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入学しただけで何故小躍りする?
~ 変わらねばならない日本の大学 ~




 毎年のことながら3月から4月にかけて、学校の卒業と入学の季節になる。 入学にはサクラの花がよく似合う。 だから、入学試験に合格したときには 「サクラ咲く」 という符丁を使う。 日本には現在、短大を含めて実に1,200もの大学がある。 が、その中で自他ともにNo.1を誇る東京大学の入試の合格発表がこのほど行なわれた。

 合格した者の受験番号が大きく紙に書かれて学内に掲示される。 それを見て、 「ヤッターッ」 と狂喜乱舞する受験生、万歳を叫ぶ者、何故か号泣する親、顔を引き吊らせながら何度も何度も掲示板を見上げる受験生、でも、やっぱり自分の番号が無いことに納得してすごすごと校門を後にする者。 まさに悲喜こもごもの情景である。

 今回、国立大学の大半が、五教科七科目を 「大学入試センター試験」 に課したのは、学力低下の危惧があったためとされている。 国立大学の入学試験制度はこれまでにも、さまざまな問題を抱えて試行錯誤しながら、制度の変更を繰り返してきた経緯がある。

 第二次大戦後、新制大学に切り替えられ、一期校と二期校に分けられ、かなり長期にわたって入試日程もずらして実施されてきた。 しかし、基礎学力の達成度を測る事を目的に、1979年度から共通一次試験が導入され、試験の日程も同時とされた。

 当初は国語、数学、外国語の三科目と社会、理科各二科目の受験を義務付けた。 だが、五教科七科目は負担が重いことや、国立大の受験機会が一度だけになる事などへの不満から、再び改められた。

 1987年からは科目が軽減され、大学を二グループに分けて個別試験をする 「連続日程方式」 が導入された。 そして1989年には各大学が、募集定員を前期と後期に分ける 「分離分割方式」 も採用された。 さらに翌年には、共通一次が一教科でも利用可能で、私立も参加出来るセンター試験に変わった。

 このような制度の相継ぐ変更に加えて、さらに受験制度の多様化が進んでいる。 その一つが推薦入学制度だ。 受験生に関する高校での学業成績や行動記録、調査書、面接、志望の動機などをもとに合否を決める制度である。 この制度は文部科学省の指導で、入学許可が与えられるのは、大学は定員の5割、短大は無制限となっている。

 また、AO入試制度もある。 国公立で29校、私立では300校を超える大学がこの制度を利用している。 これはADMISSIONSOFFICE( 入試事務局 )の略で、推薦制度に似ているが、入試の時期に限定せずに、専門のスタッフが高校の調査書などをもとに総合的に判断して、受験生の合否を決める制度である。

 また、大学の入学資格についても大幅に緩和された。 これまで問題だった外国人学校の卒業生には、大学入学資格検定試験を受けなくても受験出来るように制度が見直された。 今後、2006年度には五日制に基ずく 「新学習指導要領」 で学んだ高校生が受験する年になる。 基礎学力の評価はどれだけ重視されるのだろうか。

 さらに、少子化が進み予想される統計上の数字では、2009年には大学進学希望者と大学の入学定員とがほぼ等しくなるとされている。 新しい時代にふさわしい大学が望まれると同時に、自然淘汰される大学も出てくる事は目に見えている。

 アメリカ系のF記者は言う。

 私はテレビニュースを見て思いました。 東京大学に入学することが何故あんなに嬉しいことなのか、すぐには理解出来ませんでした。 確かに東京大学は日本を代表する立派な学校です。

 だから難しいペーパーテストをクリアーした達成感だ、という理由だけではどうも納得出来ないのです。 日頃感情を余り表に表わさない日本人があんなに踊り上がるのは何故だろう、と不思議でなりませんでした。

 それに、大学の入学試験や発表に親が付き添うなど、とても不思議ですが、その親が涙を流しながら、『 あらゆるジュクに通わせたお陰です』 とテレビのインタビューに答えていました。 『進学塾』 というプライベートで特別の受験教育機関で訓練された問題回答法や記憶術のほうが、正規の学校での教育よりも、大学受験の効率がよいとされている、というのです。

 そのためには高額の受験講習料を払わなければならないことは言うまでもありません。 では、何故そうするのでしょうか。 「もちろん例外はあるが、多くは東京大学に入学した時点で、その人の一生が保障されたのも同じだ、と考えるから、親までが懸命になって後押しするのだ」 と教えてくれました。

 何といっても日本の最高学府とされていることから、その学歴だけで権威を持つ事が許される社会だから、というわけです。 残念ながら、その日本人は東大出身ではありませんでしたが ……。

 本来ならば、大学では4年間、もしくはそれ以上、その学校で特定の領域について真理を探究し、一定の成果を修めて評価され、卒業して初めて喜びを心から味わうものです。

 つまり、大学は入学してから 「仕事」 が始まるのです。 入った時点では、そこで 「仕事」 をする許可が与えられただけなのです。 権威主義に弱い日本の社会環境で、ある国会議員がアメリカの大学卒業を詐称した疑惑で問題になり、物議をかもしました。

 『入学や在籍』 したことと 『卒業』 した事とは全く別の事ですよ。 アメリカには州立の大学はありますが、いわゆる国立の大学はありません。 そして殆どの大学経営は授業料と寄付金とで成り立っています。 ですから、日本など外国からの留学生の受け入れは、むしろ大歓迎でしょう。

 その際、受け入れのテストをしますが、それは学力による入学の可否を決めるためのものではなく、単に英語のレベルを調べるためのものです。 授業料さえ払えば、殆ど無条件で入学出来るのです。 一般的には、日本でも最近行なわれているAO入試制度に近いものですが、経営上の判断からも入学を許可する場合もある訳です。

 ただし、卒業出来るかどうかは本人の努力次第です。 ですから、入学したからといって、踊って喜ぶ必要など毛頭無いのです。 入学して何年か無事に過ごせば自動的に卒業出来るというものではありません。 卒業とは厳しい条件とルールに基ずいています。

 日本には多くの有名な大学があります。 また、名前を知られていなくてもユニークな学校もあります。 しかし、今もなお権威主義が残っている日本の社会に対応するためには、まず、出来るだけ著名な大学に入学することが、人生を有利に生きていくことが先決条件だとされているように思えるのです。

 それは、大学で専攻する学問領域よりも、卒業後の就職に有利だと思われる有名校を選ぶことが優先されるから、さまざまな入学問題が起きるのだと思うのです。 卒業後にも、特定の国家試験などの関門を控えている専門領域では、かなり厳しいカリキュラムを乗り越えなければならないのは、各国共通だと思います。

 しかし、一部を除けば、数ある大学の中には4年間もしくはそれ以上、無事に所定の教科を修了すれば、余程の事が無い限り、多くの学生が問題無く卒業証書を受け取れる仕組みになっている大学もある、とも伝えられています。 日本では国民の半分が大学に行くという時代に、大学自体が今後どれだけ変わってくるかが問題です。

 もっとも、国公立の大学が個別に法人化されたり、株式会社による大学経営が今春から開校されたり、と、いろんな改革が現在進められているようです。 しかし、明治以来の風潮から抜け切れないのでしょうか、いまだに優秀な学生や中央官庁の官僚が、日本から欧米の大学や大学院に留学しています。 何故なのでしょうか。

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