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学校と塾




 『交通ルールのマナーが悪い』 とか、『電車の乗り方が悪い』 とか、そういった生徒個人の私的な生活へのクレームが良く学校に電話がかかってくる。

 ここでは学校にその責任があるかどうかということではなく、学校と塾との社会的機能の違いを考えてみたい。

 塾にそういったクレームの電話がかかってくるだろうか。

 その他にも、
 『服装がだらしない』 とか、
 『公園で男女がいちゃついていた』 とか、
 『夜の町をうろついていた』 とか、
 『コンビニで地べたに座りながらカップラーメンを食べていた』 とか、
 ありとあらゆるクレームに似た電話がかかってくる。

 学校は秘密警察ではないのだから、校門の一歩外に出れば、生徒の私的行動の監視をできないのである。

 にもかかわらずこのような電話がさも当然のごとくかかっているということは、社会がそのことを当然と思っているということでもある。

 塾であればどうであろうか。
 学校の生徒でありながら塾の生徒でもあるという児童は世の中にはごまんといる。 であるならば塾にもそのような電話がかかってきて良さそうなものであるが、そういう話はとんと聞かない。

 そういう意味では塾は教育機関としては良いとこ取りをしているのであるし、学校と同じような社会的責任を期待されていない。 それはある意味では教育機能の特定の一部を専門的に受け持つ部所としてのみ、機能している。

 それを不公平といっても始まらない。 学校には学校の役割があり、塾には塾の役割があるのだが、今の動きはそれでは済まないようになっている。

 ある面では、学校は塾と対等に扱われ、塾にできることがなぜ学校でできないのかと問われることが多くなった。

 学校には生活指導があり、ホームルームがあり、体育祭があり、部活動がある。 勉強以外に多くの教育活動を受け持っている。

 学校と塾を対等に扱うのであれば、そのような勉強以外の教育活動を一切消去して初めて成り立つ論法なのであるが、そのような条件整備は不十分なばかりか、誰もそのことに気づいてさえいないということが現状なのである。

 もし学校が塾と同じ教育機能だけを受け持つとしたら、それまで学校がやってきた勉強以外の教育機能はすべて親が受け持たねばならなくなるはずである が、そういったことを意識している人も少数派である。