( Sept. 9,2014 )
 「教育は国家の大計」 である。
 教育の成果は、良くも悪くも10年後、20年後、30年後に表われる。
 今、道徳教育を本格的に復活させなければ、 「モンスター親」 の暴走を止められないばかりか、 将来はより強大で凶悪な 「超モンスター親」 が出現することを覚悟せねばなるまい。
 




(1)教育の現場で 
(2)ゆとり教育 
(3)子どもたちの足元から 
(4)日教組 
(5)大学/大学生の質・その他 



<番外編1>ばか親・ばか教師 
<番外編2> /..
<番外編3>
<番外編の番外>





明治天皇と教育勅語
 明治天皇は明治元年国是五箇條を神々にお誓いになり、新生日本の大方針を明らかにされました。
 政府はこの方針にそって、近代国家の建設には人材の育成が急務であるとして、明治5年学制を公布し、全国的に学校を設置して義務教育の制度を確立し、教育の普及に努めました。
 しかし当時は文明開化の風潮により洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される情勢にありました。
 このような実情を深く憂慮された明治天皇は、徳育の振興が最も大切であるとされ、わが国の教育方針を明らかにするため明治23年10月30日、教育勅語を渙発されました。
 勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と美徳が表され、人が生きていくべき上で心がけるべき徳目が簡潔に述べられていましたが、戦後に教育勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻な問題が多発しています。
 今こそ、私たちは教育勅語の精神を再認識し、道義の国日本再生のために、精進努力しなければなりません。

教育きょういく勅語ちょくご

ちんおもニ 皇祖こうそ皇宗こうそう くにはじムルコト宏遠こうえんニ とくツルコト深厚しんこうナリ
臣民しんみん ちゅうニ こうニ 億兆おくちょうこころいつニシテ セルハ 國體こくたい精華せいかニシテ 教育きょういく淵源えんげんまたじつここそん
なんじ臣民しんみん 父母ふぼこうニ 兄弟けいていゆうニ 夫婦ふうふあいシ 朋友ほうゆうあいしん 恭儉きょうけんおのレヲシ 博愛はくあいしゅうおよシ がくおさメ ぎょうなら もっ智能ちのう啓發けいはつシ 德噐とくき成就じょうじゅシ すすん公益こうえきひろメ 世務せいむひらキ つね國憲こくけんおもん 國法こくほうしたが 一旦いったん緩急かんきゅうアレ 義勇ぎゆうこうほう もっ天壤てんじょう無窮むきゅう皇運こううん扶翼ふよくシ かくごとキハ ひとちん忠良ちゅうりょう臣民しんみんタルノミナラ またもっなんじ祖先そせん遺風いふう顯彰けんしょうスルニラン
みちハ じつ皇祖こうそ皇宗こうそう遺訓いくんニシテ 子孫しそん臣民しんみんとも遵守じゅんしゅところ これ古今ここんつうあやま これ中外ちゅうがいほどこシテもと ちんなんじ臣民しんみんともニ 拳拳けんけん服膺ふくようシテ みなそのとくいつニセンコトヲこいねが

明治二十三年十月三十日

御名ぎょめい 御璽ぎょじ

 

  教育勅語の口語文訳
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や,秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

~国民道徳協会訳文による~


教育勅語 十二の徳目
孝行こうこう 親に孝養をつくしましょう
友愛ゆうあい 兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦ふうふ 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友ほうゆうしん 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜けんそん 自分の言動をつつしみましょう
博愛はくあい 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学しゅうがく習業しゅうぎょう 勉学に励み職業を身につけましょう
智能ちのう啓発けいはつ 知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器とくき成就じょうじゅ 人格の向上につとめましょう
公益こうえき世務せいむ 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法じゅんぽう 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇ぎゆう 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう


 これが教育の原点だと思う。 両親が言っていた。 「これ( 教育勅語の理念 )が大事。 わしらが若い頃は、毎日これを言っていた。 これが無しになった( 敗戦による否定 )から、日本人は利己的な奴ばかりになった。 これを復活しなけりゃいかん。」
 愛国心や公共心は当り前の重要なことだが、これを法律( 教育基本法の見直し )で規定しなければならなくなったのは情けないと思う。 当り前のことを、言われなければ分からない世の中になってしまった。 右だ左だと、短絡的でおバカな批判はやめよう。
 現在の自虐的な教育、画一的な教育、権利と義務のバランスがとれていない教育には問題がある。 他国に教科書検定をされている( のと同然の )国が、世界のどこにあるか。 個性を潰す教育、権利ばかりを主張して、義務の欠片も無い教育でいいのか。
 恥ずかしげもなく、他人の迷惑を全く考えずにどこにでも座り込む 「地ベタリアン」 の原因は、幼稚園~義務教育課程での 「学校座り」 にもあるように思う。 少々の時間は辛抱させて立たせることも必要だ。
 入試以上に卒業を厳しくすべし。 大学入試に合格した時点で、全てが終わったと思っているのが大間違い。 社会も、レジャーランドで遊んだ人間を甘やかしすぎ。 学力低下も心配だ。
 教育における 「ゆとり」 とは何か? 誰のための 「ゆとり」 か? 内政干渉された( 干渉を許している )教科書による、国民総愚民化政策か? 先生も子供も親も、ゆとりが無いそうだ。
この後に来るものは ………


オ隣サンヘ
日本国ノ教科書ヘノ干渉ハコレヲ絶対ニ許サズ
日本領土ヲ略奪シ、
資金援助ヲシテモライ、
日本ニミサイルヲ向ケ、
自国ノ教科書デ日本ヲボロクソニ言ヒ、
民主・人権ヲ認メナイ国ガ何ヲ言フカ
君達ノ国ニ、恥、良心ト言フ言葉ハ無イノカ


公徳心

学校でなく誰が教える

 朝の通勤時の地下鉄内でのこと、目の前に座っていた南アジア系( ? )の青年が、白髪頭を見てか、すっと立ち上がり座るように勧めてくれた。 最寄り駅で下車するとき、 「ありがとう。助かりました」 とお礼を言うと、実にさわやかな笑顔を返してくれた。
 何だか小さくともあったかい人情を見つけたような気がしてとてもうれしかったが、同時に日本人になぜこうした優しさ、気配りが絶えてしまったのだろうと、いろいろ考えさせられることが多かった。

 道徳というと、そんなものは国家がくちばしを入れるべきでないという反応が必ず起こる。 「価値観は各人各様で、国家に特定のものを押し付けられるのはご免だ」 と、今にも思想警察が内心の自由に土足で踏み込んでくるとでもいうように!。

 先ごろ、イタリアのフィレンツェにある大聖堂に、日本人による落書きが見つかったニュースが報じられた。 自分と妻の名をハートで囲んだ落書きなど、昔のませた子が書いた相合い傘と同レベルの幼稚さで、体だけは大人でも、 「落書きをしてはいけない」 といった程度の公徳心さえも育っていない日本人の総体的な退行現象を思えば、そんな悠長なことを言っていられるのかと言いたくもなる。
 新幹線の胴体がペンキのスプレーで落書きされたというニュースもあった。 他人の家のブロック塀や商店のシャッターなどへの落書きは街のあちこちでしばしば目にする。
 群馬・長野県境の碓氷峠にかかる旧信越線のレンガ造りのめがね橋の場合、そこにクギ状のもので名前を彫り込んだ落書きは修復のしょようもない。
 戦後というステージでムラが消え、そして今やイエも壊れかかっている。 子供たちをしつける近所のおじさん・おばさんもいなくなり、家庭でもしつけられた経験のない未熟な親がその子供をしつけられない。 これでは 「落書きはしてはいけない」 といった程度の公徳心さえも国民の中に根付かせることなどできない相談だ。

 山東功氏の近著 『唱歌と国語 』( 講談社 )によると、明治35年刊行の帝国教育会編 『公徳養成』 に 「公徳とは社会公衆に対して行ふべき道徳にして、一身一家の間に行ふべき徳即ち所謂私徳とは自ら区別すべきものを謂ふ。 されば公徳は之れを客観的に云ふときは社会的義務となるなり」 とあるそうだ。
 勤勉、正直、品格、忍耐、孝養などといった徳目は自らを高めるための私徳のうちだから、自らを高める意欲のない者に教育的強制を行っても、確かに身につけさせるのは難しいかもしれない。 しかし、落書きをするな、ごみを散らかすな、ごまかして金もうけをするな、公衆の面前で口元を押さえずむやみにせきやくしゃみをするな …… などといったことは、これを破れば他に迷惑が及ぶ。 廉恥、親切、寛容、公平、勇気などは、これが働けば公の裨益となる。
 こうした公徳心は最低限、世に生きてゆくための義務として幼少時から半ば強制的に教育してゆくことが重要だ。 それを公教育で教えずして、今の日本で誰が教えるのかといいたい。


 日本の戦後教育は 「欧米のものまね」 だった。 だから日本人には合わないところがある。 フランス革命が教えた 「平等」 なんて、学校で言うから子供たちの苦しみが始まるのだ。

 東アジアには東アジアに合った教育があった。 人間をどう見るか、人間に合うようにどう教育していくか。 それを体系化したのが儒教だった。 実は儒教は、 「人間平等」 なんて思っていない。 1、2割は優秀だが、あとはボンクラというのが儒教の人間観だ。

 だが、今の学校は 「みんな優れている」 「個性がある」 という。 儒教は優秀な人は相手にしない。 優秀な人は自分で切りひらく。 ボンクラをしっかり教育しようというのが儒教だ。 難しいことは教えないで、大事なことをしっかり教えよう。 だれもが学び、理解できることを教える。 それが 「型」 なのだ。 学校の大切な役目は 「型」 を教えることにある。 大半の人は型を教えないと、どうしていいのかわからないからだ。 わけもわからないままに社会にでてから困る人がどれほど多いことか。

 「平等」 「自由」 もまた問題だ。 本来は欧米の思想であって、( 戦後教育では )教え方がまちがっている。 自由というのは欧州では、自分で自分を律する( 自律 )。 自分で律することができなかったら自分で立つ( 自立 )ことができない。 立てば自己責任が出てくる。 これができてはじめて個人主義が成り立つ。 なぜ欧米人にはそれが可能なのかというと、抑止力をもっているからだ。 「神」 が許さないのだ。 欧米人には、唯一、絶対、最高の 「神」 が抑止力としてあるが、わが国にはそこが抜けている。 それがないまま 「個性」 や 「自由」 を教えると、単なる利己主義になってしまう。

 われわれにもかつては抑止力があった。 東アジアの人間に共通する 「祖先」 だ。中東の地域ではユダヤ教やキリスト教、回教の一神教が生まれたため、祖先を敬うような考え方にはならなかった。 祖先崇拝の大切さが残っているのは東アジアだけなのだ。

 日本のお盆の迎え火や送り火もお釈迦様ではなく、ご先祖様だ。 昔、空襲のとき、母はご本尊よりご先祖の位牌をもって逃げようとした。 それが日本の仏教なのだ。

 教育学者や心理学者は家庭や親子関係の問題で、 「もっとコミュニケーションをとれ」 というが、われわれ日本人はそんなことが苦手。 それよりも仏壇の前で家族で一緒に手を合わせたほうがいい。







 世界20ヵ国の青少年に 「先生を尊敬しているか」 と質問したところ、 「はい」 と答えた割合は、韓国、アメリカ、EU( 欧州連合 )の80%以上に対して、日本はわずか21%で最下位である。 19位の国ですら、70%が 「はい」 と答えているのに、20位の日本は、恐るべき最下位である。

 また 「親を尊敬するか」 の問いには、世界の平均は83%なのに、なんと日本では25%だ。




 さらに大きな問題は、日本の高校生の自己評価の極端な低さである。 現在、日本の高校生の66%が、自分は駄目な人間だと思っている。 その割合は、アメリカでは22%、中国にいたってはわずかに13%である。

 この原因は、いろいろ考えられるが、戦後60年の教育の中で、人間として真のあるべき姿を、大人や先生が十分に教え、示してこなかったからではないか。

 人生において幸せなことは、尊敬する師や目標となる人を持つことである。 私の師の一人は、京都大学第16代総長を務められた平澤興先生である。 先生は大変すぐれた医学者であると同時に、素晴らしい教育者であった。

 そして、脳科学者としての長年の経験から 「人間は誰でもすべて、無限の可能性を秘めてこの世に生まれてくる。 特に、幼児はすべて天才である」 。 これは平澤先生の口癖であった。




 平澤先生が晩年、特に力を尽くしたことの一つに、家庭教育の普及運動があげられる。 先生は、早くから脳科学に基づく深い洞察によって、人間の基本的な性格は幼児の時期に形づくられるという考えから、幼児教育の意義、そして母親の役割の重要性を痛感していた。

 京都大学の総長を退任した後、 「全日本家庭教育研究会( 全家研 )」 初代総裁に就任した。 その時、教育者としての余生を、この運動に捧げるというほどの意気込みだったという。

 そして、 「母よ / 尊い母よ / 日本の子らに美しくたくましい魂を / 世界の子らに誇らしく清らかな心を / 偉大な母よ」 という言葉を揮毫きごうしている。

 当時、教育における本質的な役割として、 「母」 の存在をうたいあげた人は誰もいなかった。 平澤先生のこの呼びかけは、医者として、教育者として真剣に教育を考え続けてきた人の、祈りに近いものだった。

 先生が集大成した教えは、
(1) 親は、まず、暮らしを誠実に
(2) 子供には楽しい勉強を
(3) 勉強は、良い習慣づくり
(4) 習慣づくりは、人づくり
(5) 人づくりは、人生づくり
 実にやさしい、簡単な言葉で平澤先生は、自らの信条を述べている。 ここには、ただ、功利的に子供の成績の向上を期待するのではなく、何より親自身が、自分たちの生活の姿勢を見つめ、誠実に日常生活に向き合うことが大事であることを説いている。

 教育における母親の役割の大切さに注目していた一人に、ソニーの創業者・井深大氏がいた。

 井深氏は晩年、幼児開発協会を設立し、理事長を永年務めた。 幼児教育の成果をまとめた 「幼稚園では遅すぎる」 は世界的反響を呼んだ。 井深氏はその中で 「3歳や5歳から教育を始めると、大人でも絶対にできないことが身についてくる」 と述べている。

 一般に早期教育というと、これまでは子供に言葉が話せるようになってからと考えられていたが、これは大きな間違いだった。




 最近の研究によると、3歳までの間が脳・神経系や情緒・生活習慣の発達上重要な時期であることが明らかになった。 この時期に 「誰がどう世話をするか」 は重要な問題である。

 1999年に、雌マウスにのみ育児行動の有無にかかわる遺伝子が発見された。 幼児の脳の神経細胞の発達には、遺伝子の働きのオンとオフが重要な役割を演ずるが、そのタイミングと外からの刺激が重要である。

 さらに胎児は、母親の感情や行動を受けとめていることも分かってきた。 井深氏は 「母親の役割は0歳以前からで、母親がしっかりした人生観を持つことだ」 と述べている。

 教育における母親の役割の重要性と、胎児や幼児の素晴らしい可能性についての考えは、平澤氏と井深氏は異なる道を歩みながらも、ほぼ一致している。

 2人の考えの正しさが、最近の第19期日本学術会議の 「子供のこころ特別委員会」 の報告などによって裏付けられている。 2人の重要な共通点は心の教育の大切さを訴えている点だ。

 生命科学の教育と研究の現場で私が学んだことは、生命の約38億年の歴史を経て、私たちが生きていることの凄さである。 日本人は、大自然のおかげで生かされていることに感謝しながら生きてきた。 このような伝統と文化の素晴らしさを、家庭、地域、学校の教育の中で生かしたいものである。







 かつて、ある有名財界人が大会社の再建を委託され、乗り込んで放った第一声で 「智恵のある者は智恵を出せ。 智恵のない者は汗を出せ」 と語ったと聞いた時、松下幸之助は 「これはうまくいかんな」 とつぶやいた。
 智恵というものは、汗を流して必死になって実践する中から生まれてくるもの で、汗もかかないで出てくるのは知識にすぎない。 知識は大切なものだが、こだわると失敗する。 経営に成功するには、その大小を問わず独自の智恵がなければならず、知識 に惑わされると、その本質を見失うものだ。 順序がちょっと逆のように思える ―― ということであっだろう。 果たせるかな、その再建は成功とは言えないものであった。
 智恵と知識は似て非なるものだ 時として知識は智恵へと至る道を妨げることすらある。 明治以来、キャッチアップを国是としたこの国では、いち早く西欧の知識を翻訳解釈することをもって権威たりえた。 その結果、知識と智恵との関係はあいまいになった。
 現在の日本には知識は有り余っている。 あらゆることにおいて侃々諤々かんかんがくがく、決定は遅れに遅れ、決まった時は既に手遅れで混乱に輪をかける事態となる。
 あの明治の大変革期を見事に切り抜けた智恵者、勝海舟はその回想録の中で 「時代の変わり目というのは恐ろしいもので、それまで学識豊かな秀才と思われていた人々がいかに無能であるか、ということが如実に分かった」 という意味のことを述べている。
 明治以来百数十年、今、日本は再び大変革の時を迎えた。 海舟や南洲の如き、既成の知識や公式論に惑わされぬ大智恵者、大経世家の出現が切望される。





( 2012.09.19 )


 かつて大学では4年間きっちり勉強できたが、昨今は就職活動に多くの時間が費やされ、勉強できる期間は実質3年だという。 短くなったことによる影響を受けたものは何か。 それはリベラルアーツである。

 リベラルアーツは一般的には哲学や心理学などの教養科目だが、文系理系にとらわれることなく、幅広い知識を得て判断力を養うことにつながる学問だ。 ものの考え方を身につけるなら、一つは哲学や心理学などが大事であるし、一方で美学的な芸術センスは教養として必要なものだ。 グローバル時代といわれているが、国際人となるには、自分の国の文化や歴史を語れることに加え、幅広い教養が求められている。 それが今、おろそかにされていることに危機を感じる。

 人間は子供の時は記憶力がいい。 掛け算九九は子供時分に覚えるし、意味は分からずとも論語を記憶させると、大人になっても忘れないものだ。 近年、子供の学力が低下しているといわれているが、知識を詰め込む教育も、成長段階のある時期では必要だ。 一方で、物心がついて判断力を養うときに、マークシートの試験だけで合否を決めるのはどうか。 それぞれの段階に応じたテストがあるはずだ。 ここの労を惜しんではいけない。

 家庭教育、初等・高等教育、そして企業などでの社会教育という段階を踏み、有機的に連携して教育が成り立つ。 初等教育では記憶させることに加え、生活を整えることも大事だ。 昔は家庭訪問は必ず行われていた。 児童がどのような生活をしているのか、教師が実際に見ることは大事なことであるが、近年は必ずしも実施されていないと聞く。 理由はさまざまであろうが、特に初等教育の段階において、教師が児童の生活環境を把握し、それを踏まえた接し方をすることは必要なことだ。

 高等教育は判断力を養う。 初等教育で覚えたことをベースとして、さまざまな問題を解決する判断力を磨いていくのだ。 ここで初等教育と同じように暗記中心の教育をしてはならない。 専門性を磨くことも重要であるし、リベラルアーツを学び、幅広い知識と判断する力を養うことも、この時期には大事なことだ。 段階を踏むことで、人間力は形成されていくのである。

 企業教育は実践的なものだ。 それぞれのレベルに応じての研修が実施されているが、ここで大事なことは一貫性があることと同時に、時代の変化に応じて求められる内容に合わせ随時磨き上げるということだ。 場当たり的な研修、前例踏襲型の研修は企業を没落させていく。

 企業は課題解決能力を備えた人材を求めている。 だが、リベラルアーツを学んでいないため、ものの考え方ができておらず、思考が停止してしまうケースも散見される。 リベラルアーツをおろそかにする風潮は日本の没落を招きかねない。

 日本では大学進学時に文系、理系と分けられることが多い。 しかし、文系、理系にとらわれることなく、リベラルアーツを学べる環境が必要なのではないか。 もちろんリベラルアーツが全ての教育問題を解決できるものではないし、形だけのリベラルアーツを学ぶ環境は必要ない。 心が入ってこそ、教育の効果が無限大になるのだ。





( 2014.02.23 )


   ……
 戦後長く敬遠されてきた 「道徳教育」 が、小中学校でようやく本格的に行われようとしている。 下村博文文部科学相は今月、道徳の教科化を中央教育審議会に諮問したほか、小中学生に配布する新たな道徳教材の内容を公表した。 日本教職員組合( 日教組 )など一部に根強い反対がある中、新たな道徳教材で子供たちに何を学んでもらうのか、その内容は ……。



 「日本には四季があり、美しい風土がある。 先人たちは、これらに合った生活様式や文化、産業などを生み出し、我が国を発展させてきた。 これらを受け継ぐとともに、日本人としての自覚をもって、この国を愛し、その一層の発展に努める態度を養っていきたい ……」

 文科省が作成した新教材 「私たちの道徳」 の中学生用に書かれた一文だ。 この新教材は、現在配布している 「心のノート」 を全面改定し、ページ数を1.5倍に増やすなど内容を充実させたものだが、とくに 「日本人としての自覚」 を深めるテーマが数多く盛り込まれた。

 小学1・2年生用の教材にも、 「日本人としての自覚」 と 「伝統文化を受け継ぐ心」 の大切さが、次のような分かりやすい物語で示されている。

 コンコンチキチキ、コンチキチン ……。 京都に住む小学生が、祇園祭に向けてお囃子はやしの練習に励んでいる。 しかし最初はなかなか上手にかねを合わせることができず、周りの大人に叱られたりして、 「もう、やめたい」 と弱音を吐く。

 すると父親が、こう言って励ました。
「お父さんも、よく おじいさんに しかられながら、れんしゅうしたものだ。 みんな、そうやって、千年もつづく ぎおんまつりを まもってきているんだよ」
 この言葉に力を得て、小学生は練習を続け、祇園祭で鉦を気持ちよくたたくというストーリー。 「自覚」 や 「伝統」 といった難しい言葉はなくても、日本の伝統文化を親から子へ、子から孫へと継承する姿勢を、自然に学ばせる構成になっている。




 「私たちの道徳」 にはこのほかにも、 ( 1 )いじめの未然防止につながる題材 ( 2 )社会に進んで貢献しようとする題材 ( 3 )情報モラルを高める題材 ── などが重点的に盛り込まれた。

 著名人の伝記や名言も多く、坂本龍馬、二宮金次郎、緒方洪庵、葛飾北斎ら歴史上の人物や、イチロー、澤穂希、内村航平ら世界で活躍するスポーツ選手らのエピソードなども紹介されている。

 小学3・4年生用で取り上げられたのは、2000年のシドニー五輪で日本人女性として初のマラソン金メダリストとなった高橋尚子の物語 「きっとできる」 だ。

 高校時代、予選落ちなどまったく結果の出なかった尚子が、大学時代の練習中、走りながらふと気づく。
《人と戦うんじゃない、自分の記録と戦うんだ》

《長い階だんを一気にかけ上がろうとすれば、途中でばてる。 時間がかかっても、一段づつしっかり登っていけば、上まで登り切れる》
 昨日の自分の新記録を、今日の自分が破るという挑戦を続けながら、最後は金メダルに輝く尚子の物語を通じ、 「粘り強くやり遂げる」 ことの大切さを説いている。

 小学5・6年生用には、 「赤ひげ先生」 として知られる江戸時代の町医者、小川笙船しょうせんの物語が掲載された。

 八代将軍吉宗に建言して貧者のための 「小石川養生所」 をつくってもらい、寝る間も惜しんで貧しい病人たちの治療につとめる笙船が、ある日、元気になった貧者の一人から、恩返しにとたくさんの大根を届けられるというストーリー。

 社会の中で自分の役割を自覚し、その責任を果たすことの意義を考えさせる内容になっている。 大人が読んでも、心をうつ物語が並んでいる。




 さまざまな題材が新教材に掲載される中、道徳教育に詳しい高橋史朗・明星大教授が注目するのは、武道や茶道など日本古来の 「道」 の精神が盛り込まれたことだ。

 小学5・6年生用には、 「人間をつくる道 -剣道-」 とのタイトルで、試合に負けた後でも立派な態度で礼をする剣道の美しさを読み物にして掲載。 「剣道は、 『礼に始まり礼に終わる』 と言われるように、礼というものをとても大切にします。 これは、日本人が昔から大切にしてきた相手を思いやる精神です。 我々が受けついでいかなければならないことです」 と諭している。

 中学生用でも 「礼儀」 を取り上げ、 「日本の伝統文化である茶道や華道、武道などにおいては、それを楽しむことや技を磨くことだけでなく、自分を律する心や相手を尊敬し感謝する心を大切にし、それを礼儀の形で表している」 と説明している。

 こうした題材について高橋教授は、 「武道など 『道』 の精神は、技とともに戦前の学校では広く教えられてきたが、戦後はGHQによって禁止された。 昭和28年の中学学習指導要領で柔道などが 『格技』 の名称で復活したものの、体育の授業で技を教えるにとどまり、精神面についてはなかなか学校教育で教えられなかった。 それが今回、国が作成する道徳教材の中で取り上げられたことは、日本人としてのアイデンティティーを育成する上で、とても意義深い」 と話す。




 問題は、この新教材が学校現場で適切に活用されるかどうかだ。 日教組や一部マスコミは道徳教育に反対しており、小中学生に配布しても、授業では扱われない可能性もある。

 戦前の道徳教育は、正式科目 「修身」 として、国定教科書によって行われていた。 元神奈川県教組委員長で教育評論家の小林正氏によれば、その内容は明治23年発布の教育勅語に沿ったもので、戦時色が強くなった昭和16年以降をのぞけば、孝行、友愛、博愛、義勇など12の徳目を分かりやすく教えることが中心だった。

 ところが戦後、GHQの指令や圧力で修身は禁じられ、教育勅語も失効となった。 「GHQは、教育勅語に示された徳目は優れていると認めていたが、 『一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ』 の一文を問題視したようだ」 と、小林氏は話す。

 その後、1951年のサンフランシスコ講和条約で主権を取り戻した日本政府は、道徳教育の復活を目指すが、日教組が強硬に反対。 昭和33年から小中学校で週1時間、 「道徳の時間」 が設けられたものの、正式な教科ではなく、ホームルームに充てられるなど形骸化しているのが実情だ。

 小林氏は 「道徳教育について、日教組はしばしば 『国家による価値観の押し付け』 などと批判するが、自分たちこそイデオロギーを子供たちに押し付けている。 道徳教育は国家が責任をもち、きちんとした教材を使って、国民の目の見えるところで行わなければならない」 と指摘している。






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