、客の返事がないのにコップに水割りを入れ、なぜか自分で飲み始める。 代金は、そっとその客の伝票につける。 客が飲んだことにして、最後に請求をする。 しかも、飲んだふりをして、手元の流し台に捨てている。 実は、酔ってはいない。

 男性は、そんなことにお構いなし。 もう、有頂天になっている。
「ここだけの話。 すべり止めが、早稲田の一文や慶應の文学部。 言わないでね……」
 マスターが 「言わない、言わない」 と酔ったふりをして、けしかける。
「今回、異動になるみたいだけど、あなたを追い出した上司はどこの大学?」
「慶應の文学部で、しかも付属出身。 だから、俺に嫉妬しているわけ」
「そう、そう、そう、なんてったって、あなたはソフィアですよ。 慶應出身でも、附属上がりじゃあな ……」
 上智の外国語出身のお客は、この言葉を待っていたようだった。 何かに憑り憑かれたかのように、慶應大学の批判を始める。 上司への批判はできないから、せめて出身大学を否定して、うさを晴らしているかのようだった。

 男性は、マスターからの質問を心待ちにしている。 教育雑誌の表紙に載る子どものような、屈託のない表情をする。 マスターは、盛んにけしかける。 男性は酒を飲み、興奮し、大学受験の頃や学生時代に交際していた女性の話をする。 息子が中学の頃、引きこもりになり、高校に行っていないことまで明かす。

 マスターと一緒に会社の内情を聞くと、管理職( 課長 )でありながらも大胆に話し始める。 もはや、ろれつが回っていない。

 会長が役員をしていた頃に生じた税務署との間における不祥事をどのようにもみ消したか、会長と40代の女性社員との 「不適切な関係」、会長の家族の内情、部下だった社員の自殺 ――。 そんな公私に渡る機微情報にまで話は及ぶ。


 なぜエリートのはずの社員たちが
  自社の機微情報を暴露するのか


 いずれもが、一般人の興味をそそりそうな話だ。 その後、別のルートを通じ、そこで聞いた話に関する事実関係の裏付けをとり、何本も記事にすることができた。

 情報を提供してくれたのは、この男性だけではない。 早稲田、慶應、同志社、明治、中央、青山学院、立教、学習院などを卒業し、40~50代で会社員人生に何かの理由で行き詰まった多くの社員たちと、この店で知り合いになった。 これらの大学出身者が店に多いのも、意味があるとは思う。 いずれも、マスターの紹介だった。

 マスターは商売柄、客を的確に見抜くセンスがあった。 最大のドル箱は、 「学歴病」 にかかって自分を見失った中高年社員だった。 中高年の社員たちは、マスターの “学歴尋問” に喜んで応える。 気をよくして、惜しみなく、自社の内情を提供してくれた。 驚くほどに、N社への帰属意識や忠誠心はまるでない。

 「会長をはじめ、N社の幹部を苦しめてやれ!」 と言わんばかりに、献身的にリークしてくれた。 会長が、管理職に社内のイントラなどを通じて伝えた内容を記載した書類も渡してくれる。 これも記事にすることができた。

 マスターは毎回、お客に学歴について語るように仕向ける。 気分を高揚させ、酒を飲ませる。 マスターは 「人の不幸は蜜の味」 と皆が帰った後、話していたことがある。
「最終学歴・高卒の俺が、大学を出た連中を手玉にとる。 みんな、学歴の話をしたくて仕方がない。 彼らには学歴しか、自分の身を守るものがないのだから」
 確かに、行きがかり上の取材活動と考えれば、この店のマスターやお客と顔見知りになることは、メリットがあった。 しかし、今でも当時を思い出して感じることがある。 「あの店で見た光景はなんと寒々しく、不健全なものだったのだろうか」 と ――。

 冒頭で紹介した人事コンサルタントの林明文氏は、この店で見た中高年社員たちについて、こんな見方をする。
「その方たちは、自分が出世コースから外れていることを自覚している、と思います。 当然、不満もあるでしょう。 それを社内では言えないから、スナックで密談をするのではないでしょうか。 自信があるならば、転職をして、新天地で活躍しようと考えるのでしょうが、それもできない。 そこに、日本の大企業が抱える 1つの問題があります。
一方で、出世コースに乗っている人は、そのような店へ行き、学歴の話をわざわざしなくともいいのです。 心は満たされているのでしょうから ……。 大企業という、ある意味で同質社会と言える場所で軌道に乗っている以上、その社会を否定する言動をとらないはずです。 コースから外れて、学歴の話をする人たちも、実は大企業の同質社会の怖さみたいなものを心得ているはずです。 自分にはもうチャンスがないことも、近い将来のこともきっとよくわかっていますよ。 だからこそ、スナックという場で密談をするのではないでしょうか」

  
 古き良き企業文化の激変の中で
  置き去りにされた 「大きな課題」


 こうした社員たちがしぶとく残る背景には、企業社会のどんな問題が潜んでいるのか。 林氏の話を聞いて、十数年前に読んだ 1冊の本を思い起こした。 書名は 『日本的力強さの再発見』 ( 飯田経夫・日本経済新聞社 )。 1979年に発売されたものだ。 飯田氏は、連載第 1回で紹介した岩田龍子氏と同じく、主に1970~80年代に活躍した研究者である。

 古いと思われるかもしれないが、この著書は今の日本企業にとっても示唆に富んでいる。 二度のオイルショックとゼロ成長時代への突入という経済環境の激変の中で、この時代に日本的経営は姿を大きく変えている。 自らの弱点を炙り出し、生き残りをかけて全社一丸で経営効率の改善や労使協調へと進んだ日本企業は、その後国際競争力を高め、1980年代に世界で台頭するための底力を身に付けた。 言わば、( 疑似 )家族的結束力を持った経営が奏功したのだ。

 ここで追求したいのは、主としてその当時醸成された企業カルチャーが、 「学歴病」 の根底に未だに根付いているのではないかという仮説である。 何十年経っても日本企業にとって変わらない、変えることができない、何かがそこにある、と思えるからだ。 以前紹介した岩田氏の著書 『日本的経営の編成原理』 で指摘されていた、日本の能力観もその 1つだと思う。 以下は、飯田氏の 『日本的力強さの再発見』 P29から抜粋した内容である。
( a )早くから 「能力」 に応じて、抜擢し間引きすれば、競争参加者の数はどんどん減少するが、( b ) 「年功」 を重んじ、抜擢間引きを後に延ばせば延ばすほど、競争参加者の数はなかなか減らない。 ( a )を競争的とし、( b )を非競争的とするのが通念だが、ただ一時点では考えず、長い時間にわたって考えれば、通念はひとつの独断のように思えてならない。 若いうちにあきらめさせる( =( a ) )のと、定年寸前まであるいは少なくとも中年まで競争させられる( =( b ) )のをくらべると、一個人のライフサイクルから考えると、( a )より( b )のほうがはるかに競争的だという仮説も、十分に成り立ちうるのではあるまいか。

 若手をむやみに抜擢するベンチャー
  中高年まで選別が行われない大企業


 自らの取材経験を通じて感じた課題を基に、飯田氏の仮説のポイントを次のようにイメージしてみた。

 企業が社員を20~30代前半で、たとえば課長などに抜擢し、30代後半などの若さで部長や執行役員などにするよりは、30代後半までくらいは同期社員をほぼ同じぺ―スで課長補佐や副課長などに昇進させる。 その後、40代で課長、部長などの上級管理職にするときに、その差を次第に大きくしていく。 こうして、多くの社員にある種の納得感を与え( 実は錯覚させているのだが )、 1人でも多くの社員を競争に参加させ、組織の生産力を高めることが、真に競争的なのではないか ――。

 なぜ、このように受け止めるのか。 実は、取材で接した大企業の課長・部長などの多くが、前述した飯田氏や筆者の解釈に意味合いが近い話を、取材の合間に語っていたからだ。 信じられないかもしれないが、30代半ばくらいの社員であっても、飯田氏と同じようなことを語ることがある。 以下に、2013年5月に取材した、ある大手印刷メーカーの課長補佐の話を紹介する。
「ベンチャーや中小企業では、30歳そこそこで課長やマネジャーにしているようですが、組織としてどのくらいの競争力を確保できているのでしょうかね。 疑わしいものがあります。 20代のたかだが数年の競争で勝った、負けたと決めた結果、数人が満足し、そのほかの大勢が不満という競争では、会社の競争とは言わないでしょう。 大企業のように、競争で優劣を決める30代半ばから後半まで、社員をひっぱるだけのお金も予算も、育成の仕掛けもないのでしょう。
ベンチャーや中小企業の社長などが盛んに 「実力主義で20代からも抜擢する」 と言っている真相は、そのあたりにあると思います。 要は、長いスパンで時間をかけて多くの人を底上げし、大量に競争に参加させる力がないだけのことです。 ベンチャーや中小企業は星の数ほどありながら、そのほとんどが10年以内で消えていきますよね」
 確かに、取材で見聞きするベンチャーや中小企業の多くでは、30歳までに社員が次々と辞めていく。 人事の採用・定着・育成という流れがきちんと設計されていない。 課長補佐が語ったことは、その通りだと思う。

 しかし一方で、そうした見方が必ずしも現実的だとは思えない部分もある。 大企業の場合、前述した飯田氏の仮説に近い考え方があまりにも長い間、企業社会の隅々にまで浸透してしまっているがゆえに、 「学歴病」 の中高年社員が減らないベースになっているのではなかろうか。 1970~80年代の日本的経営の 「光の部分」 は、バブル崩壊以降の一時期( 1990年代後半~2005年頃 )に 「影」 として認識されることが多くなったものの、2010年代半ばの今でも依然として 「光」 として受け止められている部分があるように感じる。

 しかも、岩田氏が述べたような能力観のもと、トップレベルの大企業で働く多くの社員は、新卒時には 「潜在的な能力が高い」 と判断された人たちである。 本人たちも、そのように思い込んでいるし、会社もまたそう思い込むように仕向けている。 仮に、一定以上の成果を出せない若手社員に対して、人事部が20代後半~30代前半の時期に 「あなたはレベルが低すぎる」 と引導を渡すとしたら、きっと 「学歴病」 になる人は少ないだろう。 ところが今なお、大企業ではそうした 「選別」 が十分には働いていない。

 実際のところ企業は、優秀な若手を30代前半で課長にしたり、会社に馴染めない人を20代のうちにさりげなくリストラしたりはしている。 とはいえ、それは中途半端なものであり、局地的でゲリラ的な人事戦略でしかない。 したがって、高学歴の社員を中心に、多くの人は 「潜在的な能力が高い」 と思い込んだまま、40歳を迎える。

 入社してから自分の能力レベルをはっきりと自覚する機会がないまま、20~30代と月日が流れていく。 だから、40~50代で 「学歴病」 が深刻化するのではないか。 要は、自分で 「負けを負け」 として認めることができないのである。 その 1つの象徴が、今回紹介したように、スナックで夜な夜な学歴について熱く語る中高年社員たちの姿なのだ。


 ツケを回される若手社員の悲鳴
  学歴病の連鎖反応はもう止められない


 なお、N社の騒動から十数年が経った一昨年、件のスナックは閉店した。 マスターは70歳を目前に、都内南部にある 1億円近いマンションに住んでいる。 がんで闘病をする有名な芸能人も、そこの住人なのだという。 彼は、ある意味、学歴病に憑りつかれた中高年社員を食い物にして、成り上がった。 ここ数年、その社員たちは定年を次々と迎えた。 きっと莫大な退職金を手にしたはずだ。

 仕事で十分貢献せず、夜な夜な酒場でくだをまき、多くの金を手にして会社を去ってゆく ――。 学歴病にかかった中高年社員のしわ寄せを受けながら、長い景気停滞の中で苦しみ続けるのが、20~30代の若手社員である。 しかも今後は、バブル期に入社した大量の社員たち( 40代後半~50代半ば )が退職を迎えるにあたり、すさまじい額の退職金を稼ぎ続けることが求められる。

 当然、バブル世代の多くも 「学歴病」 に憑りつかれている。 「学歴病」 は企業の経営そのものに関わる問題と言える。 病の連鎖反応はもう、止められない。





( 2016.01.26 )

  




   


 企業社会に 「実力主義」 の風潮が広がって久しいが、依然として学歴重視の新卒採用が行われている企業は多い。 ある一流企業のマネジャーが内情を明かす。

 あるメジャーなベンチャー企業でマネジャーを務める人物に 「新卒採用」 について学歴という切り口で取材を試みた。

 この会社は、現在の正社員数が1000人近い。 マネジャーには7~10年ほど前に正社員が100~300人だった時期のことを集中的に尋ねた。 この時期から、日本のベンチャー企業の多くが 「学歴」 を意識した新卒採用を本格化させるからだ。 2000年代にベンチャーで 「学歴病」 が浸透し始めた、初期のステージと言える。

 聞き取りの対象は、営業本部マネジャーの男性A氏。 創業期から正社員数が100~300人になるまでの時期に、新卒の面接試験などに関わっていた。 彼の話を聞くと夢や希望がなくなるかもしれないが、 「学歴主義ではなく実力主義」 というイメージも手伝って学生に人気の高いベンチャー企業にも、 「学歴主義」 の考え方が根付いていることがわかる。 同社に学歴病が根付いて行くプロセスを知ることで、 「採用における学歴とは何か」 を考えるための参考にしてほしい。

 始めにA氏のプロフィールをお伝えしておく。 彼は39歳で、1990年代後半に創業したITソフトウェアのベンチャー企業( 正社員数は約900人、関連会社を含めると2300人 )で営業本部マネジャーを務める。 部下は40人前後。 最終学歴は高卒。 20代前半のとき、中途採用で入社( 2000年 )した。



――現在、社員の8~9割は大卒のようですが、Aさんは高卒でありながら活躍されていますね。
A氏:私は、学歴による区別や差別で悩んだことがありません。 今の会社に入ったのが、2000年。 その頃、正社員数は15~20人ほど。 まさに、どベンチャーの頃です。 大卒が2人、専門学校と高卒が私を入れて数人。 全員が、中途採用組。 職場で学歴の話題になったことすらないのです。
――会社が新卒の採用に踏み切った経緯は何ですか。
A氏:2003~07年に、新卒採用を本格的にスタートさせました。 社員数が50~70人に増えていた頃です。 社長( 現グル―プのCEO )の強い意向です。 中途採用者は辞めていくケースが多く、離職率が高いままだったのです。 確かに新卒を雇うと、定着率は確実に上がりました。
私の経験で言えば、正社員数が50~100人ほどになったら、学歴を意識した採用をしたほうがいい。150~200人になってからでは、タイミングが遅い。 今も中途採用は行っています。 新卒、中途の双方の採用を継続していくのが、業績を急上昇させるためのベンチャーの鉄則の 1つだと思います。
「学歴は、社員の成長や昇格などに関係ない」 なんて言う会社があったとしても、その社員の成果や実績をよく見ると、何らかの関係は多少なりともあると思います。 会社の実績にも、関係はあり得ると私は見ています。 「学歴は関係ない」 と言えるのは、ビジネスモデルが相当に個性的で、エッジが抜群に効いていて、どんどんお金が入る会社ですよ。 今の時代、そんな業界も会社もほとんどないわけです。
――新卒採用を始めて上手くいったのでしょうか。
A氏:社員数が50~100人では、規模が小さく、業績もなかなか上向かない。 知名度も低い。 いわゆる3~4流の大学生しか、エントリーしない。
社長が欲しがっていたのは、明治、立教、青山、学習院、中央、東京女子大といったランク以上の難易度の大学でした。 しかし、このクラスがエントリーしない。 そこで、オフィスを都心のど真ん中の高層ビルに移転したのです。 ウェブサイトでも、バンバンと宣伝しました。 社長も自ら著書を出したりして、前面に出ました。
この直後から、学生のレベルがランクアップ。 早稲田、慶應、上智が増えてきて、明治、立教、青山、学習院、中央、東京女子大などが、内定を得るギリギリのラインになりました。 ただ、このクラスの学生たちも入社すると、戦力になるのはごく少数。 一定の難易度をクリアしているといっても、低レベルの学生が多かった。 「下の下」 のレベル ……( 苦笑 )。
トップレベルの学生は、大企業かベンチャーでブランドのある会社に流れます。 わざわざ、当時のうちには来なかったでしょう。 この時期における目立つ変化は、低学歴でありながら 「すごい!」 と感じさせる学生が増えたこと。 低学歴と思える大学の学生たちのレベルが、全般的に上がるのです。



   


――結局、そのボーダー以下の難易度の大学生も採用していたのですね。
A氏:ボーダーを設ける 1つの意味は、ここにあります。 つまり、ダブルスタンダードです。 ほとんどのベンチャーがこのようなダブルスタンダードで採用をしている、と思います。 実は、大企業でトップブランドを掴むことができない会社も、これに近い路線をとっているはずです。
当時( 2003~2008年 )のうちは、社員数が100~400人。 この規模で、しかもベンチャーならば、マネジャー( 課長・部長 )は30代前半~半ばであり、レベルは必ずしも高くはない。 新卒で雇うときに、ボーダー以上の学生だけならば、数年以内に上司と部下の 「逆転現象」 が起きて、現場が機能しなくなります。 新卒で入った部下のほうが優秀になってしまいますから。 現場が動かなくなる採用なんて、意味がありませんよ。
――新卒採用のとき、社長が人事部などに指示をしていたポイントは?
A氏:社長は 「確率論」 と言っていましたね。 実際のところ、一定のレベル以上の大学出身者を雇ったところで、戦力になるのはごく一部。 将来、伸びる可能性のある人がいる確率が高い、という意味での 「確率論」 です。 裏を返すと、行き詰まったり、伸び悩んだり、辞めたりする人は相当にいるということ。 どこの大学出身者でも、その比率のほうが高いでしょう。 採用には、こういうギャンブルの側面があることは否定できないのです。



   


――それでは、一定のレベル以上の大学出身者を、なぜ求めるのでしょうか?
A氏:いくつかの理由があります。
1つは社会的な信用です。 ベンチャーには、この信用がないのです。 一定のレベル以上の社員を揃えると、 「あそこはしっかりした会社だね」 などと、取引先や金融機関、株主、就職予備軍の学生やその保護者、そしてメディアなどから認められる傾向があるからです。
難易度の高い学生が職場に入り、 1~2年以内にはっきりするのは、事務処理能力の高さです。 たとえば、計算を素早くしたり、文章を手際よくまとめたりする。 上司の話を 1回で聞き取り、その真意も含めて理解する。 こういう日々の仕事の基本をひっくるめて、 「事務処理能力」 とします。
これらは、大学受験などで培う力と重なるものがあるのかもしれませんね。 競争心とか、耐える心、目標に向けて邁進する力、協調性などが、その 「事務処理能力」 の基本にあるのかな、と思います。
ただし 「確率論」 ですから、ひどいレベルの人もいます。 ベンチャーから社員数が100、200、300人と増えて成長していくと、社内の体制が整い、業務の流れも平準化、規格化、マニュアル化してきます。 有名どころの大学出身者の社員が多数を固めると、こういう仕事のスピードや質が全般的に上がることは、間違いないと思います。
社長は、一定の難易度以上の学生を雇うと、 「いかようにも使える」 とは何度も言っていました。 基礎学力があり、競争心や忍耐、邁進する力などがある程度あるからなのでしょうね。 これも 「確率論」 であり、外れる人も多数いるのです。 私の部下で、仕事に行き詰まって辞めた慶應文学部の出身者がいました。 彼は今、外資系の金融機関にいて、活躍していると聞きます。
超一流とは言えなくても、ある程度の難易度の大学出身で、挫折をした人は上昇する傾向があります。 この場合は、とてつもなく飛躍することもあります。 そのときは、低学歴の社員がどれだけ頑張っても追いつかないのです。 超一流の大学を出た人も、勝てないのです。
きっと潜在的な能力が高かったのでしょうね。 それをうちの会社では、開花させることができなかった。 30代でぐーんと上昇する人は、20代から30代前半までの間に、必ずと言っていいほど挫折がありますよね。
――なるほど。 仕事の成果と学歴との関係をどう捉えますか。
A氏:成果を出すための早さ、スピードを語るとき、学歴は関係がないと思います。 一方、成果の濃さ、質、密度を語るとき、学歴と挫折は関係があるのかもしれません。 低学歴であろうとも、挫折の経験に意味があると、成果は自ずと濃いものになります。 実際、低学歴の人も、挫折をして這い上がってくると 「すごい!」 となります。 上司からの厳しい指導も、あるときは必要であるし、部下はそれで悩み、苦しむことも大切だと思います。
社長は、 「あの社員がいい仕事をした」 という噂を聞くと、その社員を呼び、30分ほど話をしていました。 その後、人事部に 「彼の入社時のエントリーシートを見せてくれ」 と依頼していました。 それを見て、 「あそこの大学出身か ……」 などと、つぶやいていました。
つまり採用時には、 「( 入社後 )伸びるかもしれない」 と判断され、 「( 実際に )伸びた」 人しか、視界に入れないのです。 これは、ベンチャーの経営者の採用においての、 1つのホンネだと思います。 超難関校の大学出身者でも、 「伸びなかった人」 の存在はもう、意識にはないのです。 「伸びた人のみ」 が、その大学の出身者として認知されていく。 あくまで 「確率論」 であり、学歴はその意味での後付けをしていくものなのです。
3~4流大の学生も、低学歴な社員も、このあたりの企業のからくりを知っておくべきでしょう。 そうでないと、自分の学歴に委縮するだけになります。 委縮する必要なんて、実はないのです。 東大、京大卒も今のうちには十数人いますが、その半数は 「ハズレ」 の人材なのですから。 京大卒の30代前半の社員は完全に行き詰まり、イクメンになることでしか、自分の存在をピーアールできないのです。



   


――社員数が100~300人の時期は社内が未整備ですから、高い学歴を持つ社員も、なかなか成果を出すのが難しいのではないでしょうか。
A氏:有名な大学出身の新卒者で固めると、社長が洗脳しやすいとも言えます。 社員教育は、ある意味で、社員の意識や頭の中を 「改造」 して、ロボットにすることです。 つまりは、社長の手足にするのです。 いいなりのロボット。 かたや、中途採用で入った人の 「改造」 は難しい( 苦笑 )。
ちなみに、今の社長や役員たちは( CEOの )完全なロボット。 ロボットにするためのスローガンが、 「価値観共有」 「仲間」 「やりがい」 「夢」 「生きがい」 などです。 最近は、 「子育てができる職場」 ……。 女性社員はそれらをソフトに包む、 「キラキラ女子」 でなければいけない。 きれいで、輝いて、なんとなく仕事をしてくれていればいい。 そんな広告塔でしかありません。
社内恋愛で、男性社員と結婚し、共働きで頑張ってもらう。 業績が悪化すれば、真っ先にリストラ要員。 バリバリに優秀な女性は、そもそもこういう会社にはエントリーしませんから ……。 実際のところ、ベンチャーであれ、大企業であれ、本当に知力が必要な創造的な仕事は、実は社内に少ない。
そんなのが大半を占める職場ならば、社員の評価も配置転換も、人材育成もできない。 業務の大半は、事務処理能力でなんとかなるようなものです。 またそうしないと、会社の業務は流れませんよ。



   


――女性社員を 「キラキラ女子」 にすることは、採用戦略で大切ですか?
A氏:もちろんです。 フェイスブックなどで、人事や広報の社員が自社の 「キラキラ女子」 をシェアしまくっていますね。 ビジネスサイトなどで取材を受けると、一気に数千人にシェアして、 「いいね!」 と称え合う。 20代後半までの女性社員も、 「先輩、素敵です!」 って ……( 笑 )。
あれは会社のPR戦略であり、採用戦略です。 女性社員をいかにキラキラにするか。 それが上手くいけば、男子学生のエントリーが確実に増えます。 2000年前後から業績が上昇しているベンチャーのB社などは、そのあたりは実によくできていて、新卒採用の姿としてはもう、 「上がり( ゴール )」 です。 社長が私生活を含め、目立つ人でしたからね。
かたや、ライバルのC社は、時代についていくことができていない。 トップは、財界活動には熱心みたいですが ……。 なぜか、 「体育会系女子」 を雇っているようです。 やはり 「キラキラ女子」 でないと、ブランド力は絶対に強くなりません。
実は、うちも今は高学歴な 「体育会系女子」 が多い ……( 苦笑 )。 1年ほど前、ビジネスサイトに、 「30代前半で子育てをしながらバリバリと働く」 という趣旨の記事が載っていました。 よく読んでいくと、うちの会社の女性が写真入りで紹介されていた。 肌も荒れていて、やつれていて、 「これはちょっと ……」 と思った。 男性社員たちの間にもシェアされていて、話題になっていました。 「よくこんな写真を載せたな。 広報は何をしていたの?」 と ……。 あれでは逆宣伝になります。 男子学生が幻滅し、エントリーしませんよ。
――先ほどのお話にも出ましたが、そうした 「キラキラ女子」 「体育会系女子」 は、リストラ要員にされやすいのでしょうか。
A氏:会社からすると、辞めさせやすい存在です。 「キラキラ女子」 「体育会系女子」 の多くが社内恋愛の末、結婚した相手の男性が今の会社に勤務しています。 30代後半~40代の女性でまとめ役の存在の社員が、こう言うわけです。 当然、社長( グループCEO )の意向を踏まえ、発言をしています。
  「うちの会社の経営状態は、芳しくない。 人員を減らすことになるけど、あなたたちのご主人の雇用は( 会社が )きちんと守るから ……」
暗に辞表を出すことを求めるのです。 「キラキラ女子」 「体育会系女子」 のほとんどが、抵抗することなく辞めていくのです。 ベンチャーのリストラでは、女性社員のまとめ役が社長の意向を受けて、退職勧奨の最前線に立ちます。 女性社員との1対1の話し合いなどで、追い詰めます。 ヒステリーには叱らない。 クールに、ねちねちと接していきます。 そのときはもう、目の前にいる 「キラキラ女子」 「体育会系女子」 は部下ではないから……。 追い詰められ、気を失った女性もいました。
ほとんどが無抵抗のまま、辞表を出していくわけです。 社長は 「あいつも辞めるのか」 しか言いません。 女性社員のまとめ役が 「彼女はメンタルが弱くて ……」 と言えば、社長が 「そうか、そうか」 で終わり。
社員が辞めていく本当の理由なんて、社長からするとどうでもいいのです。 付き合いが長く、貢献をしてくれる側近の、女性社員のまとめ役の言い分を受け入れるものです。 女性社員のまとめ役はそれを心得ていて、社長を上手く転がしているのです。
ベンチャーでは、こういう女性が得てして役員になり、莫大な報酬を得ます。 「キラキラ女子」 「体育会系女子」 は、こんな仕組みを察知していても、どうすることもできない。 これが、ベンチャーの新卒採用の一断面なのです。


便

 いかがだろうか。 A氏の話を聞いて感じとったことの 1つは、学歴というツールが企業側からすると、 「とても便利なもの」 と思われていることだ。 その効果は、決して採用のときだけではない。

 たとえば、社会的な信用を得るために、業務フローが効率的に流れるようにするために、さらには、社員に一体感を持たせるために、社員教育のために、そしてリストラを効果的に進めるために ――。

 多くのメディアは、有名企業の、大学別の採用者数や役員の数などを頻繁に報道する傾向がある。 その記事は、得てしてヒットする。 しかし、そうした俯瞰で捉えた報道だけでは、企業の本音を知ることはできない。 また、 「実力主義」 のイメージが強いベンチャー企業にも昔ながらの学歴観が根付いていることについては、ほとんど議論されていない。





( 2016.07.02 )
退
   



退

 4月に新社会人が職場へやってきて3ヶ月が経った。 仕事にも慣れ、そろそろ戦力になり始めるころだが、早くも職場を離れる新人があらわれる季節でもある。 立つ鳥跡を濁さずというが、足跡を残しまくった新人の辞め方が聞こえてきた。 辞職願の伝え方で文字通り開いた口が塞がらなかったというのは、アパレル会社で総務を担当する20代女性が言う。
「ファックスやメールで辞表が送られてきたとか聞いても、まさか、そんな非常識な人はいないだろうと思っていました。 うちの会社には見た目が派手で敬語もうまく使えないような子も多いですが、今までなかったので。 でも、現実は冗談みたいなことが起きるんです。 LINEのメッセージ、しかもゆるキャラが泣きながら謝っているスタンプつきで 『会社辞めます』 がきました。 作り話だと思っていた自分にも起きたから、同じような思いをしている人がまだいるはずだと思ってやり場のない怒りを鎮め、心を落ち着けようとしています」
 印刷会社の制作部で働く40代男性は、4月から預かった新卒が突然、出社してこなくなった。 LINEでメッセージを送っても、既読にすらならない。 すると数日後に親がやってきて、こんな仕事だとは思っていなかったから辞めると告げられた。
「母親が総務に来ているから事情説明に来てくれと言われて行ったところ、長時間勤務で、しかも無意味なことばかりさせるのはなぜだと言われました。 地味に感じたかもしれないが確実にできて、出来上がったことで達成感も感じられるような作業を選んでやってもらっていたのだと説明したのですが、納得してはもらえなかったようです。 これまで何人も新卒を預かりましたが、本人ではなく親がやってきたのは初めてでした」
 平成24年3月に大学を卒業した者の離職率は32.2%にのぼる( 厚生労働省 「新規学卒者の離職状況( 平成24年3月卒業者の状況 )」 調べ )。 そのうち1年目で辞めた者が13.1%、2年目が10.3%で3年目が8.9%とあり、1年目がもっとも多い。つまり、1年目を乗り切れれば、仕事を続けられる確率が高くなるということでもある。

 「やっと辞めてくれました」 とホッと胸をなでおろしたのは、 IT会社勤務の300代男性。 今年の新人教育をまかされて、世の中にはどうにもならないことがあると思い知らされた。 大学卒業したての男性が、報告書や書類の作り方、メール報告の要領、コピーのとり方やごみの捨て方まで、何を教えてもひとつも覚えず、何もできるようにならないが、妙な自信があって努力をしなかったのだ。
「後から入ってきた業務補助の学生アルバイトにも追い越されるような状態なのに、自分で努力している様子もみられませんでした。 返事はとてもいいから、最初は緊張しているだけかなと思って見守っていたのですが、結局、ちっとも理解してもらえなかった。 5月末くらいから、この仕事に向いていないみたいだから、やり直しがきくうちに将来を考えたらどうだと言ったのですが、その頃から迷走が始まりました」
 将来を考えろという忠告をまじめに受け止めた新人の彼は、6月中旬に上司へ 「辞めます」 と伝えた。 ところが、その3日後に辞職を撤回。 しかしさらに5日後にもう一度、上司へ 「やっぱり辞めます」 と言いに行った。 このやりとりを3往復繰り返したのち、出社は6月いっぱいで自己都合での退職が決まった。
「辞めるかどうかを自分で決めようとしないんです。 唐突に 『転職活動したら受かって、どうしたらいいでしょうか?』 と言われて驚きました。 人生相談を受けるほど親しくなっていないし、答えられるはずがない。 それと並行して、辞めます、やっぱり辞めませんの動きを繰り返され、上司からはどうなっているんだといわれ、疲労困憊させられました。 彼への言動がキツくなっていく自分のことも嫌になって辛かったです」
( 教育担当した前出の男性 )
 彼の新人教育をまかされていた前出の男性は、このやりとりに振り回された結果、不眠に陥り、体調を崩した。 その新人が、6月いっぱいで出社しないと決まったときから回復し始めた。

 あなたの近くの今年の新人は、無事に育っているだろうか。 もし、迷走せず、LINEで辞表提出もしていないのなら、前出の調査によれば、大卒1年目で辞める新人は10人に1人はいる。 仕事を続けている1年目の部下がいるのなら、10人のうち9人の当たりだったと喜ぶべきことなのかもしれない。