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「おバカな一芸」 で大学生
「AO入試」 もうやめたら?




 大学入試もまさに佳境のこの季節。 目を血走らせる受験生を尻目に一足早い春を謳歌するのが、ボランティア活動から資格技能まで自らの“一芸”で勝負した 「AO入試」 の合格者たちだ。 推薦入学とあわせると、今やその数は全入学者の42.6%に上るとか。 だが、受験勉強を忌避したAO組の急増で、ただでさえ深刻な大学生の 「学力不足」 に、さらに拍車が!?

 「うちの場合、教員2名が学生1名と30分ほど面接するのが唯一の“試験”です。 志望理由と高校生活のことは必ず聞きますが、面接の重点は“人柄”を見極めること。 学力という観点はゼロですね」
 AO入試の実情を明かすのは、埼玉の某私立大学教授である。
「だから、高校の( 5点満点の )評定平均が2.5点といった、本当に“できない子”が結構来る。 そういう子の場合、入学して毎回講義に出ていても突然中退してしまったりする。 “授業で何を話しているか、さっぱり分からない”というのがその理由です。 一般入試だと最低限の学力が保証されますが、AOの場合それがない のが、一番の問題ですね」
 AO入試、すなわち 「アドミッション・オフィス( 入学試験事務局 )入試」 とは、元来は大学側の求める学生像を基に合否を判断する入試システムと言われている。 東北大学高等教育開発推進センター・倉元直樹准教授が解説する。
「アイビーリーグを構成するハーバードやコロンビアなど超エリート大学を志望する学生は、学力ではもはや甲乙つけ難い。 そこで、学力以外の能力や個性に注目して選抜するというのが本来のAO。 日本では、90年に慶応大学湘南藤沢キヤジパス( SFC )がその名前を借りた入試制度を導入しましたが、“何がAOか”と いう議論がないまま、今や何でもありになってしまった。 かつて一世を風靡した“一芸入試”も本来は別物ですが、AO=一芸というイメージが定着してしまったことは否定できませんね」
 それで思い出されるのが、80年代末に亜細亜大学が導入し世間を賑わせた 「一芸一能入試」 である。 “けん玉日本一”の腕前や“小学校以来、鉄道の旅で45都道府県をまわった”経験で合格した男子に、“魚を三枚におろし、刺身、てんぷら、からあげ、炊き込みご飯”もできる家事の腕前を買われた女子学生。 この一芸入試で96年、亜細亜大国際関係学部に入学したのが女優の松たか子。 その後、01年に立命館大学産業社会学部に入学した人気歌手・倉木麻衣など、一芸入試は数々の芸能人に大学への門戸を開いてきた。
 しかも、一芸入試が 「AO入試」 という正体不明の言葉にとって代わられる過程で、受験生が大学に“アピール”する内容も、多様化してきたのである。


アホでもオッケー入試

 「評価の対象は何でもいいのです。 生徒会や自分の住む町内会でこういうことを推進したとか、NPOや会社を立ち上げたとか、コンクールで賞を取ったとか」  解説するのは、AO入試の指導で実績のある、早稲田塾の担当者だ。
「もちろん、大学・学部によって評価の仕方も違う。 たとえば、同じスポーツ競技で早稲田大学を受けるとしても、スポーツ科学部の場合は全国大会出場が求め られますが、社会科学部では都道府県大会でいいし、教育学部はもっと緩い基準になっている。 一方で、政経学部の場合は、地区大会で万年1回戦敗退のチームを3回戦まで押し上げたといった、本人の努力や業績が成績よりも評価の対象になるといった具合です」
 大阪のある私大の 「活動・資格等報告書」 なるエントリーシートはなかなかの見ものである。 スポーツ活動なら 「都道府県の選抜選手」 のAランクから 「クラブ( 1年間以上活動 )」 のEランクまで、漢字能力検定なら 「準1級以上」 のAから 「4級」 のEまで、 「ボイラー取扱技能講習」 修了ならEランク……と、スポーツ・文化・ボランティア活動から検定・資格・技能までを、きっちり5段階にランク付けして記入させるのだ。 まさに、AOはなんでもあり、なのである。
 「さすがに今時、けん玉はないだろうと思っていましたが、私の高校の後輩は、けん玉の演技を3分間やり続けて、某有名私大に合格しちやったんです」
 と振り返るのは、自らも5年前にAOで慶応SFCに入学した女性である。
 「SFCでも、“外国人とのコミュニケーションのきっかけ”と称して手品を延々披露し合格した人もいたし、NPO代表を名乗って受かった人もいた。 実際は、たまにゴミ拾いする程度だったんですが。 学内で、AO入学組が“アホ( A )でもオッケー( O )入試”なんてからかわれるのも、まあ仕方ないですかね」
 とはいえ、同じAO入試でも、平均評定4.3~4.5点前後の高い学力を前提とする国立大や慶応など難関私立と、中堅以下の私立大学とは、はっきり分け て考えたほうがいい。 そう言うのは、 『最高学府はバ力だらけ』 の著作もあるライターの石渡嶺司氏である。
 「99年、埼玉の西武文理大学では、受験生にグループの共同作業としてバーベキューをやらせて、その働きぶりを評価する“バーベキュー入試”を行った。 この大学はホスピタリティを養うサービス経営学部だけの単科大学なのでそれなりの意味はあるのですが、肉を焼かせて合否を決めるなんてばかばかしいとの批判が 相次いで、03年にこの入試は中止されました」
 ほかにも、課題にメールで回答する 「Eメール入試」 や、将来やりたい事業や家業の今後について語れればOKという 「起業家宣言入試」 「後継者宣言入試」 なる危うい試みも、生まれては消えていった。 先の石渡氏が続ける。
 「それでも、試験をするだけまだましで、地方の弱小私大などでは春から夏にかけてのオープンキャンパスで模擬面接なるものを行い、ブースに来た高校生に“う ちの大学に入りたい?”などと持ちかけて、内々に入学を約束してしまう行為が普通に行われているんです。 少子化で、大学への入学希望者の総数がどんどん減る中、3~4割が赤字と言われる私立大学が生き残るためには学生数の確保が何より大事。 文部科学省の指導で一般入試や推薦入試の解禁が11月と決まっているため、その制約を受けないAO入試が“青田買い”に利用されているんです」
 AO入試というシステムそのものは高く評価するという教育評論家・尾本直樹氏すら、こう言うのだ。
 「10年ほど前の話ですが、九州のある工学系私学で行われていたAO入試には呆れました。 ボランティア活動などを評価するのは間違っていないのだが、ある受験生を合格させた理由が、高校の3年間、トイレ掃除を欠かさなかった、というのですから。 9月までに“必ずその大学に入学する”という確約書を出すだけで合格にする私学もありましたが、驚くのはそれだけではない。 確約書を出した学生にはもれなくノートパソコンを進呈するというのです……」


「文革」 中国の二の舞?

 そんなAO受験生がごく少数、特殊なケースというのなら、まだ救われる。 だが、07年度の統計によれば、AOで全国の国公私立大学に入学した受験生の数は4万1873人。 推薦入試の入学者と合わせるとその数は全入学者の42.6%に上る。 さらに08年度は、AO入試を行う国公立大学は過去最高の59大学154学部に増えて、一般入試の合格者の比率はますます落ち込む見通しだ。
 「受験勉強」 という集中的な勉学の機会を回避するAO・推薦入試組の急増が、これまでも懸念されてきた大学生の 「学力低下」 に拍車をかけるのは、火を見るより明らかだろう。 1月23日、中央教育審議会の作業部会が、推薦・AO入試を行う際に大学は学力検査やセンター試験などを出願資格や合否判定に用いるべきだ、と提言したのも当然のことなのである。 先の倉元准教授が指摘する。
 「論文・面接だけで、学力抜きで合否判定するAO入試は、確実に学力低下を招いていると思います。 ゆとり教育下で、最後の砦はやはり大学入試だったのです。 この制度が崩れてしまったら日本はガタガタになります。 良い例がお隣の中国です。 文化大革命の10年間、中国では大学入試制度が廃止され、再開後は、文革以前の教育を受け、10年のブランクがあった30歳位の人たちが合格したそうです。 大学のレベルは大幅に低下、それを取り戻すのに30年はかかったと思います。 同じような状況が、日本に生まれつつあるのです。 また、受験生にAO入試突破に特化したテクニックだけを磨かせることは、勉強という行為そのものを空洞化させ、高校以下の教育を大きく崩壊させる危険がある」
 実際、一部の進学塾では、面接に備え“では、将来の君の目標はこれにしよう”と誘導したり、発声練習まで行っているという。 高校生の本来の姿ではあるまい。 そして、問題は学力低下だけではないという。

  「日本という国は、努力の国ですよね。 将来を拓くため努力に努力を重ねた結果、ろくな資源もないのに先進国に仲間入りできた。 だが“頑張っても、頑張らなくても同じ”となれば、結局、努力しなくなる。 それから、現状のようなAO入試の蔓延は、“私らしさ”が至上の価値であり“あるがままの自分でいい”、努力しなくていいという間違った認識を助長し、日本の社会を根本から崩しかねない、非常に怖い問題 です」 ( 同 )

 アフォ~な( A )おとな( O )ばかりを生み出しかねないこの制度。 そろそろ見直す潮時ではないか。



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( 2015.03.19 )
!?

 世間を騒がしたSTAP細胞の問題。 先端の科学に携わる人にとって目にするほどにさみしい気持ちにさせられた話題です。 そして、結局のところ実証することもできませんでした。
 世論は当初錯綜しました。 小保方さんの偽証、不誠実さ、関係者の体制の問題、教育機関の問題、はてはタレント・伊集院光さんの新説 「小保方さんは誰かにダマされた?」 といった陰謀論めいた話まで飛び出しています。
 ですが、本質的な問題はそうではない、と考えます。 この問題には黒幕がいます。 小保方さんがダマされた …… という表現にならうならば、最初に彼女をダマした犯人であり黒幕は 「AO入試」 であると思うのです。

 AO入試を変えないかぎり、第二・第三のSTAP細胞問題は起こる?




 AO入試とは、そもそも一言でいえば、 「学力を問わない入試」。 一般的には、受験者の 「実績」 をもとに、その人の意欲や人間性、将来性を問う入試です。 この場合の実績とは、受験する大学ごとにさまざま。 たとえば、ボランティア活動を評価する大学もあれば、小論文や読書感想文で評価する大学もあります。
 また、中には教員との複数回の面接が重視される大学もあり、極端なことを言えば、教員がその受験生を気に入るかどうかで合否が決まるという例もあります。
 つまり、何でもありなのです。
 小保方さんはAO入試で早稲田大学に入学したと報道されています。 厳正に審査されて入学したとは思いますが、少なくとも学力は評価されていないのです。
 もちろん、 「学力 = 実力・将来性」 ではありませんが、その一方で学力とは 「ここまでルール通りにがんばりました!」 という 「がんばる才能」 を示す指標です。
 事実、学力を測ることが目的の一般の大学入試では、才能に恵まれただけでは高得点が取れないようになっています。 それは、試験のお作法とルールを学び、努力した人に入学資格を与える仕組みになっているからです。
 ところが、AO入試は 「人とは違うことをやってくれそうな人材」 を採用するものなので、お作法を身につけた人なのかどうか、ルール通りにがんばる人なのかどうかを評価しません。 それどころか、ルールを無視するような人が評価されることもあるのです。




 では、一般入試で入学してきた学生とAO入試で入学してきた学生は、大学入学後に区別されるのでしょうか?
 多くの人がご存じのように、そのようなことはありません。 入学後、両者はまったく区別されないのです。 特別な入試で入っても、特別な教育はしない …… というわけです。
 とすれば、AO入試受験の学生は、一般入試受験の学生に比べて足りないところが多々あるのにも関わらず、自分の事を他の学生と変わらず、同じようにいろいろ身につけている、と勘違いしやすいのです。
 特にその気になりやすい性格、都合よく解釈しがちな性格なら、ますます 「私は周りのみんなと同じくらい優秀」、 「いえ、特別な入試で入ったんだから、私のほうが特別に優秀!」 と勘違いするかもしれません。
 一般的に人には 「ポジティブ幻想」 という効果が働いて、実際よりも自分をより良く評価するものです。 さらに 「自己確証」 という機能が働いて、自分のよい評価だけに選択的に注目します。 なので、勘違いできる環境に身を置くと、そこにいる限り永遠に勘違いのループにどっぷりはまってしまうのです。




 さて、最近では慶應義塾大学のAO入試合格者が、小学生を偽ってサイトをつくり、悪い意味で注目されました。 一般入試の入学生が世の中を騒がせることも勿論ありますが、AO入試が実績も実力もない高校生を、より勘違いさせやすいリスクを持った入試制度であることは間違いなさそうです。
 STAP細胞問題の背景には、色々と複雑な要因があり、一言で総括することはできません。 しかし、今回の問題において、主体的役割を担った小保方さんを最初に躓かせたのはAO入試の存在であり、それにより機能してしまった 「ポジティブ幻想」 と 「自己確証」 のメカニズムであると思います。

 このままAO入試を続けることにより、 「勘違い」 した人を多く産みだし、結果として色々と形を変えた第2・第3のSTAP問題が引き起こされることを強く危惧します。